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愛、恋、旅、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)
ここはグラナダ(第六章)
そしてその晩、夜汽車に乗り、スペインの首都マドリードに向かいました。天龍で重いバックパックを預かってくれたので、その時点からは、彼女はボストンバッグとハンドバッグだけの軽い身で旅行することができることになったのです。情熱の国スペインで、まず肌で感じたのは太陽が放つ暑い日差しでした。もう9月半ばなのにも関わらず、今まで訪れた北欧やドイツ、フランスなどと比べるとかなり気温が高く、汗をかく位の暑さです。何となく不愉快なパリの天気に比べてマドリードは真っ青な空に包まれ、身も心も軽く感じました。でも駅について一つ気になったのはスペイン人の話し声の大きさです。今までどの国に行っても気にならなかった周りの人々の会話が、マドリードの駅近辺では皆が喧嘩でもして怒鳴っているように聞こえました。男女問わずにです。これには彼女も驚きました。
チャマルテン駅を去り市内に行くバスを彼女が待っていると、その近くで交通管理をしていた中年の男性に話しかけられました。警察の人なら安心できるだろうと気を緩めて片言の英語で話し始めたのですが、それが大間違い。どういう訳か、彼もマドリードの市内まで行くのだと云い、一緒にバスに乗ることになったのです。バスの終点でその警官に別れを告げ、繁華街を一人で彼女は歩き始めたのですが、その後何となく誰かにつけられている気がしました。気になって後ろを振り返ると、その警官が彼女のすぐ後をついて歩いてくるではありませんか。始めのうちは彼もたまたま彼女と同じ方向に行かなければならないのだろうと思い、あまり気にしていませんでした。でも5分経っても10分経っても、何処までも、何処までも彼女の後ろについてくるではありませんか。彼女が少し早めに歩くと、彼も同じようにスピードを上げてついてきます。真昼なのにこんなことが起きるはずがないと彼女は思い、それでも胸がどきどきし始め、どこもかしこも構わずその警官から必死に逃れようとして繁華街をさ迷いました。最後にはショッピングの客で賑わっているデパートの中のエスカレーターを、上に下にと乗り換えている間、人ごみに交わる事ができ、やっとその交通警官から逃れることができたのです。それは映画の中のヒロインが殺人者から逃れて、あちらこちらと走り回るというサスペンスの物語に出てくるようなシーンと全く同じでした。そんな冷や冷やする様な25分間ぐらいの出来事がスペインに訪れた彼女の初めての思い出となってしまったのです。
でも本当のことを言うと、そんな経験をしたのはそれが最初ではありません。また話が戻りますが、何日か前にルクセンブルクを訪れた時です。ルクセンブルクでは特別に訪れたい観光場所もなく、街の中心街に行ったのですが、今まで訪れた国々と変った景色も無いので大道りをちょっと離れてみました。脇道に入ると、車も人通りもない石畳が敷かれた狭い静かなショッピング街にたどり着きます。そこを一人で歩いていたのですが、たまたま立ち止まってお店の大きなガラスの窓の中を覗いていると、彼女の後ろに誰かがいるのを肌で感じました。ゆっくり後ろを振りかえると、地方の人が二人立っています。一人はスイスでよく見るこげ茶のチロリアンハットをかぶり、同じ色のジャケットを着た40歳ぐらいの男性で、もう一人はやはりこげ茶の帽子をかぶり、半ズボンをはいた可愛らしい7-8歳ぐらいの男の子です。彼等は、彼女から5メートルくらい離れたところからじっとこちらを見ているではありませんか。彼女は何か不安を感じて、でも何事もなかったように“ハロー”と微笑みながら言って、その場からゆっくりと歩き始めました。他のお店に興味があるようなふりをして、その場所から随分と離れた別のお店の前で立ち止まったのですが、彼等は彼女の後を5分ほど経ってもずっと付いてきたのです。不思議なのは彼女がそんな風に彼らから逃れている間、誰一人ともその石畳の街路を通らなかったことです。彼女は突然危機を感じて小走りで彼等から離れて、人が行き来している街路に逃れました。そうしたら、諦めたらしくどこかに消えてしまい、その後は安心して観光を続けることができました。
彼等の振る舞は彼女がいくら考えても納得がいきません。ただ推測できることは男の子がそれまでアジアの女性をを見たことがないので、興味津々で、ただ後を付けてきたのかもしれませんし、あの男性が彼女をピックポケットのカモにするかどうか迷っていたのかも知りません。とにかく何事もなく、所持品を盗まれた訳でもなかったので、彼女はほっとしました。
ルクセンブルグにあった出来事からはじまり、その後ヨーロッパの南に行けば行くほど、彼女は奇妙な、又はちょっと危ない経験をしました。マドリードの警官との出来事もその一つです。彼女の父母が日本を出る前にそんなことを忠告したことを彼女は思い出しました。とにかく、東洋の若い女の子に何でそんなに興味があるのかしら、なんて思いながら、マドリードの街を歩いた彼女でした。
そんな事もあって、一度目に訪れた時のスペインは、人々の会話も皆怒鳴って話しているようでうるさいし、その上、警官さえも信用できない全く酷い国だというネガティブな印象を彼女に与えました。
それでも警官から逃れた後、繁華街を通り過ぎ、マドリード王宮に着いた頃には胸の鼓動も安定し、今までどおりの旅を続けることができました。広い宮庭を通って横幅の広い茶白色の建物の中に入ると、色とりどりの壁に煌(きら)びやかなそしてエレガントな金縁模様のクラウンモールディングがどの部屋にも施してあり、金色が目立つ天井画や壁画が白色のバックグラウンドに反映して眩しいほどに輝いています。家具、特にシャンデリア、テーブル、椅子、そして肖像画も素晴らしいもので、何百年の時を超えて、大切に保管されていました。昔のスペイン王国の豊かさを展示していた素晴らしい王宮でした。後で知ったことですが、彼女がそこを初めて訪れてから5年後ぐらいに、スペインの王様はその王宮を去り郊外に住居を移していたとのことです。普段住むにはもったいないような建物でしたので、観光客が見学するぐらいに使われた方が、これからもそして何百年後もそのままの姿を保存できるのではと彼女は思いました。
そしてその後はスペイン広場に行き、そこでドン・キホーテとサンチョパンサ像を見てその晩ペンション(ホテルより安い宿泊地)で一泊。前日の交通警官のこともあり、スペインの旅を続けるかどうか迷いましたが、一旦フランスへ戻ることに決めました。またいつかスペインに戻ってくると心に決めて…
でも残念ながら悪いことは続くものです。その夜、マドリードからフランスに向けて夜汽車に乗った時のことです。前にも触れましたが、あまり旅行資金のない彼女のヨーロッパ旅行を少しでも長引かせ、多くの国を訪れるには、夜汽車に乗るのがとても合理的でした。なぜならホテル代も省くことができるし、寝ている間に次の目的地に着くことができる。ですからその頃は世界中から来た若者達が男女問わず、皆ユーレイルパスを利用し彼女と同じような旅をしていました。
マドリード駅の人気のない薄暗いプラットフォームから汽車に乗り、彼女は席が空いている部屋を探そうと廊下を歩き始めました。その時乗った汽車は、6人乗りのコンパートメント式になっていて、部屋ごとにドアがありそのドアを閉めてしまえば、結構プライベートな個室となりました。各部屋の前には狭い廊下があり、乗客が行き来できるようになっています。夜行列車の場合は、空席がある時やお客がまだ起きている時は部屋には電気がついていたので、彼女は早速電気のついている部屋に入りました。そのコンパートメントには誰もいなかったので、これならゆっくり休めると思いボストンバッグを棚に載せ、椅子の足掛けを伸ばして座り、眠る準備をしました。と、その時、長い灰色のトレンチコートに真ん中がへこんだホンブルグハットを深くかぶった怪しげなスペイン人が部屋の中に入ってきて彼女のすぐ隣に座ったのです。そして腰を下ろすと、彼の手は彼女の膝の上に… 嘘でしょう? と、彼女は心の中で思い、その手を払いのけ、慌てて荷物を棚から降ろし部屋を出ました。そして次に電気の付いているコンパートメントを探しドアを開けたのですが、これも空き部屋でした。もうあの男は付いてくることも無いだろうと彼女は思い、早々にドアを閉めましたが、その男がすぐさまそのドアを開け入ってきたのです。それには驚いて彼女は又その部屋を去り、初めはゆっくりと歩いていたのですが、後ろを見るとその怪しげな男はまだ彼女についてくるのに気が付きました。廊下には誰も歩いていないし助けを呼びたくてもどの部屋に人がいるかもわからないし、彼女は最後は全力で走ります。そのシーンはまたミステリーの映画に出てくる、霧につつまれた夜汽車の中で誰かが殺人者に追われて逃げているシーンを再現しているようでした。
真夜中の汽車ですし、この頃になるともう就寝の時間もとっくに過ぎていたので、どのコンパートメントもほとんど電気が消えていて、どの部屋の中に人がいるのかドアを開けなければわかりません。1両、2両、3両と汽車に揺られながら誰も通っていない廊下を必死で走り、やっと一つの部屋から人の声が聞こえ、電気が放っているのを見つけました。その部屋ではまだ乗客が皆起きていたのでとにかくドアを開け入りました。幸いにも席がたった一つ空いていたので素早く中に入り、ドアを閉めます。この部屋にはあの男もついてこないだろうと彼女は思い、ほっとして荷物を棚の上に置き空いている席に座りました。トレンチコートの男はドアを開け中を覗きましたが、部屋は満席で座る場所もありません。席があったとしても人の前で彼女に何もできないことを知ると、やっと諦め、ドアをそっと閉めるとどこかに消えて行きました。
普段なら、なるべく席の空いているコンパートメントを探す彼女ですが、この時ほど満員の部屋に感謝したことはありません。少し窮屈な思いもしましたが、彼女は皆に囲まれ、電気が消灯された後は、やっと安心して眠りにつきました。やはり女の一人旅は恐ろしい事に時々出会います。特に夜汽車の中では…
翌朝、フランスの北岸沿いのサンマロに着きました。そこで澄み切った晴天の下で開かれていたファーマーズマーケットで、あの頃日本であまり目にしなかった鮮やかな赤、緑、黄色のピーマンや、見たこともない果物などを彼女は興味深く手にしました。その後サンマロ港の光景を楽しんでから午後4時14分の汽車に乗りモンサンミッシェルへと向かいました。でもやはり悪いことは3度続くと言うのは本当で、モンサンミッシェルではもっと恐ろしい目にあいました。(注:モンサンミシェルでの出来事は、余り長いので、別のエッセイに詳しく書かれています。)モンサンミッシェルを去ってからは、着替えを取りに行くために彼女はパリ行きの汽車に乗りました。パリの天龍で洗濯をしたり、荷物の整理をした後、次の目的地を考えます。そして、せっかくスペインを訪れて、マドリード以外の街を訪問しないのは納得がいかなかった彼女はもう一度スペインを訪れることにし、マドリードの近辺にある、今では世界遺産に登録されているトレドに行くためにまた汽車に乗りました。
トレド駅から20分ぐらい歩き中心部のソコドペール広場に彼女は着きました。その近くにあった、厳粛な佇まいのトレド大聖堂の中にはエル・グレゴの絵が幾つか飾られていたのです。その中でも、キリストが纏(まと)っていた赤い衣装が色鮮やかな聖衣剥奪(はくだつ)の絵画は彼女にとってとても印象的でした。教会の中の見物が終わった後、祭壇の前のベンチに跪(ひざまず)いて、それまで怖い思いもしましたが、どうにか無事に過ごせたことを神に感謝し、これからの旅の安全をも祈り教会を出ました。それから彼女は近くのお土産屋さんで黒に金で装飾されているブレスレットとペンダントを買い求め、その後誰もいない狭い石畳の小路を独りで歩きながら、過ぎ去った遠い中世期の雰囲気をまた味わったのです。そして次の目的地グラナダへ。
グラナダでは街の中心にある古い建物の中にあるペンションに泊まることにしました。オーナーの名前はフォセファ(Fosefa)、中年の女性で、とても朗らかな少しポッチャリした素敵な女性です。そしてその夜、苦しく感じるほど照り続ける太陽がやっと沈み、真っ赤な夕焼けが街を一色に染めはじめた頃、グラナダにある数々の小さな洞窟が並ぶサクロモンテに彼女は向かいました。フラメンコを見るためにです。
スペインでは日中は気温がとても高いので、お昼に2時間ほど休みを取るのが習慣らしく、夕飯は8時以降でなければレストランは開きません。ですからフラメンコのパフォーマンスなどは夜の10時過ぎでなければ見られませんでした。9時を過ぎてサクラモント行きの汽車に乗るために駅に行ったのですが、たまたまペンションのオーナー、フォセファに汽車の中で逢いました。サクロモンテに行くのだと告げると、私もだというのです。フォセファはペンションのオーナーであるだけでなく、フラメンコダンサーでもあり、今から夜の仕事に行くのだと言いました。フラメンコのダンサーは容姿がすらりとした若い女性だろうと想像していたので、こんなにポッチャリした人でも踊るんだなんてと彼女は心の中で苦笑しました。フラメンコを見に行くなら、ぜひ彼女のお店に来て欲しいと誘われ、知らない街でお店を探すより、知っている人に勧められた場所に行く方が安全だと思い、そのお店に行く事にしました。サクロモンテに汽車が着き、フォセファについて小高い丘を登っていくと、そこには沢山の洞屈が有り、その一つ一つの洞窟の入り口の前の壁には灯火が狭い街路にほのかな光を放っています。フォセファは自分のお店まで彼女を案内すると、支度が有るのでと、お店の中に入って行きました。
フラメンコショーの料金を払い、暗くなり始めた街路から洞窟の中に彼女が入ると、眩しいほど真白に塗られた壁や天井に、赤金色に輝くピカピカに磨かれた真鍮(しんちゅう)のフライパンやお鍋などが部屋一杯に吊るされています。洞窟の中には舞台は無く、壁に沿って十数の小さな椅子が並べてありました。案内されてその椅子の一つに彼女が座ると、スペインのお酒サングリアが運ばれてきました。そのサングリアのグラスを手にした人々が入り口近くまで一杯になると、いよいよ待ちに待ったショーが始まります。彼女は初めて見るフラメンコへの期待と興奮で胸が一杯になりました。
一瞬シーンとした洞窟の中で、静かなギターの音が響き始めると、うねるような悲しい男性の歌声が聞こえ始めました。その声は彼女の心を揺さぶるように響き、今迄経験したことのない感情を彼女の中から引き出しているかの様にさえ思えました。ギターを弾く男性達は洞窟の奥に席を構え、その後彼らの得意の歌を何曲か披露します。
ギターだけの演奏が終わると、彼女のすぐ目の前で数人の女性のダンサーが、ギターの音に合わせて踊り始めました。もちろんペンションのオーナー、フォセファもそのダンサーの中に加わっています。お化粧とカラフルな衣装を着るとフォセファは別人のように奇麗に見えました。でもフラメンコダンサーはフォセファ以外は若い女性や男性だと心の中で期待していたので少しがっかりしたのも本音です。彼女達が踊り始めると、人生の経験のある女性達であるからこそ、愛する事と恋することの喜びと悲しさを表現でき、何か心に訴えるものが有りました。ギターのリズムに合わせ、彼女達のタップする足音が、時には優しく、時には激しく情熱的に洞窟の中に響きます。そのフラメンコのステップの軽やかさと力強さはそれを見ていた観客の心をしっかりと掴みました。その後何人かの男性も加わり、フラメンコショーはもっと盛り上がってきます。
勿論ペアでのフラメンコも鑑賞することもできました。そしてかなり年を重ねた女性のソロのダンスも… そのダンサーはフラメンコダンスに彼女の一生を捧げてきたのでしょう。若い女性達にはない巧みな踊り方で観客を魅了しました。そしてその女性の乱れた長い黒髪を揺らしながら、止まることを知らずに踊り続けた姿は、彼女を不思議な夢のような世界に誘っている様にさえ思えました。長いスカートの裾は、ダンサーの動きと一緒に流れるように揺れ、それを追うように黒い影が真っ白な壁に移っています。そのシルエットを見ていると、ダンサーが何かに取り付かれているようにさえ彼女には思えました。それを他の観客とただ見ていたに過ぎないのですが、ダンサーと供に、愛すること、恋することの喜びと悲しさを一緒に感じ始めたのです。ショーが最期に近くなると、全員のダンサーがカスタネットを付き、ギターの激しいリズムに合わせ踊り始め、洞窟の中はその音の響きで一杯になりました。フォセファの推薦に間違いはありませんでした。そのフラメンコショーを初めから終わりまで満喫した彼女は、それ迄のヨーロッパ旅行の中でこのパフォーマンスが一番印象的な思い出になると思いました。
その快い思いを胸にして彼女はフォセファと一緒に零時過ぎにペンションに戻ったのです。その後彼女は別の場所で何回かフラメンコを見ていますが、その洞窟で見た、あの年を老えた女性のフラメンコ程、心に残ったダンスは見た事が有りません。
白く塗られた、 洞窟の壁に、
真鍮が夕暮れに 光る、光る。
女の心が 取り付かれた様に、
リズムに酔い、 流れるスカートの裾、
黒い影を残して踊る、 ここはグラナダ!
心打つギターの音と、 歌声に合わせて、
カスタネットの響く音が、 心に残る。
見つめる瞳が、 忘れられない。
リズムに酔い、 揺れる長い黒髪。
軽やかに踊るフラメンコ、 ここはグラナダ!
朝起きるとフォセファはスペイン独特のポテトオムレツを作ってくれ、意外と沢山サービスしてくれました。そのオムレツにはジャガイモのほか、赤や緑のピーマンと玉ねぎが入っていてとても美味しかったので、日本に帰ったらマネをして作ってみたいと彼女は思いました。
その朝、彼女はアルファンブラ宮殿に向かいました。城塞都市であるその宮殿にはたくさんの庭園、住宅、浴場、モスクなどが有り、一度は数千人が居住した場所でもあると言われています。そして偶像崇拝が禁止されていたイスラーム王朝時代に建設されたため、壁や天井のデザインは幾何学模様と文字装飾が特に目立っていました。小高い場所にある宮殿はグラナダ内の他の場所と比べるととても涼しく、彼女は何処までも長く続く石畳を歩き、宮殿の中心まで行きました。そうすると中には幾つかの中庭があります。特に印象に残ったのはアラヤネスとライオンの中庭です。アラヤネスのパティオには建物に沿って長方形の水鏡があり、周りの薄茶の建物が水面に映っていてとても奇麗です。そして、ライオンの中庭には噴水の周りに何頭かのライオンの彫刻が置かれてあり、その前に立って周りの建物をゆっくり眺めているとイスラム教国が繁栄した時代を垣間見た気分にまでなりました。
その日の午後は闘牛の会場に彼女は向かいました。その日もすっきりとした青い空に恵まれ、グラナダ唯一のコロシアムにはたくさんの観客が集まっています。ラッパの音と同時に、角が生えた真っ黒な雄牛が一頭現れ、その後、黒い帽子と赤、黄色、そして青の原色のコスチュームで包まれた闘牛士の登場。それを観客は大きな声で喚きながら迎えました。初めは音楽とともに闘牛士が左右に真っ赤なマントをリズミカルに交わし、雄牛が必死にそれを追っていただけなのですが、最後の頃には、その雄牛は何本もの槍に首根をつかれ血を流し始めたのです。やがて夕焼けのオレンジ色の太陽が、噴き出る血をより生々しくその黒い体を染め始めた頃、闘牛士の最後の槍が、残酷にも弱ってきた、そして血まみれの雄牛の命を留めました。それを見た観客はもっと大声でその闘牛士の勝利を称えるように叫びます。でも彼女は闘牛士の演技に感動するどころか、ただ有名な行事だからというだけで、悲惨なそのスポーツを見に行った自分を後ろめたくも思い始めました。やはり生き物の命を取るのを目の前で見るのは心苦しいものです。
闘牛場で見た光景を繰り返し思いだし、何となくすっきりしない気分のまま彼女は夕食後、グラナダの町の中心に散歩に出かけました。その夜は、偶然にもグラナダ唯一のお祭が有る日で、等身大に作られていたマリア像をおみこしの様に高く掲げた白装の男達の後をついて、キリスト教信仰者の行列が街をうねり歩いていました。暗闇の中で蝋燭に照らされたマリア像は優しい微笑みを浮かべ、道路の脇に佇むたくさんのマリア崇拝者や観光客に見守られています。その可憐なマリアの姿に彼女は何故か心を打たれました。そしてマリア像の笑顔はその日の午後に見た闘牛場の嫌な経験をも忘れさせてくれたのです。
翌朝、フォセファが作ってくれた少し具材の違った美味しいオムレツを食べ、彼女は次の目的地に行くためにグラナダの駅に向かいました。改札口を通り、プラットホームに行くと、まだ彼女が乗る予定の汽車は着いていません。それどころか、汽車が止まるはずの線路の上で紺色のユニホームを着ている7人の大人が楽しそうに話しています。その中には女性も3人いたのですが、その女性の一人がフォセファだったのです。フォセファは彼女がプラットホームで汽車を待っているのに気が付くと、そばにある階段を使って降りて来いと手招きしました。線路の上で話をするなんて、誰かに見つかったら大事になるのではと彼女は思いましたが、汽車が来る気配もないし、安全だろうと思いフォセファの傍に行きました。線路の上でたむろっていた青いユニフォームを着たその7人の大人達は皆その駅で働いているらしく、大きな声で話し続けています。フォセファが彼女を紹介すると、皆笑顔で話しかけてくれました。
後で良く考えてみると、フォセファは、朝は宿泊者の朝食を作り、それから駅で何らかの仕事をし、夜はフラメンコを何時間も踊っているのです。考えられない程働き者の女性でした。彼女がその時不思議だと思ったことが有ります。それが何かというと、縁のある人とはただ一度だけでなく、何回も会うものなんだということです。それはクルーズ船で仲良くなったロシア人ウエートレスのナージャの時もそうでした。
そのあと、彼女は南スペインのマラガを訪れ、初めてライ病にかかっている人をある教会の前で見ました。遠くから見ただけですが軽いスカーフをかぶった女性の顔も手もライ病でかなり侵されていて、本当に可哀そうだと思いました。それからリゾートで有名なトレモリノスにバスで行ったのですが、あいにく彼女の行った場所は高層ビルが並ぶホテルがある場所で周りはフェンスで囲まれています。そしてビーチには許可が無いと入れず、公共の砂浜をずいぶん探したのですがそれも見つからず、がっかりしてその場を去り汽車でセビリアに行きました。