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愛、恋、して恋愛 (ある女の物語Ⅰ)

 

貴方と二人なら(第10章)

 

離れていた事が夢でもあったかのように二人はまた一緒に旅を始めます。ローマに着くと、まず街の中心にある円形闘技場、コロッセウム(コロシアム)に二人は向かいました。コロッセウムは西暦80年に建てられた三階建ての闘技場で、古代ローマを代表する観光地です。その闘技場は彼女がセビリアに滞在した時に訪れた闘牛場と同じようなレンガで作られた円形の建物ですが、どこもかしこも壊れかけていてあまり修復されていません。ですからモニュメントであるだけで実際には使われていませんでした。それでも世界一古く大きな闘技場だとイタリアが誇る古代建築物です。壮大な建物なので、その大きさには圧倒されましたが、それが昔どう使われたかという過去を知っていた彼女にとっては余り心地よいものではありませんでした。セビリアで訪れた闘牛場は、闘牛士達が雄牛を追い詰め、最後にはその雄牛の息をとどめるという残酷な競技でしたが、少なくとも相手は動物です。でも古代ローマのコロッセウムで行われた闘技は、人間、特にキリスト教信者を死に至るまで仕留めるというもっとも残酷な闘技も含まれていたのです。その後、古代ローマの皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を信仰するまで、その建物の中で何千ものキリスト教信者達がローマ帝王の前でライオンに引き裂かれ血まみれになり処刑されたことを彼女は知っていました。ですから、闘技場の中を覗き込んだ時、彼女の胸が痛みました。

宗教の違いは、いつの時代でも世の中を混乱に導きます。宗教を築いた発足者の本来の目的は戦争ではなく平和なのでしょうが、今になっても多種の宗教の違いが原因で戦争が絶えません。自分が切り開いた教えがこんなに数多くの命を奪っているとその発足者達が知ったら、心の底から悲しむことだろうと彼女は思いました。特にイエスキリストは… 彼女が東京のカトリックの教会に通っていた時にキリストの教えを習ったのですが、キリストは何よりも隣人を愛することを、そして自分の敵さえも愛することを望んでいます。それなのに第二次世界大戦の頃、キリスト教を信じているドイツ人によってヨーロッパの国々では何万人ものユダヤ人がヒットラーの軍隊に追われ、多くの人々がアウシュヴィッツ強制収容所で処刑されています。その反面、キリスト教を信じているという理由だけで過去に数えきれない程の世界中の人々が処刑され、殺害されたのです。もちろん日本でも豊臣秀吉や徳川家の時代にたくさんの日本のキリスト教信者達が宗教を理由に十字架に貼り付けられて処刑されました。でも、ほとんどの宗教は人種の違いと同じように、自分が選択したものではなく、先祖から受け継がれたものなのです。彼女が思うに、小さい頃からこうであるべきだと教えられたこと、とくに親から教えられた宗教を拒否するには、よほどの決心と勇気がいるものです。幸い彼女の場合は、あまり宗教にこだわりの無い1970年代の日本で育ったからこそ、誰からも判断されることもなくカトリック教を選ぶことができました。ですからそういう意味では日本に生まれて本当に良かったと彼女は思いました。よく考えてみると、殆の日本人は生まれた時や七五三には神道を信じて神社に行き、結婚式は教会で、そしてお葬式はお寺でするのですから本当に不思議な人種です。宗教深い外国人が日本人の宗教に対してのそんな緩和さを知ったら彼等はその事実に驚き、きっと躊躇することでしょう。

コロッセウムで彼女が感じた宗教に対してのそんな思いをローマの街を歩きながら彼に話すと、彼も全く同意すると言うのです。たまたま彼もカトリック教徒ですのでキリスト教信者や、ユダヤ人が過去にどんなに虐待されたのか知っていました。まして彼はアイルランド人の子孫なので、1920年代にアイルランドで起きたイギリスとの戦争が終わってからも、IRA(アイルランド共和軍)がテロとして1970年代まで内戦を起こしていることに心が痛むと言っていました。その上、宗教の違いだけでなく、彼は人種や性別に対しても同じような意見を持っていたのです。白人、黒人、東洋人などと人種差別をするのは大嫌いだというのです。彼女自身は日本を出るまでは人種差別をあまり経験していませんでした。なぜなら、その頃の日本では外国人が周りには余りおらず、まして地方で育った彼女はそんな機会はほとんどなく、東京に住むようになってから英語会話学校に通った時のアメリカ人の先生と、鎌倉で黙想会に参加した時のカナダ人の神父様に出逢っただけなのです。彼女自身もそうでしたが、その頃の日本人は白人が優れた人種と思い込み、自分達日本人は彼等より劣っているという考え方が漂っていたので、皆白人に対しての憧れみたいなものを抱いていました。ですから彼女が逢った外国人達も白人だけだったので、差別どころか尊敬するのみでした。日本国内でも朝鮮人や、アイヌの人達が日本人によって人種差別をされているとニュースなどで聞いたことはありますが、そんな人達に接したことの無い彼女にとっては、その様な人種差別もほとんど縁の無いことでした。ですから昔アフリカから奴隷として強制的にアメリカに連れてこられた黒人が、400年から500年たった今でも白人に抑制され、差別をされるような人種差別をよく理解していません。ただ、ヨーロッパで旅行を始めてから、アジア人や黒人が色々な所で差別されていることをもっと目の前で見てきたので、少しは理解できるようになってきました。他の国に旅をしたことのない人達は、彼女が日本にいた時と同じく、人種差別を全く理解してはいないであろうと、その時彼女は思いました。

宗教や人種の違いだけでなく、彼は女性も男性と対等に扱われるべきだというのです。そして彼はこう言いました、

「誰もが願うことは、頭の上に屋根、テーブルの上に食べ物、背中に着る物があること、そして子供達に自分達よりも良い生活をして欲しいと願っている。」

(Everyone wants a roof over their head, food on the table, clothes on their back, and want their children to have a better life.)

そんな言葉を聞いて、自分よりもっと世の中を理解している彼に逢えたことがとても嬉しく思いました。そんな彼だからこそ、彼女に対しても何も偏見がなく、二人の将来のことも彼女ほど不安に思っていないのだと理解できました。もっとも、日本人である彼女の方といえば、どうしても男子の方が女子よりも強くあるべきだとその時は信じていましたが… やはり生まれ育った環境の影響を変えることは、とても難しいことです。その生まれた時からの環境が私達を偏見に導いているのかもしれません。自分達と違う皮膚の色、宗教、そして小さい頃からなじみ深い生活習慣。それが少しでも違う人達を見ると、疑い深くなり、相手を煩わしく感じたり、宗教の違いになると怒りを感じたりするのかもしれません。でもどんな赤ちゃんでも、生まれた時は何も偏見がなく、親達に教わった時点で偏見することを学ぶのだと思います。一つ彼女が言えることは、人は自分で親を選んだわけでもなく、国を選んだのでもなく、そして人種や宗教を選んだのでは無いことです。それなのに誰に差別する権利があるのでしょう…

とにかく歩くのが大好きな彼ですから、次の目的地に着くまで色々な会話をすることができました。人間の平等などという難しい話の他に、自分達の国のことを楽しく話しながら二人はローマの街をさ迷います。勿論いつものように何処に行っても建物の中にはほとんど入りませんでしたが… コロッセアムを去ってからはトレビの泉に向かいました。途中でお腹がすいたので、お昼にピザを食べようと繁華街のピザ専門店に行きました。日本のパン屋さんのようなお店で、中に入るととても美味しそうな匂いが漂っています。カウンターの後ろだけでなく、お店中、焼き立てのピザが背の高い棚に何段にも並べてあるのには驚きました。それよりもっと二人が驚いたのはピザの形でした。そのお店のピザは今まで馴染みのある丸い形でなく、クッキーシートにぴったり入った長方形だったのです。本場のピザが、長方形だったことは意外でした。もっと中に入ると、多種のピザが、お店の中の隅から隅まで幾つかの棚に並べられています。お肉だけでなく、サーモンやツナまで野菜と一緒に載せてあるのです。二人が何かのお肉がたくさん載っている一枚のクッキーシートを指さしてオーダーすると、熱々の四角に切ったピザを三切れワックス紙に載せて店員さんが渡してくれました。それを頬張りながらローマの街の歩道を二人は歩き続けます。やっぱりイタリアのピザは美味しい… 

ピザが食べ終わる頃には、トレビの泉に着きました。トレビの泉はバロック時代に人口に作られたエメラルド色の泉で、その後ろにある白い建物の壁に沿って古代ローマ人や馬の彫刻がたくさんありました。その場所はかなり有名な場所でしたので、観光客で少し賑わっています。人ごみを避けながら泉の近くに着くと彼はこう言ったのです。

「背を向けてこの泉にコインを投げると、願いが叶うという伝説があるんだよ。」

その伝説の詳細は、コインを一枚投げるとローマにまた訪れることができる、二枚投げれば恋が実る、三枚投げると恋人や妻、夫と別れることができるのだそうです。彼女はもちろんコインを二枚投げました。いつか彼と結ばれることを祈りつつ… 彼も同じようにコインを投げます。投げ終わって泉の中を覗くと、たくさんの銀色のコインがきらきらと水と太陽の光に照らされて輝いていました。

それからスペイン広場に行ったのですが、イタリアのローマの街にあるのに、なぜスペイン広場と呼ぶのだろうと彼女は不思議に思いました。後に知ったことですが、スペイン大使館が広場の前にあるのでスペイン広場というのだそうです。広場の奥の方に行くと幅の広い白い階段が二つあり、その階段の両脇には色とりどりの花々がほころびています。その花々を眺めながら彼と一緒に階段を上ると彼女は何となく幸せな気持ちに包まれました。その思いを彼と分け合おうと、彼女はもっと彼に寄り添って歩きました。燦々と降り注ぐ太陽の暖かさが二人を祝福しているようにも見えます。中段まで行くと踊り場があり、そこから2つに別れていた階段が一つになりました。その階段を登りきると、トリニタディモンティというフランスの教会に着きます。その教会の前から階段の方を振り返ると、素晴らしいローマの街を何も遮るものなく見渡せるのです。そして階段を降りる時にも、彼の腕にもたれて彼女が微笑みながら時々見上げると、彼はそれに答えるように彼女を見つめ返してくれます。階段の上から見たローマの景色と同じように、二人の愛を妨げるものは何も無いかのように思えました。そして彼女はその頃何度か歌ったことのあるこんなメロディーを口ずさみました。

「世界の果てまで、手を繋ぎながら、

 歩く道は、遠いけど、

 仰げばいつでも私を見ている、

 貴方となら、いいわ。」 

でも前に何度も彼女を苦しめたように、現実はそんなに生易しいものでないことは彼女は解っていました。それだからこそ、その日ローマで過ごした一瞬一瞬がとても尊いものに彼女には思えてきたのです。誰にも束縛されず、思うままに自由に愛し合うことができるその時間が… 

 

 

太陽が眩しく光るローマの街

二人で歩いたスペイン広場

色とりどりの花に囲まれた

白い階段を寄り添いながら。

 

明日はどうなるか知らないけれど、

今のこの一時、愛し合えるなら、

それだけでいいの、そうよ、貴方と二人なら。

 

夕日が街角の影を深めるローマ

二人は微笑む愛に満ちて

いつか結ばれることを祈って

トレビの泉でコインを投げる。

 

明日はどうなるか知らないけれど、

今のこの一時、愛し合えるなら、

それだけでいいの、そうよ、貴方と二人なら。

 

そんな幸せな思いを味わいながらローマでの忙しい一日も終わり、夕食の時間になりました。二人は宿泊所の近くにある小さなレストランでビーフシチューとサラダを食べたのですが、シチューはお昼に食べたピザと全く同じ味がするのです。要するに小さく切られた牛肉や野菜がイタリアン風のトマトソースと一緒に煮込まれていました。そういえば、その前の晩食べたスパゲッティもピザと同じ味がしたので、イタリア料理は、何を食べてもこんな味がするのかなと彼女は心の中で思いました。最も、お肉も野菜も柔らかく、美味しくなかった訳ではありませんが… ただ、日本のシチューのほうがもっと美味しいのに、とちょっぴり残念に思ったのは彼女の本心です。

次の日二人はローマ教皇によって統治されているバチカン市国に向かいます。二人ともカトリック教徒なのでローマに来た以上、必ず訪れておきたい場所だったからです。バチカン市国は過去にカトリック法王を守るために築かれた国でその後1929年に独立国となり、ローマの街に囲まれた世界最小の国です。でも本当は国というよりも街といった方が適しているような小さな小さな国でした。二人が訪れた時には、カトリックの法皇、ポール4世がバチカン市国に住んでいました。そこには西暦64年に皇帝ネロの迫害により殉教した使徒ペトロのお墓があります。そして、そのお墓の上にコンスタンティヌスに命じられ、建てられた、バロック様式のサンピエトロ大聖堂がありました。その真っ白な大聖堂の前には、かなり大きな円形の広場があり、その広場に沿って両脇に二つの巨大な白い回廊が広場を囲むように建てられていたのです。セビリアのスペイン広場で見た回廊よりももっと長く、その輝くほどの白さがとても印象的でした。そしてその2つの回廊の上には多数の聖人の像が飾られています。

彼女はその大聖堂の前に立ち、彼を見上げ、ふと思いました。なぜ同じ宗教を信じる彼と恋に落ちたのだろうかと。彼女はもともと宗教にはほとんど興味が無く、たまたま自分の辛い思いから逃れたかった時に偶然と立ち寄った所がカトリック教会でした。ですから自然にその教会で洗礼を受けカトリック信者になりました。本当のことを言えば、彼女の心を癒やしてくれることができたのなら、仏教、神道、他のクリスチャンの宗教でも良かったのです。でもどういう訳かカトリック教会に足を向けることになり、僧服の人に片思いをし、それが実らず混乱している時に東京の彼に逢い、その間にカトリック教会の友達に黙想会に誘われて鎌倉を訪れました。その黙想会でカナダから来ていたロジェ神父様に逢い、その神父様の言葉に背中を押されてヨーロッパ旅行に出かけた。そして、その旅行中に同じカトリック教徒であるカナダの彼と会ったのです。振り返ってみると、鎌倉であったロジェ神父様の言葉通り、まるで彼女の人生の岐路がカトリックの教会に初めて足を踏んだその瞬間から計画されたような気までその時感じました。彼と二人でその時サンピエトロの教会の前に立っていることも、もう計画されていたことなのかも… それが本当なら、これからの人生も目の前に定められているのかもしれない。それなら将来のことも何も恐れることは無いのかも… とにかく、そんな運命であった二人ならこれから何が起きても怖くないんだ、とも思えてきたのです。

その後二人はイタリアのナポリに行きました。繁華街の歩道が混雑しているので、人気のない脇道を選び、仲良く手をつないで歩き始めたのですが、二人の若いイタリア人が近づいて来て、その一人が固く丸めた紙を二人に投げつけました。そしてそのイタリア人達は、げらげらと笑いながら街角に消えていきます。そんな彼等の行動に隣に居た彼は怒りを感じ、二人の若者を追いかけて何かを言おうとしましたが、彼女が彼の腕を掴み、彼の行動を止めました。やはり、彼女が東洋の女性であることに偏見を持ち、白人がそんな女性と一緒に歩いていることに対して反感を持っていたのだと改めて感じ、少し悲しく思いましたが、彼がそばにいてくれたのでそんな思いもほんの一瞬だけで、二人はまた手をつないで歩き続けました。脇道を歩き続けると、幾つかの靴屋さんが目につきます。値段を見るとたくさんのゼロが並んでいるので始めは非常に高い靴だと思ったのですが、その頃のイタリアの貨幣リラの価値は、アメリカのドルに比べると600分の1位だったので、50ドル位の革靴が30000リラと表示してあったのです。一瞬その値段を見た時は、外貨の両替えを計算に入れていなかったのでかなり高いと二人は驚きました。角を曲がると小さな売店があったので何を売っているのかと望いてみると、日本のコロッケみたいなものを目の前で揚げています。お腹がすいていたので幾つか買ったのですが、それは大きな卵のような形をしていて、まわりはパン粉がつけてあり香ばしく揚げてあります。フーフーと冷めるまで息を吹きかけ少し食べてみると、真っ白なご飯の中に、とろけたチーズがたくさん入っていて信じられないくらい美味しいのです。こんなイタリア料理もあるんだなと感心しながらそれを食べていると、ちょっと前に起きたつまらないことも忘れて彼女はまた彼と一緒にいる幸せを感じました。

次の目的地はナポリの付近にあるポンペイ遺跡です。ポンペイは西暦79年にヴェスヴィオ山の大噴火が起きた時に、一夜にして消えた古代都市です。誰もいないアボンダンツァ通りの石畳を二人で歩き、その静けさに囲まれて、2000年位前にはその通りを行きかっていた人々で賑わっていたのだろうなと思うと、何故か不思議な気持ちに襲われました。昔の町の面影を残しているのは壊れた壁だけが残っている家々の台所や数々の部屋だけです。博物館に行くと、焼け残った人体や動物等が灰の塊になっているのを見る事になり、天災の恐ろしさを知ったと同時に、人間の儚さを身に染みるほど二人は感じました。そして夕日が沈むポンペイの町から、果てしない空に包まれたヴェスヴィオ山を眺めると、少し暗くなってきた空には星が一つ、二つと輝き始めました。その時二人は、目の前に広がる宇宙の莫大さを感じはじめます。限界のないこの宇宙の中にあるこの小さな小さな地球に、私達はほんの少しの間だけ住んでいるのです。そして宇宙の永遠の存在と比べたら一秒にもならない私達の短くも尊い命であるのに、どうしてこんなにもお互いに戦いあい、憎みあうのだろうかとつくづく悲しい思いに浸った二人でした。ポンペイの人達は自然の災害で亡くなりましたが、生まれてきた限り、人は誰もいつか死んでいくのです。ポンペイの街もまた活火山に襲われ、命を奪われる人がいるのかもしれません。そんな悲しい思いに浸ると同時に、あまり不幸な経験をせずに済んだ自分達のそれまでの幸運に二人は心から感謝しました。

次に訪れた所は水の都として知られているべニスです。幾つもの運河に囲まれたベニス、まずはサンマルコ寺院を訪れ、その前にあるかなり広いサンマルコ広場をのんびりと歩きました。その広場では、たくさんの鳩が羽ばたいています。現在では、運河に囲まれたその広場は、かなり浸水していると聞いていますが、二人が訪れた時にはまだそんな気配もなく、晴天の下でたくさんの旅行者が鳩と一緒にたむろっていました。その後、運河沿いにある歩道を歩き続け運河にかかっている橋の真ん中に二人は佇みました。運河の上では、観光客を乗せたあの有名なゴンドラがゆっくりと行き交いしています。そして横縞模様のシャツとイタリア独特のしゃれた帽子をかぶった船頭さん達がゴンドラの舵を流ちょうに取り、二人が立ち止まった橋の下に近づいてきました。二人は橋の上から笑顔でゴンドラの方に向かって手を振ると、それに応えて乗客が手を振り返します。夕暮れにもなり、あたりも少し暗くなると、街のお店の明かりがついてきました。途中にピザのお店があったので一つ買い求め、二人で分けて食べたりもしました。この時のピザはローマのお店で売っていた時のように長方形でなく、二人の馴染みのある丸い形をしています。でも残念ながら、あまり具やトマトソースが載っていなかったので、ただの平たいパンを食べているようにさえ思えました。ピザで有名なイタリアでも色々な種類があることを知り、それでもローマで食べたあの美味しいビザを思い浮かべながら二人は宿泊所へと向かいます。

翌朝、イタリアの中部にあるフィレンツェに向かいます。15世紀のフィレンツェはルネッサンスの文化中心地であり、そのルネッサンスを象徴する多種の芸術品があることでとても有名です。彼女が芸術にとても興味があったので、この時ばかりは街を歩くだけでなくアカデミア美術館を訪れました。多種の芸術品を見物し終わってから、もっと美術館の奥に入るとミケランジェロのダビデ像がありました。高い台に載っている真っ白なその素晴らしい像を見上げるように観察し、こんな素敵な芸術品を生み出したミケランジェロは本当に天才だと彼女は思います。それからも二人は色々な芸術品を時間をかけて一つ一つ見物します。

フィレンツェの街を歩き続けて二人は夕飯を食べようとレストランを探し始めました。まずは宿泊所の近くにあった鉄道の駅に行って彼女がそこで食べようと彼を誘います。でもなぜか彼はそこでは食べたくないと言うのです。仕方がないのでその後フィレンツェの街を二人で随分歩いたのですが、東京のようにどこに行ってもレストランがある訳ではないので探すのに一苦労しました。やっと食堂を見つけても、彼はそこでは食べたくないと言い続けるのです。その間彼女のお腹はどんどん空いてきます。駅を去ってから一時間程経ったでしょうか、二人はフィレンツェの街を一回りし、また鉄道の駅まで戻ってきてしまいました。そうすると彼は彼女が最初に行こうといった駅の食堂で食べようと言うのです。彼女はそれを聞いて言葉も出ず、彼から走り去って一人で宿泊所に戻ってしまいました。彼はそんな行動をする彼女を見たのは初めてなので驚いて彼女の後を追います。それが二人の初めての喧嘩でした。喧嘩といっても大声で言い合ったのではなく、ただ彼女の方が黙ってしまったのです。彼はどうしてよいか解からず彼女のそばを走り何度も話しかけてきます。でも彼女は彼のあまりにも我儘な行動が理解できず、口を紡いだままです。宿泊所に戻ると、彼女は泣き始めました。彼は彼女の傍に座り、優しく話しかけてきて、どうして彼女がそんなに泣いているのかと聞いてきます。彼が一人で旅行していた時は、レストランを探す時は長い間歩くことはいつもの事だったので、自分が何をしたのかも理解できていませんでした。彼女は何も言いたくなかったのですが、余りにも何度も何度も優しく聞いてくるので彼女の胸の内を彼に伝える他はありません。あんなにお腹がすいているのに一時間も街を歩いて、最終的には彼女が勧めた駅で食事をしようと言ったことが原因だと彼に伝えると、彼は始めは驚いたような仕草を見せましたが、彼女の言ったことを最後には理解してくれて「ご免なさい。」と謝ってくれたのです。彼女はそれを聞いて徐々に怒りも忘れ、彼の胸の中で小さな子供のように泣きじゃくりました。その間、こんな彼ならこれからの人生を一緒に過ごしても幸せになると感じました。一緒に生活している以上誰でも意見が合わなかったり、誤解をしたりして、揉めることが時々あります。重要なのはそれをどうやって二人で解決してまた仲良く暮し続けるのかということなのです。彼女が彼を拒否しても彼は全く諦めず仲直りをしようとした。そんな彼を誇りに思いました。男の人が謝るということは、とても難しい行動であるでしょうに… 要するに彼は彼女をそれだけ大切に思ってくれているのです。

お互いに心がまた通じ合った時点で二人はフィレンツェの中心街に戻り、今度は一番最初に見つけたレストランで夕飯を食べました。そのレストランで食べた夕飯が別においしかったわけでもありません。でもそれでいいのです。二人で一緒に決めたことですから。そこから帰ろうとすると夕日が丁度沈んできていて、どこまでも続く赤茶っぽい屋根を照らし、その光景は彼女たちを中世期の真っ只中にいるような感覚に襲いました。そんな景色に囲まれてそのまま歩き続けたら、黒い鎧を被り、白い馬に乗った騎士がふっと街角から現われるのでは、と彼女には思えた位でした。でも彼女には、もう白馬の騎士は必要ありません。何しろ、いつ見上げてもすぐ隣でこちらを振り返って見てくれる彼が、そして喧嘩をしても彼女の意見を辛抱強く聞いてくれるそんな彼がすぐ傍にいるのですから。そんな彼が彼女にとっては、白馬の騎士なのです。