飛べよ(ある女の物語 II)

 

飛べよ (ある女の物語II) は「ある女の物語I」の続きです。

 

1.飛べよ (Fly Away)

 

 

第二次世界大戦直後に日本に生まれた彼女には、大人になっても何事にも男性のように飛躍することは許されませんでした。

 

2.諦めないで:人生はジェットコースター (Don’t Give Up

 

なぜ自分は生まれてきたのかの答えを見出すことができないまま、彼女は日本にすべてを残しカナダでの生活を始めました。東京と比べるとカナダの都市は荒涼としていて、なぜか寂しくさえ思えます。自分と同じ言語を共有しない人々に囲まれながら毎日の生活を送ることになった彼女は、時々孤独に感じました。でもそんな寂しさは彼女の生活の中ではほんの小さな問題でした。何故なら一番苦しく感じたのは言葉の壁で、そのもどかしさは想像していた以上に耐え難いものだったのです。もう二十歳を過ぎ大人になった彼女ですが、相手にきちんと意思が伝えられない自分が、まるで赤ちゃんに戻ってしまい、言葉を初めて習い始めた時のようにさえ感じたのです。そんな思いに苦しめられた彼女は、自分自身を全く失ってしまったようにも思えました。何故なら今まで彼女が日本で築いてきたものは、彼の国ではすべて何の意味も持たなかったからです。そんな思いにかられると、これから彼女がカナダで生き残れないのでは、という恐怖を見過ごすことはますます難しくなりました。でもそれだからといって彼女は今更諦めることはできません。

 

3. 歩み続ける (I’ll Keep Going On

 

時々、日本にいる家族や友人のことが彼女の心に浮かびます。 特に彼が仕事で出かけていて、アパートで一人でいる時は。そんな懐かしいフラッシュバックは、彼女にとってある程度慰めにもなります。でも自分の過去に浸るのは簡単だけれど、それを乗り越え毎日前に進まなければならないことを彼女は知っていました。それを心にとめ、 彼女は過去に捕らわれないよう、そして日本に帰りたいと思わないように、ただ進み続けることを再度決心したのです。

 

4.もう怖くなんかない (I’m Not Afraid Anymore

 

馴染みのないものすべてと格闘する中で、唯一変わらなかったのは彼の愛でした。彼は事あるごとに彼女を大きな胸の中に優しく抱き、彼がどれだけ彼女を愛し必要としているかを彼女に伝えます。それは彼女が彼と結婚するためにどれだけ多くの犠牲を払ったかということを彼が心から理解していたからです。そんなにもして結婚してくれた彼女に彼は敬意を持っていました。ですから彼と一緒にいる時は彼女は安堵し、いつしか他国に住む恐怖も和らぎ、自信を持つことができました。

 

5. 二人の恋人 (Two Lovers

 

彼女にとって彼がどんなに大切な存在であるかを一人で考え始めます。彼は、宇宙、太陽、海、山、船の帆、火など、彼女の人生の中で大きな、そして大切なものに思えました。 そして彼女自身はそれらを支える、星、月、島、森、船、そして風。 ですから二人で一緒にいれば彼等はいつも一つなのです。お互いに愛しあうことができる限り、これからは何でも一緒に克服できると彼女は思いました。

 

6. 小さな貴女への子守歌 (Lullaby)

 

やがて二人の間には可愛い女の子が生まれます。子供が生まれるということは親にとっては喜ばしい事ですが、彼らにとっては初めの頃はそうではありませんでした。なぜかというと赤ちゃんが生まれるとすぐに、呼吸困難に陥ってしまったからです。息をするたびに、小さな顔は赤くなり、その上、必死に呼吸をしようとして、か弱い胸と肩が上がり下がりしています。病院室のガラス越しに、愛する小さな娘が生きるために、もがき苦しんでいるのを見るのはとても辛い経験でした。幸い病院のスタッフによる献身的なケアにより、まるで何も問題がなかったかのように、その小さな命は困難を乗り越えます。可愛い娘を腕に抱いて病院を去る日がきました。その時二人はようやく心に安らぎを感じました。もう娘の苦しむ姿を見なくても済むのです。愛らしい赤ちゃんを胸に抱き、その柔らかな髪を優しく撫でながら彼女は子守唄を歌います。愛するこの小さな命が二人の人生に永遠に愛と喜びを運んでくれることを祈りながら。

 

7. 川を下れば (Down the River We Go)

 

ある時、彼は今の仕事を続けても家族の未来が見えないことに気が付きました。大学に行けばもっと良い仕事に就けると思い、彼女に相談します。もちろん彼の決心に彼女は同意しましたが、二人の唯一の問題は、彼が卒業するまで誰が家族を養うかということでした。この頃には二人目の子供にも恵まれ、それが簡単なことではないと理解していたのです。

探すのに苦労しましたが、彼女は日本人の経営しているレストランでウェイトレスとして働くことになりました。彼らの新しい生活が始まります。毎日忙しい日々が続き、今までの平凡な生活から百八十度ひっくり返った生活を送ることになりました。時々自分達の人生がどこに向かっているのか疑問にさえ思いはじめます。しかし、どんなに生活が変わっても、それが自分達の選んだ道であり、喜んで受け入れなければならないことを二人は知っていました。

 

8. 顔も見たくない (Don’t Want to See Your Face

 

そんな忙しい毎日を過ごし、疲れ果てた二人は時々つまらないことで言い争うようにもなりました。彼の愛を胸の底で感じ渇望しながらも、彼女は彼を拒みます。本当は心から彼に愛されたかったのに、それをどう表現して良いのか分からなくなってしまったのです。でもある日、彼が居ない生活がどんなに寂しいものか想像し、居てもたってもいられませんでした。つまらない事で喧嘩までした自分が愚かにも感じ、彼女がどれほど彼を愛しているか、その時改めて気が付いたのです。

 

9. これは私の人生だから (It is My Life

 

 

時間はあっという間に過ぎ、子供たちがティーンエイジャーになると友達からの影響もあり、どんどん大人のように行動し始めます。時には、身体の成長が精神的な成長を上回ると、子供達は親に当たるようにさえなりました。彼らが迷うたびに、彼女は母親として彼らにアドバイスをしようとしました。でも子供達は、そんなアドバイスは全く聞きたがらないのです。

一人一人の個性が増すにつれ、親は厄介者にまでなってきてしまったみたいです。でも 彼女はそんな子供達の胸の痛みを理解していました。彼女自身も昔は同じことを経験してきたのですから。 彼女は心の奥底で、自分の子供達が良い大人になるには、いろんな経験をし、その困難を乗り越えることが必要なのだと知っていました。

 

10. 家族の家は平和の砦 (Hang Your Trouble on The Tree)

 

彼女は子供達の面倒をみながら、忙しい会社でフルタイムで働き。その上、地元の大学に通い 始めます。そんな日々を過ごしていると達成しなければならないことがあまりにも多すぎて、時には、圧倒されることもありました。時々何もかもがうまくいかず、自分の苦しみをどこにぶつければいいのか分らないこともあります。でも彼女は家の中にそんな問題を持ち込むことは良くないと知っていました。 何故なら家は彼女にとって平和の砦でもあったからです。彼女は、愛する人達の居る家に入る時は、架空の木に自分の抱えているすべての苦しみをその枝にぶら下げ、家の中には持ち込まないことにしたのです。

 

11. 色彩豊かな私の人生

 

ある寒い冬の朝、彼女はたった一人、家で過ごしました。外の白い雪が淡々と積もるのを見つめながら、彼女は自分の人生を振り返り始めます。

「夫と私は子供を授かった後に大学を卒業し、これまで世界中の国々を幾つか訪れ、その後は子供達や将来生まれてくるであろう孫達のために、一生懸命働いてきた。それだから私達の生活のすべてが心躍る毎日だったような気がする。でも今は、子供達も大きくなって家を離れ、なぜか風船をピンで空気を抜いたような虚しさを感じ始めている。」 そんな思いに浸った彼女はしばらく涙を流しました。そして「白鳥は悲しからずや、海の青、空の青にも染まず漂う」と口ずさみました。

 

12. 聞こえますか? 私たちの声が。

 

 

2008年のある夜、アメリカ大統領選挙で勝利したオバマ大統領の演説を聞きました。情熱を持って国民に語りかけるアメリカのリーダーの言葉に彼女は心奪われます。オバマ氏は、新しく任命された大統領として何をするかを語っただけでなく、国のために彼と一緒に何ができるかと国民に問いかけたのです。それは昔のケネディ大統領の伝説的な演説を思い出させました。 彼女はオバマ氏の背景について考え始めます。大統領などと名誉ある地位を達成するためにそれまで非常に多くの障壁を克服したアフリカ系アメリカ人のオバマ氏は、彼女自身がアジア人としてカナダで経験したことよりも遥かに大きな面で人種差別を経験し、その苦労は並大抵なものではなかったでしょう。彼の演説を聞いた後、自分を取り巻く灰色の雲に閉じ込められたまま生きるべきではないと彼女は思いました。オバマ氏のスピーチは、彼女を立ち上がらさせ、これからも何事にも諦めず、目標を達成しなければならないという彼女の気持ちを甦らせてくれたのです。彼女はこれからも自分の生きている意味を追求しなければならないと改めて思いました。

 

13.  飛べよ

 

彼女は何故一般の日本人女性とは大きく異なる人生を選んだのだろうと過去を振り返りはじめます。彼女が育った頃、日本人女性は一定の年齢を過ぎると働くのを辞め。結婚して子供を持つことだけが期待されていました。でも彼女の人生には2つの顕著な出来事があり、それが自分の人生のすべての決断のターニングポイントなのかもしれないと気づいたのです。

1つ目は、彼女の中学校の先生の家庭訪問です。先生は、将来彼女が大学に行くべきだと家族を説得しようと訪ねてきたのです。当時は娘の将来の教育に対する意見は何かと両親にゆだねられました。その時母親は

「うちの娘は女の子だから大学になんか行く必要はないんですよ。娘は結婚するために適切な教育が重要で、良い縁談にたどり着くことができればいいんですよ。」

母親の言葉は、彼女にとって悲しい思い出の一つとなりました。彼女に対しての両親の期待は結婚して子供を持つことぐらいのもので、それ以上は何もなかったのです。その時彼女は何かで打ちのめされたようにさえ感じました。

2つ目は、鎌倉市の黙想会での経験でした。 モントリオール出身の40代の背の高い神父様が、教会の仲間たちと彼女の前に現れました。彼は強いフランス語のアクセントで、日本の若者達に語りかけます。そして黒板に垂直に2つの大きな点を描き始めました。彼は下の点は「誕生または始まり」そして上の点は「死または終わり」を意味すると言いました。

そして彼は続けます。

 

「人によって、誕生から死への道は異なります。 まっすぐ下から何事もなく上に辿り着く人もいれば こんな風長い道を選ぶ人もいます。」そう言うと彼は下から上にうねった波のような線を引きました。そして最後に、ギザギザの線を下の点から上の点に引いて、

 

 「この線は岐路に立つ度に、冒険に満ちた、又は突拍子もない道を選んだ人の人生を意味します。」

 

それから彼は続けました、「皆さんは将来の航路はあなた自身が選ぶものだと考えていますよね。でも本当は、皆さんの将来はすでにより高い何かのパワーによって選ばれているのです。ということは、皆さんの人生の岐路はすでに定められているということです。ですからよく考えてみてください。もし、人生で分岐点に出会ったときにすでに貴方の岐路の選択が行われているのであれば、より挑戦的で興味深いと感じる方を選んだほうが、退屈で平凡な人生ではなく素晴らしい人生を過ごすことができると思いませんか。もちろん、時には間違った決断をしたと感じることもあるでしょう。でもそれは皆さんの岐路の一部に過ぎないことを忘れないでください。どちらの道を選んでもいつかは最後までたどり着くのです。要するに私たちが死ぬ前に言いたくないことは、「私はやればできたのに、やるべきだったのに、そしてやれば良かった。」と後悔することです。それを避けるためには、自分の決断を後悔しないことです。とにかく皆さんの将来の岐路はすでに決まっているということを忘れないでください。それを心にとめているなら、なぜ後悔する必要があるでしょうか。

 

「貴方達はまだ若いのです。 そして未来が待っています。 海外に行って、自分の目で世界を見てきなさい。」 これらの言葉は心の奥底にある何かを掻き立て、まだ見えぬ未来に挑戦したいと彼女は思ったのです。

 

女性へのメッセージ

女は時に娘であり

妻であり、母である

それ故女は夢を忘れ

希望を潜め

時には愛をも捨てて

我を主張することも無く

しばしば暗闇に包まれてながら

人生を生きる

 

だが女はある時自分自身が

娘、妻、母である前に

一人の人間でもある事に目覚める

そしてその時、忘れかけていた

夢、希望、時には愛が

胸の底にまだ潜んでいる

自分に戸惑う

 

立ち上がれ女よ

貴方を包むあらゆる暗闇を吹き飛ばし

まず一人の人間である事に誇りをもって

精一杯立ち上がれ

それこそが、素晴らしい娘、妻、

そして母であることの

証でもあるのだから