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愛、恋、旅、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)
5.憧れのパリ
ルクセンブルクを去った後、彼女はパリに行く予定でした。朝十時出発のパリ行きの汽車に乗ったはずなのですが、プラットホームを間違えたのでしょう、彼女が乗った汽車は全く違った方向に向かっていました。そんな事には気付かず何時間もその汽車の中で過ごしたのですが、車掌さんが彼女の切符を確認した時、初めてその汽車がパリ行きでない事を知りました。そんな間違いに気が付いた頃には汽車はパリからかなり遠い所を走っています。慌てて次の駅で降り、パリ行きの汽車に乗り換え、やっと目的地に彼女が着いたのは夜の7時過ぎ。汽車を間違えなければお昼頃にはパリに着いていたはずなのですが… 幸いにもパリに着く直前に、たまたま隣り合わせた親切なフランス人の女性が駅の近くの安いホテルを彼女に紹介してくれたので、夜中にユースホステルを探さずに済みました。
パリにはとても古い建物が多く、汽車の中で逢った方に勧められたホテルもその一つです。エレベーターがあったのは良かったのですが、それはアメリカで初めてエレベーターが設置された頃と同じようなモデルで、とてもキャシャな物でした。黒い細い鉄網がエレベーターを囲み、ドアは蛇腹方式、上がり下がりすると床以外は四方八方待っている人や床の隙間まで目の前に見えるのです。ですから何となくアメリカの昔のホーラー映画にでも出てきそうなエレベーターだなと彼女は思いました。まして薄暗いところに設置されていたので、一人で乗る時はとても不安な気持ちにまでなりました。
でもパリは彼女の憧れの街です。小さい頃からシャンソンが大好きで、パリに来ることを彼女は心待ちにしていました。翌日古いホテルを出発し、鈍よりとした雲の下で、待ちに待った彼女のパリの探検が始まりました。まずは凱旋門から出発し、シャンゼリゼ通りをぶらぶらと歩いて、屋外カフェやエレガントな洋服を展示しているお店の前を通りました。ミニスカートと長いスカーフを格好良く着こなしているパリジャンヌを何人も通り過ぎ、「神様は何でこんなに素敵な女の子ばかりをパリだけに集めたのかしら」と、羨ましい気持ちを抱きながら彼女は歩き続けました。
その後オペラハウスを訪れ、威厳のあるその建築の素晴らしさに目を見張り、次はエッフェル搭にでも行こうかと彼女が思っていた時、雨がしとしとと降り始めてきます。濡れて風邪でもひかない様にと、日本からわざわざ持ってきた赤い花柄の傘をさし、オペラハウスの前の信号のある一角で立っていると、後ろから誰かが日本語で彼女に声をかけてきました。
「今日は。」
驚いて彼女が後ろを振り向くと、30代位の日本人男性2人が雨の降る中、傘もささずにたっていました。2人とも両手をポケットの中に居れ、肩を耳の方まで上げ、なるべく濡れないようにと体を丸める様にして彼女を興味深く見ています。
一人は体が小さくて白いTシャツとジーンズをはいていましたが、何となく板前さんを思い出させる顔立ちをしていました。もう一人はあの頃の日本人にしては背がちょっと高く、上から下まで黒ずくめの洋服を着て、髪は伸び放題、大きめな顔に黒縁の眼鏡をかけ、どちらかというと大学の教授を思いださせるような恰好をしています。
「今日は。」と、彼女が言い返すと、
「ほら、やっぱり日本人だ。パリに来て傘をさすなんて日本人しかいないからな。」
と、小さい方の男性が言いました。
それを聞いて彼女は、交差点の辺りに行き来している人達を見回しましたが、彼の言うとおり、傘をさして歩いている人は彼女以外には誰もいません。ちょっぴり恥ずかしい思いもしましたが、それだからといって傘を閉じてずぶ濡れになるなんて理屈に会わないと思い、彼女はそのまま傘をさして彼らと話し始めました。
初めて会った人にずけずけと物事を言う失礼な人逹だと彼女はその時思いましたが、話してみると意外に親切な方達で、エッフェエル搭まで彼女を案内してくれることになったのです。その上、時間があるからといい、ソルボンヌ大学の食堂までお昼を食べに連れて行ってくれました。そしてお昼を食べてる間にどうして彼らがパリに住んでいるかを彼女に教えてくれたのです。フランス語の話せる教授みたいな男性はパリの大学に通うために、そして板前さんらしき男性は天龍という日本の玄米食堂でクックとして働くためにパリに来ているとのこと。
そのクックさんによると、彼は11月半ばには日本へ帰国するので、引き継いでくれる女性を猛訓練している最中だというのです。その女性はそれ迄ウエートレスをしていたので、今度は彼女の仕事を受け継いでくれる人を探しているのだとか。と言う訳で、
「11月半ばから天龍でウエートレスの仕事をする気はありませんか?」と、彼女に尋ねました。
見知らぬ日本人の女性をエッフェル塔まで案内してくれ、親切にお昼までごちそうしてくれたのは、ウエートレスの後継ぎを探していたからかもしれない、と彼女は心の中で思いました。そしてその仕事に誘われたという事は、ウエートレスの仕事の第一面接に通ったと同じ様なものだと。もっともパリで日本人に合える事はあまり無いので、彼女でも仕方が無いなんて思っていたのかもしれませんが…
でもその話は彼女にとっても悪いものではありません。どうしてかと言うと、日本から持参してきた旅行資金はいつか尽きるだろうし、日本に帰る飛行機の切符も後に購入しなければ帰国できない。もしパリで働かせて貰えるなら、もっとヨーロッパに長く居られるどころか、帰りの飛行機代も稼げる。こんな素晴らしい機会は二度とないと、その時彼女は思いました。とにかくどんな職場なのか見に行って働くかどうかを決めようと、郊外にあるそのレストランまで彼らについて行くことにしたのです。
天龍レストランは玄米を主にした健康食を提供しているパリでもかなりポピュラーなお店で、有名人にもとても人気があるのだと彼等から聞きました。お店はパリの静かな郊外にあり、ヨーロッパでよく見る長屋の様な木材商店街の一部で、綺麗なオリーブ色のペンキが外側に塗られています。看板は黒っぽい地に金色の漢字で“天龍”と大きく筆で描かれていて、通りすぎる人の目が留まるように窓の上に掲げてありました。その日は休日でしたのでお客は誰もいません。レストランの中は簡素なテーブルが2列に並んでいて20人位しか座ることのできない、思ったよりは小さな食堂でした。壁一面には乾燥された半分に割った細長い竹が上下に張り詰められ、いかにもオリエンタルの雰囲気を醸(かもし)出した装飾がされています。
レストランの台所を通りすぎると右側にドアがあって、そこを出ると小さな中庭がありました。そしてその中庭の向こうにはこぢんまりとした建物があり、その建物がオ-ナーの家だとのこと。クックさんがドアのベルを押すと、金髪の髪を上品に頭の上にまとめて、白いカーデガンと、灰色のスラックスをはいた小柄で気品のある60歳位に見える女性がドアを開けました。そしてクックさんが事情を説明すると、笑顔で彼女達を家の中に招いてくれました。オーナーの名前はマダムリヴィエール。彼女が後で聞いた話ですが、マダムリヴィエールは14歳頃何らかの病気を患って何年も歩く事ができず、車椅子に乗って過ごしていたそうです。でも幸いにも日本からパリに来ていたドクター大澤から玄米を主にした料理法を習い、その食料法を献身的に従って、数年後その病気から解放されて普通に歩けるようになったそうです。彼女が初めて会ったその時マダムリヴィエールは72歳、本当の年よりはかなり若く見えて、信じられない程ピンピンしていました。レストランだけで無く、その隣の健康食品も経営している、玄米食料法を心から信じていたドクター大澤の第一崇拝者だったのです。
そんな奇跡の様な素晴らしい話を聞き、彼女は心から感銘を受けました。その後、話はトントンと進み、クックさんの訓練を受けていて、その時はまだウェートレスをしていた若い女性とも会い、お互いにとても気が合ったので、11月半ばから天龍で働かせてもらう事になりました。その晩は天龍の近くの安いホテルをクックさん達が紹介してくれ、その上、11月半ばに彼女が働き始めるまで天龍で彼女の重たいバックパックを預かってくれるというのです。棚から牡丹餅と言うのはこんな事を言うのでしょう。
でも一つパリで気になった事も有ります。それはトイレです。彼女が泊まった安いホテルでもそうでしたが、天龍でもトイレは狭い四角い部屋の真ん中に両足を乗せるところだけが突起していて、その周りはとても汚いのです。一応水洗のトイレでしたが、使い慣れるのに時間がかかりました。外人の方達の中には日本のトイレは使いづらいという方もいますが、少なくとも床は、かなり高いところにあるので、汚いというイメージは有りません。もっともあの頃の日本の公衆便所はあまり感心できないところもたくさんあると彼女も思いましたが…
パリにもまだ見たい所がたくさんあったのでその後二日程クックさん達が紹介してくれたホテルに泊まることにしました。翌日の朝彼女はルーブル博物館に向かいます。ルーブル博物館で沢山の著名な画家達の作品を鑑賞しましたが、特に彼女の記憶に残っているのはレオナルドダヴィンチのモナリサです。あの世界的に有名な肖像画の実物を目の前で見ることができるのだと、とても期待していた彼女でしたが、あまりキャンバスの小さいのに驚き,本当のことを言って少しがっかりしました。でもやはりあの有名な笑顔は、何となく神秘的で何十年たった今でも彼女の頭の中に記憶があるのですから、かなり強い印象を受けたのだと思います。もっともモナリザの肖像画はテレビでも雑誌でも頻繁に見られるので、忘れたくても忘れられないのかも知れませんが…
忘れられない絵画と言えば、話が少し戻りますが、パリに着く数日前に訪れたアムステルダムのゴッホ美術館で見た油絵の数々です。彼の自画像やヒマワリの絵は素晴らしいと思いましたが、それよりまして彼のスターリーナイトの絵がとても印象に残りました。ミッドナイトブルーに明るい黄色の星が渦を巻くように輝いている油絵。その色彩が彼女の心に何かを訴えているように思えたからです。ゴッホは生涯貧しい生活をしながら絵を描き続け、亡くなった今でだからこそ絵の価値が認められているのです。でも本人でなくて、彼の生前にゴッホから絵を安く購入した人々が彼の死後に絵を売って大儲けしたなんて、絵画の世界とはなんと不公平な世界なのでしょうと彼女は思いました。生涯、自分の絵の価値がどんなに高価なものかも知らずに亡くなってしまったゴッホがとても不憫に思えてなりませんでした。
もう一つアムステルダムを訪れた時に彼女が見た絵の中でとても印象に残った油絵はアムステルダムの国立美術館で見たレンブラントの代表作“夜警”です。それは、縦3.63m、横4.37m もある大きな油絵で、彼女がそれまで見た額に入っている絵の中では、いちばん大きな油絵でした。ですから見た瞬間、彼女はあっと息をのみました。黒っぽいバックグラウンドに、実物大の夜警達がスポットライトで当てられた様に浮かび上がっていて、本当に息をして絵の中に納まっているような印象を彼女に与えたからです。彼女は17世紀の人々の生活を垣間見たような気持ちまでして、その素晴しさに圧倒されました。やっぱり世界中で名を挙げた画家達の作品はかけがいのないものです。凡人とは全く違った感覚で名作を残しています。こんな貴重な絵がいつまでもいつまでも守られて、子孫までも圧倒させてくれるよう彼女は心から祈りたい気持ちになりました。
パリのルーブル博物館のモナリサを鑑賞した後、セーヌ川の畔を歩き、その川沿いに高く聳えるノートルダム大聖堂を見学にいきました。ケルンの大聖堂ほど大きくはありませんでしたが、やはりゴシック様式の教会で、どちらかと言うと今まで見てきた尖塔が目立つ教会とは全く違った建築物で、前から見ると二つの長方形の建物がエレガントに立ち並んでいるという印象を受けました。中に入ると、バラの形をしたステンドグラスのローズ窓から降り注ぐ七色の太陽の光がとても印象的な、素敵な教会です。
翌日、天龍のウエートレスをしている女性とモンマルトルの丘へ行きました。長い階段を上って丘の上からパリを見渡すと素敵な街の全景が目の前に現れます。遠くに見えるエッフェル塔を囲むように何千もの白っぽい建物が太陽の光を受けて輝いていたのです。丘の頂点にあるサクレクール大聖堂の裏側にはテルトル広場があり、そこで世界中から集まった無名の画家達が沢山たむろっています。そしてお互いに腕を競いあうかのようにキャンバスに一心を注ぎ、パレットを片手に、そして筆をもう一方の手に持ち、カラフルな油絵の具を重ねるように塗り、独特の色合いを生み出していました。この人達の中からも、ゴッホや、レンブラントのような有名な画家がいつの日か生まれるのかしらと思いつつ、パリを満喫しました。