[Japanese][English][top]

 

愛、恋、旅、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)

 

 

夢 (第四章)

 

やがて汽車はスエーデンの国境に近づき、ノルウェー国内のハルデンという街に着きました。彼女はその駅で降りて、郊外にあるユースホステルにその晩は泊まるつもりだったのです。でもその宿泊所はかなりポプュラーだったらしく、彼女がたどり着いた頃には建物の前の小高い丘に沢山の旅行者達が列を作って並んでいました。その時に3人の若いドイツ人に巡り合ったのです。彼らはフランクフルト出身で、そのうちの二人は歯科大学に通っている男性、ウルフガングとフレッド。もう一人は愛らしい同じ年頃で、フレッドの彼女のヘルガでした。男性二人は、いかにもドイツ人のお医者様らしく、良く整った口髭と顎髭を生やし、マナーもとても紳士的で好感が持てました。彼等3人も北欧旅行の帰り道にあるそのユースホステルに泊まろうと偶然にも彼女のすぐ後ろに並んでいたのです。初めて会った時から何故かお互いに好感を持ち、丘の上で待っている間簡単な英語で言葉を交わしました。

 

ユースホステルの事務所に程遠くない所迄20分ほど一緒に並んでいたのですが、残念ながらその日はホステルは満員になり、これ以上宿泊者は受け付けないとホステルの事務員から知らされます。それなら他の宿泊所を一緒に探そうと、知り合ったばかりのドイツ人達に彼女は誘われ、彼等のフォルクスワーゲンに乗せて貰うことになりました。車の中で話をしている間に4人の若者は、ますます意気投合し、彼等の残りの休暇1週間をそのまま一緒に旅をしないかと彼女は誘われました。特別に決まった計画も無いし、こんな機会は二度とないと思った彼女はそんな提案をしてくれた彼等に感謝し、便乗させて貰うことにしました。彼等にも彼女が加わって4人で旅行することにはメリットが沢山有ります。男子と女子に分かれて二つの部屋を求めれば、ユースホステルよりもプライベートで、朝食付きの居心地の良い民宿や、安いホテルに泊まる事まで出来るのです。

 

彼女はその日から3人の会話を毎日聞くことになり、彼等がドイツ語を話している時には何を話しているのかさっぱり解りませんでしたが、彼等の話し方にとても興味を持ちました。威厳のある、そして言葉一つ一つごとに唾を吐いているかのように音声を出しているドイツ語は男性であるウルフガングやフレッドに向いていて、女性のヘルガが話すと何となく男っぽく聞こえるのです。そして三人が文章の最後にいつも「ヤー、ヤー」と加えるのが何故かとても印象的でした。それに比べて彼女が後にパリで習ったフランス語は特に女性に向いていて音質が柔らかく、男性が話してもロマンチックに聞こえるのです。そう言う理屈を使って言葉だけで判断すると、ドイツの男性とフランスの女性が自分達の言葉で一緒に話しをしたら、どんなに素敵だろうな、なんて一人で想像した彼女でした。

 

ドイツ人の友達と一緒に楽しい旅を始めてから数日後デンマークに着き、まずは民宿を探しました。思ったよりすぐ、赤い屋根と白い壁の奇麗な二階建ての農家の民宿が見つかり、その夜、近くの村にあるレストランに一緒に食事にでかけます。ロマンチックな照明の中、ワインを飲み、美味しい肉料理に舌鼓をしながら、素敵な時間を一緒に過ごしたのですが、恋人同士のフレッドとヘルガが、今まで以上にお互いを見つめ合い、耳元で囁きあっています。それが影響したのでしょう。帰り道に二人の恋人たちをレストランに残し、彼女はウルフガングと民宿まで一緒に歩いたのですが、少し酔いすぎたウルフガングが彼女に迫ってきます。彼女は慌てて自分はカトリック教徒で、日本にフィアンセがいるのだと説得すると、彼は酔いがさめたように、また紳士に戻りました。ウルフガングはとても素敵で、もう少しで心を奪われてしまうところでしたが、彼女はどうにか窮地を避けることができたのです。フレッドとヘルガの恋人同士のやり取りを一週間以上毎日の様にウルフガングは見ていたので、とても寂しい思いをし、誰かにその寂しさを癒して貰いたかったのだと彼女は思いました。

 

朝起きて皆と一緒に民宿の一階に行くと、引き立てのコーヒーの匂いが台所一杯に漂っています。焼き立ての固めの丸く大きなパン、新鮮なチーズ、ホームメイドのジャム、フルーツなどがテーブルの上に上品に置かれていて、デンマークならではの朝食を一緒に楽しみました。ウルフガングも彼女もその前の晩にあった出来事が何でもなかったように振る舞いながら… でもそんな事が有ったせいで、もっとお互いを尊敬し始めたのも本当です。民宿を後にしてから、食材を近くのマーケットで買い求め、次の目的地に向かい、その途中にあった野原でお昼を食べる事になりました。

 

その日はピクニックをするには最高の日和で、木陰のある場所に皆が座れるようにとウルフガングとフレッドが幾つかの簡易椅子を並べ、その椅子の前にブランケットと赤と白のパターンのテーブルクロスを敷いてくれました。そして皆で少しずつお金を出して村のマーケットで買ってきたパン、ハム、果物や飲み物をテーブルクロスの上に並べ、青空の下で何も気兼ねも無く、お腹一杯になるまで食べたのです。すると何となく眠気がさし、ブランケットの上で彼女はうとうとと眠りにつきました。そしてその時彼女はこんな夢を見たのです。   

 

「夕暮れの真っ赤な空に囲まれた野原で、黒い手袋をした見知らぬ人が暗闇の中からそっと現れました。そして彼女に白い花束を差し出します。彼女がその花束を彼から受け取ると、彼は優しく彼女を抱擁しました。その人を追って、まだ行ったこともない街々を彼女は一人さ迷います。彼女が通り過ぎた道はその後すぐ消えてしまい、時々後ろを振り返って見ると、ただ暗い闇だけが彼女を包んでいました。」

 

そんな夢から彼女が突然目覚めると、遠く見上げた空には太陽だけが眩しく輝いていました。その太陽から放った光の熱さが何故か彼女の胸を熱く燃やしたのです。そんな中、その夢が何を象徴しているのかと彼女は考えました。その夢は、僧服の彼への愛も、少し前に日本に残してきた彼との恋も、そしてウルフガングとの出来事も、皆過ぎ去ってしまった事なのだというメッセージだった様に彼女には思えました。

 

 

夢を見たの、忘れられない。

真っ赤な空に、白い花束。

暗い影から、まだ見ぬ誰かが、

黒い手を差し伸べ、私を抱く。

 

見知らぬ街を、一人さ迷う。

通り過ぎた道は、暗闇に消える。

夢から覚めて、見上げる空に、

私を燃やす、太陽が光る。

 

その後も彼女は彼等のフォルクスワーゲンに便乗し、ドイツまで一緒に旅行を続け、早くも一週間が過ぎてしまいました。ドイツに入ると、アウトバーンと言う高速道路を車が走ったのですが、速度無制限の道路だったので、まるでフォーミュラワンの自動車競技場に出場したかのように走り続け、少し怖い思いまでしました。そして彼等の故郷であるフランクフルトに着くと、彼等は今まで通りの生活に戻り、彼女は一人、街の川沿いにあるユースホステルで過ごす事になったのです。

 

久々のユースホステルの滞在でしたが、ドイツのホステルは規則が色々あって、食後の食器の片付け、食堂内の簡単な掃除、そしてお皿洗いまで宿泊者全員に任されたのです。彼女ももう一人の男性とお皿洗いをする事になりました。その男性は、水をジャージャーと流し、お皿を洗ってすすぎ、彼女に渡しました。彼女は渡されたお皿を一枚一枚丁寧に拭いていたのですが、その時、ホステルの責任者がそばに来て、

 

「水は大切な資源ですから無駄に使わず、できるだけ節約するように。とにかく水をジャージャーと流すのだけは控えてください。」

 

と、お皿を洗っていた青年に細かく説明し始めたのです。そしてその責任者は、2つある流し場のシンクに洗剤を入れ、もう一つのシンクを奇麗に洗うと、その中に新しい水を溜めました。そしてまず洗剤が入ったシンクにお皿を入れ、それを洗って少し水を切ると、もう一つのシンクに入れて奇麗にすすぎ、また水を切るとそのお皿を彼女に渡したのです。その頃の日本では、流し場のシンクは一つしかなかったので、プラスチックの大きなボールに水をためるか、ジャージャーと水を流しながらお皿を洗っていた彼女は、自分に注意された訳でもないのに少し恥ずかしい思いをしました。そんなホステルだったので施設はとても清潔で、居心地が良く、ドイツ人の几帳面な所に彼女は感謝したい気持ちにまでなりました。

 

フランクフルト滞在中は、たまたま週末だったので、一緒に旅行したフレッドの家に昼食に招かれたり、有名な植物園に一緒に行ったりもしました。そして二日程滞在した後、仲良くなったドイツ人の友達とフランクフルト駅で別れを告げ、彼女はただ一人ケルンへと向かいました。

 

ケルンの街には大きさでは世界第三のカトリックの教会があるとガイドブックに書いてあったので最初にそこを訪れることにしました。その教会の名前はケルン大聖堂、最近では日々、2万人以上の人々が訪れているというヨーロッパではかなり有名なゴシック様式の教会です。彼女がその建物の前に立つと、空まで届くように高く聳(そび)える大きな尖塔が2つあり、その後ろには何十もの小さな尖塔が教会の屋根を飾っていました。その歴史ある煤けた灰色の建物の偉大さは言葉にならない程圧倒的でした。

 

勿論、彼女が訪れた1970年にはそんなに沢山の訪問者もいなかったので、教会の中はとても静かでした。何十本の柱が教会の屋根を支えていて、祭壇までの距離が信じられない位遠く、ベンチが左右に入り口から祭壇まで並んでいます。祭壇の前と両壁に沿って、いくつもの蝋燭台があり、その上に何百もの小さな蝋燭が並んで置いてありました。蝋燭に火をつけ、その前に頭を低く下げ、ひざまずいている信者の姿もあります。きっと亡くなった人のためにお祈りをしていたのでしょう。もうすでに灯されていた何百本の蝋燭の火が薄暗い教会に柔らかい光を放ち、それらの蝋燭から、ほんのりと立ち上っている小さな白い煙が教会をもっと厳粛な雰囲気にしています。その神秘的な光景を後押しするように、男性だけで歌われたグレゴリアンのメロディーが教会の中に静かに響きわたり、息をするのがもったいないと思ったくらい彼女の胸を締め付けました。その歌声は、信者でなくても救世主キリストの存在を何となく感じさせるだろうと彼女は思いました。こんな雰囲気をステージできる、カトリックの教会の凄さに彼女は感動しました。

 

その後ケルンの街をどことなく歩き、ユースホステルで一泊。そして彼女はアムステルダムに向かいました。最初に訪れたのは運河沿いにある世界的有名なアンネの家です。アンネの日記を読んだ事が有る彼女は実際にその作者が住んでいた家の前に立っていると思っただけで感動しました。アンネの隠れていた4階建ての家は何件も立ち並んだ、間口の狭いこげ茶色のレンガの家々の一部にあります。日本語の説明が書いてあるパンフレットを入り口で頂いて、薄暗い狭い階段を下りてくる他の観光客を避け、窮屈な思いをしながら階段を登ります。そうすると本棚がドアのように開けてある所までたどり着きました。その本棚が隠れ家の入り口で、ドアの後ろを通るとアンネが2年もの間隠れ住んでいた狭い部屋があります。そんな小さい部屋の中で音を出すことも許されず、7人の他の人達と一緒に、ヒトラーの迫害から逃れて隠れて暮らしていた、一人のユダヤ人の少女の悲しい人生が彼女の心を揺さぶりました。1944年にアンネの家族は捕らえられ、収容所に送られたそうです。あと一年隠れることができたなら、第二次世界大戦も終わって家族全員生き延びられたのですが… そんな思いが彼女の心を過(よ)ぎります。そしてそんな恐ろしい経験をせずに、今までを過ごせた自分が本当に幸せだと感じました。

 

アムステルダムの中心街を彼女が歩いていると、所々に目についたのはお土産屋さんです。大きな窓ガラスの中に並べられていたのは、薄茶にぬられた木靴に小さいけれどカラフルな絵が描かれた、実際に履いたらとても窮屈そうなクロッグでした。あんな硬い木の靴を履いてこの国の女の子たちはどうやって歩くのかしらと思ったのですが、その時、日本の舞妓さんのぽっくりを思い出したのです。そして外国人が日本を訪れて、花魁(おいらん)や舞妓さんが履くぽっくりを見たら、彼女がオランダの木靴を見た時と同じような事を言うだろうなと思い、苦笑しました。その木靴が並んでいる上の方にはオランダの女の子の民族衣装が何点か展示されています。真っ白いブラウスに赤、黄色、青、そして緑のカラフルな刺繍が上腕や胸に施されていて、そのブラウスとスカートの上には可愛いらしい前掛けが掛けてあり、その上には三角形の白い帽子も幾つか並んでいました。

 

その後また運河に沿って彼女が歩き続けていると、2頭の真っ白い馬に引かれたエレガントな馬車が見えてきました。その近くで素敵なドレスを着ておめかしをした女性達、そして正装した何人かのオランダ人の男性達が古いレンガ造りの教会の前や階段の上で立ち止まり、入り口の方を何かを待っているように時々見つめています。彼女もその人達に歩道を塞がれ、行く場所を失い、今から何が始まるのだろうかと興味津々、教会の入り口の方向を見つめます。すると黒いタキシードを着た新郎と、裾の長い真っ白なレースのドレスを着、ベールをかぶった、眩しいほど美しい新婦が教会の前の階段を下りてきました。その二人を迎えた人達が急に声を上げ、将来の幸運を祈るかのように白いお米を思う存分、新郎新婦に投げかけ始めたのです。その風景を見て彼女はびっくり。こぼれるような笑顔で階段を下りてきた新夫妻は、教会の前で待機していた素敵な馬車に乗り、結婚式に参加した人達に手を降りながら教会を去りました。彼女はまるでお伽の国の王子様とお姫様を見た気分になります。

そんな夢のような光景を後にして、次は、ダム広場という所に着きました。そこでは街の人々がハトに餌をあげていたので、彼女は一休みしようとベンチに座ります。クークーと鳴きながら首を前後に振って歩いていたり、空に向かって飛び跳ねる灰色のハトの群れ、そんな風景は日本と全く変わりが無いんだなと感心しながら彼女はその光景を楽しみました。そのあとは運河沿いに幾つか並んで浮かんでいる、色とりどりの大型のボートの家々を興味深く見て、そこに住んでいる人達はあんなに狭いボートの中でどんな風に毎日を過ごしているのだろうかと彼女は想像してみます。休暇中に短期間ボートに乗るのは楽しいでしょうけれど、一生その中で生活するのは窮屈で、たぶん彼女にはできないことだと思いました。

 

そのあと、彼女は世界中で有名なアムステルダムのレッドライト地区に行ってみました。日中ならそこを訪れても問題ないとガイドブックに書いてありましたので… ちょっぴり恥ずかしい思いをしながら、それでも興味深く運河に沿って歩いていると、どの建物にも大きなガラス張りのウィンドウがあり、その向こう側には一つのウィンドウに一人ずつ、赤いライトの下で真っ赤な口紅をした遊女達が体を怪しげに左右にゆっくりと揺らしたり、椅子に深く座って長い脚を組んだりして、窓の外をじっと眺めています。そして日中だというのに、人が通る度に、その人達に何度も声をかけています。彼女達は皆、ほとんど裸体といってもいい位の恰好で、ピンクや赤の透けて見えるネグリジェを着て、そして驚いた事に彼女が通りすぎると、急に口笛を吹き始め、人差し指で彼女を誘うような仕草をしました。そんな彼女達の誘いにどうして反応してよいのか解らず、さっさとその場を通り過ぎてしまいました。あとで彼女は思ったのですけれど、遊女達にしたら、あんなお金もない東洋人の若い女の子が、ただ興味津々なだけでレッドライト地区に来たのだろうと、面白がって彼女に声をかけたのでしょう。それは彼女にとっては生涯初めて、そして最後に見た不思議な光景でした。でも随分後になって、ある日本人の報道人から聞いたのですが、単独で旅行している日本女性の中にもそんな状況にはまってしまった人もいたのだとか… やっぱり女の一人旅は危ないものです。

 

次はベルギーに彼女は向かいます。まずガイドブックに載っていた中世期の建物や、美しい運河巡りで有名なブルージェに行きました。そこで彼女が最初に訪れたのはマルクト広場です。ガイドブックに書いてあった通り、ブルージェには中世ヨーロッパの建物が広場の周りに沢山立ち並んでいました。狭い石畳の小道を歩き、中世期独特の建物の美しさに彼女は感動します。こんなにも多くの昔の建物がそのまま保存された町は他にもあるのかしらと、ふと思いました。その後のんびりとボートに乗って運河巡りをします。静かな緑に囲まれた運河沿いにある歴史深い家々や修道院などが運河の水に反映してゆらゆらとその姿を現したり消えたりしています。時には太陽の光で揺らぐ水を眺めたり、真っ青な空を見上げたり… ゆっくりと動くボートの上で時の流れを忘れ、彼女はまるで自分自身が中世期に訪れた気分にまでなります。あの魔法で包まれたような運河巡りは、今まで経験したことのない優雅なそしてとても印象深い時間を彼女に与えてくれました。

 

あまりにもその経験に感動した彼女は、ボートのガイドをしてくれたピエールさんに日本から持ってきた小さなお土産を感謝を込めて渡しました。するとピエールさんはボート乗り場のそばにある小さな屋台に連れて行ってくれたのです。その屋台は彼の友達が経営しているとのこと。屋台の真ん中には大きな鍋が添えてあり、その鍋の中にはセロリや玉ねぎが入っているスープがたっぷり入っていて、ぐつぐつと音を立てています。野菜に交じって、茶色くて小さな何かが沢山浮かんでいたので、「あれは何ですか?」とピエールさんに彼女が英語で聞くと、「カタツムリだよ。」と、彼は言いました。その時、日本の実家の庭で時々捕まえたカタツムリを思い出し、あんなヌメヌメしたカタツムリを食べるなんてと思い、ピエールさんが冗談を言って居るのだと彼女は初めは思いました。が、彼によるとそれはエスカルゴといってヨーロッパではかなり有名な前菜だというのです。ゴーメー料理を食べた経験はロシア旅行中以外あまり無いその時の彼女には、そんな知識は全然無かったので、ちょっと食べることに躊躇しました。でもせっかく食べさせてくれるのだし、気分が悪くなったらそれはそれで良いと覚悟を決め一口食べてみると、あまりにも美味しいので全部食べてしまいました。ピエールさんに、今度はエスカルゴを食べさせてくれた事のお礼を言って、彼女は駅に戻りました。次はアントワープに向かいます。

 

ベルギーのアントワープの駅に着いて、さてこれからどこへ行こうかと彼女が思っていた時に2人の若いアイルランド人の男性に会いました。彼らの英語は、彼女が日本で英会話の学校に通っていた頃のアメリカ人の先生のアクセントとは全く違っていて、独特で、あまり英語が話せない彼女にはもっと解りずらかったのですが、幸い訪れた場所の名前ぐらいは聞き取れました。彼らも彼女と同じようにあても無しにヨーロッパ旅行をしていることを知り、それまでのお互いの旅の情報を交換しました。かなり長く旅行を続けていたらしく、二人とも髭もじゃで、髪も長く、散髪には全然縁が無いような姿をしています。その上、膝がよれよれのジーンズとくたびれたブーツを履いていて、この人たちが最近日本で話題になっているヒッピーなのかしらと彼女は思ったのです。そして彼らは、彼女と同じ様に重いリュックを背中に担いで歩いています。でもなぜかそれが板についていて何となくカッコイイナとも彼女は思いました。最後には駅の前で一緒に写真を撮ったり住所を交換したりして、結構楽しい時間を費やします。彼らはアントワープの観光を終えて、駅から次の目的地に向かっていたので、駅でお別れを告げ彼女は街の中心街に向かいました。

 

アントワープの町並みはブルージェと同じく典型的なヨーロッパの中世期の建物が多くありました。大きな広場の中を歩いていると、小さな屋台の前で沢山の人が並んでいるので何を売っているのだろうとその行列に加わります。その屋台から揚げ物の美味しそうな匂いが漂ってきます。そのお店で売っていたのは白い紙袋一杯に詰められた太くて長い揚げたてのフライドポテト。それと一緒に、マヨネーズが付いてきたので彼女は驚きました。それまではケチャップを付けてしか食べたことがなかったので、エレガントな食べ方だなんて彼女は感心しながら食べてみると、それが以外に美味しかったのです。

 

次はルクセンブルクに彼女は向かったのですが、ガイドブックを調べるとルクセンブルク国の面積はとても小さいと書いてあります。たったの2586平方キロメータしかないそうです。東京の面積より少し大きい位だと思います。そしてその首都ルクセンブルク市の面積は51.47平方キロメータだとか。ですから彼女は、そんなに小さい市なら東の端から西の端まで歩いて行けそうだなんて思いました。でも実際には試してみませんでしたけれど…