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愛、恋、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)
パリの冬(第11章)
イタリアを去り、国境を越えて隣国であるオーストリアのウィーンへ。ウィーンは彼女の期待していた通り、とてもエレガントな街でした。フィレンツェと同じように古い建物が多く残されていますが、茶色の建物と赤の屋根がほとんどだったフィレンツェの街と全く異なっていて、白い壁の所々に金箔の飾りのある、5-6階建ての素敵な建物が道路に沿って沢山並んでいます。そんな町並みは、いかにも昔貴族が住んでいた雰囲気を醸し出していました。宿泊所に行くと受付に若い女性がいたのですが、その女性は小柄で、白い肌に長い金髪を頭の上に丸め、何となく、か弱さを感じさせる女性でした。もし彼女に洋服でなく、薄いピンクの長いドレスを着せ、髪飾りをつけたら、18世紀の絵画から飛び出てきたのでは、と思わせるほどの趣を持った女性でした。とても繊細な体つきで、エレガントを象徴したような女性だったのです。言葉遣いも優しく丁寧で、本当にお客様をおもてなしする彼女の努力が伝わってきます。二人は荷物を与えられた部屋に置き、早速宿泊所を出るとドナウ運河に掛かっている大きな橋を渡り、そこから繁華街に向かいます。道路に沿って、中心部にある立派なシュテファン寺院などを訪れ、鳩が飛び交うドナウ帝王の像を右側に見て、国立歌劇場の周や、所々にある綺麗に管理された公園を歩いたりしました。ウィーンの街の何処を歩いても驚きが有り、二人とも満足感で胸が一杯になります。午後には郊外にあるシェーンブルン宮殿まで路線に乗って行き、この宮殿もかなり有名なので、いつものようにただ周りを歩くだけでなく入場料を払って中に入ります。建物の中にはマリーアントワネットやモーツァルトの時代の絵画がたくさん展示してあり、宮殿にふさわしい金箔の家具や装飾が18世紀の美しい世界に二人を招きます。お土産屋さんを通り過ぎて大きな庭にでると、絵画のモデルにしても良い位、綺麗に管理された花壇に赤、白、ピンクの花が咲き乱れ、宮殿から離れた丘の上には、グロリエッテ(この建物から逆に宮殿の方を眺められる)が見えます。ここはまさに18世紀の宮殿の代表であるのだと二人は頷きました。
シェーンブルン宮殿を訪れた後二人は街にもどり、繁華街にある歩道者天国を歩いて幾つかの教会を訪ねます。繁華街には所々お菓子屋さんがあり、彼女が見たことのない美味しそうなチョコレートのケーキや多種のお菓子が店頭に並んでいました。そしてその晩はウィーンでかなり有名なシュニッツェル(子牛の肉のカツレツ)を繁華街で食べます。お肉がとても柔らかく、野菜もやさしく煮てあって、とてもおいしく頂くことができました。
ウィーンはパリと同じ位彼女が訪れたい街の一つでもありました。どうしてかというと彼女は歌が大好きで、小さい頃からウィーン少年合唱団に特に興味があったのです。あの頃の一般の家庭では蓄音機を使って音楽を聴いていたのですが、彼女が所持していた数少ないレコードの一枚が少年合唱団のレコードでした。特に「美しく青きドナウ」、「皇帝円舞曲」、そして「野ばら」など。それらの曲は彼女が中学生の頃によく聞いた曲です。彼女は彼等の天使のような歌声にとても魅せられていました。そういう訳で、本当は是非少年合唱団のコンサートに行きたかったのですが、残念ながら二人のウィーン滞在中には少年団の公演は計画されておらず、彼等の歌声を聴くことはできませんでした。次の日の朝はジュネーブに向かいます。
ジュネーブでは、大きな湖の真ん中に噴水があったのが印象的でした。いつものように街をぶらぶらと歩き、翌朝街角にあるレストランで朝食を食べます。その時食べた朝ごはんで印象的だったのはフライパンでハムを炒め、その上に卵を落として軽く焼いた一品です。コーヒーを飲みながらトーストに半熟の卵の黄身を載せ、少しだけ焦げたハムを口に入れて食べる。蛋白質がたくさん入っているその朝食は、お昼になってもお腹がすかないくらい満足なものです。その頃には彼女は食べる前に自分の食べ物を少し分けて、彼のお皿の上に載せることが習慣になっていました。この時も食べる前にハムと卵を少し分け、トースト半分を彼のお皿に載せます。彼は彼女のそんな心遣いに対し、とても感謝していました。
そんな旅を続けていた二人でしたが季節も10月末なので少し寒さを感じるようになりました。そしてその晩彼は風邪をひいたのか、微熱を出しはじめます。彼女は宿泊所で提供してくれたフェイスタオルを冷たい水に浸し、固く絞ってから彼の額に置き、日本から持ってきた風邪薬を上げたりします。そして彼の熱が下がるまで夜中も何度も起きて面倒を見ました。病院に行くほどの熱ではないのですが、やはり心配です。彼は2日程で治ったのですが、今度は彼女が微熱を出し始めます。彼も彼女がしてくれたように、辛抱強く彼女の面倒を見てくれました… こんな大変な時にでも、お互を支えられたことを知り、彼女は嬉しく思いました。二人が風邪からほとんど治ってからまた放浪の旅を続けます。
ザルツブルクへ行くとまずモーツァルトの生家まで歩いていきます。そして次にはザルツブルク大聖堂へ。カトリック系の建物を訪れることで良いことは、壮大で厳粛な歴史ある建物にもかかわらず、無料で中に入れることです。大聖堂の祭壇の前で彼女は膝まずき、それまで二人が無事であったことを感謝し、将来の健康をお祈りして大聖堂を後にしました。一緒に旅を始めてからもう2か月半近くになり、冬も近づいてきています。そんな季節の変わり目に二人が初めて気が付いたのはザルツブルク駅で、パリ行きの汽車を待っていた時です。プラットフォームの目の前に、どーんと構えていた大きな山が真っ白な雪で覆われていたのです。その時冬が来たのだと、改めて気が付きました。そして二人は、愛を育みつつ自由に過ごしたヨーロッパ旅行ももうすぐ終わりである事にも気づいたのです。セビリアの汽車の中で初めて逢ってからの数えきれないほどの楽しい思い出、そして悲しい思い出を心にとめ、二人はパリへと向かいます。
パリに着くと玄米食堂天龍ではいつものように彼女を温かく迎えてくれました。早速近くの安い宿泊所を探し、二人のパリでの生活を始めます。そして彼女はマダムリヴィエールとの約束通り、11月の15日から天龍で働き始めました。日中は朝10時から2時、そして夜は5時から11時頃まで、まずはウェイトレスとして働きます。始めは慣れないフランス語の会話と奮闘し、お客様が玉葱のパイをオーダーしたのに、リンゴのパイを間違えて出してしまったりして、とても恥ずかしい思いもした彼女です。でも若い時は何をしても恐れず、やる気があれば何でもできるのですから不思議なものです。幸い、お客様達は片言のフランス語しか話せない彼女に温かく接してくれます。そんな優しい心遣いに対し彼女は感謝しました。そして殆どのお客様達は笑顔でいつも接していた彼女を、心から応援してくれました。そんなお客様達は彼女に逢うと、嬉しそうに右、そして左の頬にキスをし、彼女を抱擁します。フランス人は親しい人に逢うとこんな風に必ず両頬にキスをする習慣があります。始めはそんな習慣に慣れない彼女でしたが、少し経つと躊躇うこともなく、そのように挨拶ができるようになりました。特に彼女を応援してくれた常連のお客様には。
彼の方はというと彼女が働いている間は、今まで旅行していた時と同じ様にパリの街をさ迷い歩き時間を過ごしました。休みの日は二人でメトロに乗ってパリの繁華街に行き、シャンゼリゼ通りや凱旋門の方まで歩きます。そしてカフェでコーヒーを飲んだり、映画を一緒に見たりもしました。ある日、繁華街を歩いていると向こうから彼よりももっと背の高い若い男性と、彼女よりちょっと背の低いベレーとスカーフを格好よく着こなしている女性が街を歩いていました。彼女はそれを見て「私達みたいに、背のあんなに違うカップルも他にいるんだ。」と、何となく嬉しい気持ちになります。
彼は時々天龍に訪れて夕飯を食べました。初めて来た時に彼女が彼を天龍の従業員に紹介すると、そのうちの何人かは彼女が彼と付き合っていることに、あまり賛成してくれませんでした。何しろ彼は彼女が初めてあった時と同じような格好、要するに、髭もそらず、ジーンズ、ブーツを履き、カーキー色の腰まで長いコートを着、まさにヒッピーのいでたちでお店に来ていたのです。ですから、そう言われても無理はないと彼女は心の底で思っていました。でもそんなことを言う人達の一人は、結婚して子供もいるのに、奥さんよりももっと若い女性に心を惹かれて悩んでいるのですから、彼がそんなことを彼女にアドバイスする権利は全く無いと思いました。でも反対していた人達も少し経つと彼女のゆるぎない決心を知り、余り彼女の私生活に干渉することも無くなります。12月の半ばも過ぎ、小さな宿泊所で二人が一緒に過ごすようになってから1か月が経ちました。もうすぐパリにもクリスマスが訪れます。彼がカナダに戻る日か近づいてきたのです。
その朝はいつもより寒さが厳しく、街路はとても静かで殆誰も歩いていません。そんな中、冬の冷たい風に舞い上がる落ち葉を淡々と踏みながら一人歩く彼女がいました。水色の薄いコートの襟を立て、体のぬくもりが少しでも彼女を温めてくれることを願うように、両手をポケットの中に深く収めて細々と歩く彼女の姿が… そんな彼女からは、彼と歩いていた頃の幸せそうな微笑みが全く消えていました。なぜならその朝、彼はカナダに帰ってしまったのです。クリスマスを家族と一緒に過ごすという両親との約束を守るために。彼女をたった一人パリに残して。でも彼は帰国する2日前の夜、彼女に求婚していました。彼女が働いていたレストランの近くにある小さな宿泊所の一室で… 金銭的に婚約指輪を買う余裕がなかった彼は、あたかも自分の手の中に指輪があるような仕草をして、ただ一言、
「結婚しよう。」
と言いました。その時彼女は躊躇することもなくそのプロポーズに承諾し、彼にその見えない指輪を左手の薬指にはめて貰ったのです。彼女の頬には一筋の涙がこぼれました。一緒に旅行を初めた頃は彼との結婚にとても不安を感じていた彼女でしたが、マルセイユで再会してからは、彼女の決意は変わることの無い確かなものになっていたからです。そして彼女は、いつか結婚すると硬い約束をしてカナダに戻った彼を疑う事は全く有りませんでした。
それでも彼が去ったその日は、一人残った彼女の心にも冷たい風が吹き続きました。そして舞い落ちる枯れ葉が風に飛ばされて何処かへ行ってしまう様に、彼との一つ一つの思い出もいつか遠くに消えてしまうような感覚に襲われてなりませんでした。そんな中でも、彼の言葉を信じて毎日パリで働きながら彼と結ばれる日まで待たなければならないのです。パリの寒い冬の日々は、独りになった彼女にとって胸に突き刺さるように冷たく感じました。寂しい。本当に寂しい、彼が傍にいないことが…
The sound of your footsteps on the leaves echoed sadly in my heart.
Cause tomorrow, you’ll be gone, leaving me in Paris alone with memories.
The falling leaves kissed your cheek as they danced in the autumn air,
When we walked hand in hand, talking away endlessly.
How quickly time went away, since I saw you for the first time,
We’ve been together since that moment, with love in our hearts.
Winter is here, in the city of Paris, just as my love left me here alone.
Holding me in your arms, you said, “I love you”,
Promising me that we’ll meet again,
I stood alone until your footsteps, disappeared in the evening air.
The falling leaves kissed my cheek, as they danced in the autumn air,
As if they knew the sorrow in my heart, comforting me gently,
The kiss we had yesterday, could be the last time for you and I,
Cause you left Paris leaving me alone, with memories.
Winter is here, in the city of Paris, just as my love left me here alone.
天龍でもクリスマスの何日か前にパーティーを開きました。お店を一日閉店して、20人位の大切なお客様やスタッフのためにマダムリヴィエールが計画してくれたのです。スタッフは、料理の準備や接待しながら参加しました。パーティーの日、マダムリヴィエールは朝から甘栗のスタッフィングを七面鳥に詰め、オーブンに入れます。午後になると、食堂の台所から美味しそうな七面鳥の焼いた匂いがお店一杯に広がります。彼女にとっては、外国で過ごす初めてのクリスマス。きらきら光る赤や緑の照明に囲まれ、彼が居ない寂しさも一時忘れ、彼女は皆ととても楽しい時間を過ごしました。
やがてクリスマスイブの日がやってきました。彼女は仕事仲間とノートルダム大聖堂の深夜のミサに参加する事にしました。初めてパリを訪れ、大聖堂を訪ねてから、もう3か月も経っています。その寒いクリスマスイブの夜、ウェイトレスの仕事を終え、メトロに乗ってミサが始まる随分前に大聖堂の中に入ります。真夜中とは思えないほど沢山の人達が参加していて、彼女達は後ろの方のベンチに座るのがやっとでした。ミサはもちろんフランス語で行われたのですが、聖歌隊が「荒野の果てに」という賛美歌を歌いだした時には、教会の隅から隅まで世界中から集まった信者たちが大きな声で「グローリア」と叫ぶように聖歌隊たちの声に加わって歌い始めます。何千人もの人が一度に歌い始めたのですから、その光景は、彼女の感情を掻き立て、そのミサは忘れられない思い出となりました。でも彼が傍にいたらもっと素敵な思い出になったのに、とちょっぴり寂しさを感じたのも本当です。ミサが終わると、真夜中の一時も過ぎています。外は凍えるほど寒かったのですが彼女達はメトロに乗り、パリの中心街にあるレストランに行きました。そこで初めて彼女はフランスで有名なオニオンスープを口にします。取っ手のついた茶色の陶器に白玉葱がたくさん入ったスープ、その上には大きめな2個のクルトン、そして溶けたチーズが器一杯に載せてあるのです。その美味しいスープに心を温められながら、彼にも食べさせてあげたいと心の中で呟く彼女がいました。
お正月になると彼女はフランス語を習う決心をしました。仕事の合間に少しずつ習うために、アリアンセフランセーズに通い始めます。英語も満足に話せないのですから、その上とても難しいフランス語を習うのは大変なことです。また東京にいた時と同じ様に、仕事と学校で毎日忙しい日々を送ることになってしまったのですが、新しい事をしているので、日本にいた時のように戸惑うこともありませんでした。彼と離れての生活が月日がたっても耐え切れないくらい寂しかったので、とにかく何かに専念したいと思っていたからです。そんな忙しい毎日は彼の居ない寂しさを少し紛らわせてくれたのは本当です。
2月末になると、天龍の主催で玄米食を中心にした食事を提供するキャンプがありました。そのキャンプはフランスの南部のシャモニーで行われるので、一緒に行って欲しいとマダムリヴィエールに頼まれます。キャンプは2週間ほど開かれるそうで、約25人位のパリからのお客様が入れ代わり参加し、彼女はウェイトレスとしてではなく、お客様の食事を一人で作ることを任されました。レストランの方からすると、お店を開けたままキャンプを催すには、彼女のような未熟な従業員に任せるしかなかったのでしょう。今彼女がそんなことを頼まれたら断ったことと思いますが、何しろ20代の彼女です。恐れ知らずというか、何でもやってみたいという好奇心で一杯でした。幸いなことに彼女は東京に住んでいた時に、ある有名な作曲家の家で6か月程家事の手伝いをしていたので、その間、料理本を片手にしながら色々な料理法を習っていました。でも、ただ彼女が日本人ということと、料理がある程度できるというだけで、彼女に大切なお客様に出す食事を全部任せるなんて、今考えると、マダムリヴィエールもかなりの賭けをしたみたいです。なぜなら、彼女が料理人として働く前までは、日本からの本職のクックさんがそんな仕事を任されていたのですから。
シャモニーまでは、天龍に時々ベルギーから訪れていた玄米食のアドバイザーが運転する車に便乗させていただきました。その方は日本人だったので、日本語の他、フランス語、そして英語をかなり流暢に話すことができたので、彼に通訳をしてもらい、マダムと車の中で色々な会話をすることができました。そんな会話を通してマダムの事を知れば知るほどその生き方に魅了させられた彼女でした。マダムも彼女のことをもっと知り、かなり気に入ってくれたみたいです。車がシャモニーに近づけば近づくほど、積雪が高くなり、アルプス山脈もそうですが、どこもかしこも真っ白で全く見事な風景です。最初にキャンプが行われた場所は、新築されたばかりのシャトーのような二階建ての家でした。その家は、内外装どちらも薄茶色の木造の大きな家で、一階には台所とリビング、お客様のための寝室が幾つかあり、そして階段を上って行くと、二階は半分吹き抜けで、寝室の前にある手すりから一階のリビングルームや玄関が見降ろせるようにデザインしてあります。そして2週間目にキャンプが行われた家は、白い小さなホテルの様な建物で、お客様の部屋が沢山あり、白壁の大きなリビングルームには暖炉もあって、とても居心地の良い宿泊地でした。
彼女は毎朝、誰よりも早く起き、黒パンを焼き、果物をぐつぐつ煮てお砂糖の全く入ってないジャムを作り、大豆で作られたコーヒーを用意します。お昼と夜は短い期間にレストランで教えて頂いた多種の料理(野菜の天ぷら、肉の代わりにグルテンを使った串カツ、漂白されていない小麦粉で作ったパスタ、ぐつぐつと長く似た野菜等)を玄米ご飯と一緒に用意しました。デザートには、砂糖やベーキングパウダーなどが全く入っていないケーキやリンゴパイなどを作り、意外と何もかもがスムーズにいったのですから不思議なものです。ほとんどのお客様は、何かの軽い病気をしていたらしく、短い期間に食べた玄米食がいくらかその症状を良くしてくれたみたいでした。そんな中、彼女の料理にとても感謝し、セーターとカーディガンのセットをプレゼントしてくれた夫婦までいました。普段の豪華なフランス料理に比べたら、質素であまり美味しいとは言えない食事でしたが、お客様の病気の症状を軽くすることに少しでも貢献することができたという意味では、彼女の料理はとても評判が良かったみたいです。
キャンプの合間に自由な時間もあり、彼女はお客様と一緒にシャモニーの街を歩き、お土産屋さんを覗いたり、ゴンドラに乗ってモンブランの山の麓まで行ったりもしました。そしてカフェでアルプス山脈を見ながら皆でお茶を飲んだのですが、そんな時はお客様も簡単な英語やフランス語で話してくれたので楽しい会話に包まれた彼女でした。シャモニーに来てから3日ほど経ったある日、パリからブロンドの可愛い5歳の子供を連れた一人の若い男性がキャンプに現れました。子供の大好きな彼女は、暇がある時にはその男の子と遊んであげ、とても仲良くなります。そうしているうちに、その男の子の父親とも時々話すようになりました。その男性は奥様と離婚したばかりで、その時は子供と過ごす許可を得て、キャンプに参加しているのだと言っていました。そして日差しの温かいある日、その男性がスキー場に誘ってくれたのです。勿論彼の息子も一緒です。その時彼は彼女がスキーをそれまで経験したことがないと知り、彼自身のスキーの前に乗せてくれました。彼のお陰で彼女は一生に一度だけ真っ白な雪の上をスキーに乗って走る爽快さを味わうことができたのです。その上、会話を通してお互いの心の痛みを少し分かち合えたような気もしました。数日後、パリに戻ったら必ず彼と息子に逢いに来るようにと彼女に名刺を残して、その若い男性はキャンプを去りました。
キャンプももう少しで終わりを告げます。マダムリヴィエールがシャモニーの町の有名なレストランに連れて行ってくれ、小さな感謝のパーティーを開いてくれました。彼女はそこで始めてフォンデュを口にします。テーブルの上に小さな油の入ったポットとチーズの入ったポットが卓上コンロに置かれていて、その周りにはお肉、野菜。そして小さく切ったバゲットが大きなお皿に綺麗に並べてありました。なんだか日本の天ぷらみたいだなと彼女は思いながら、お肉や野菜を一つずつステンレスの串に差し、程よく煮立っている油に入れて少し待ち、テーブルの上に用意された幾つかのソースにつけて食べます。揚げたてのお肉や野菜の、それは美味しいこと。もう一つのチーズが入っているポットにはバゲットを入れ,溶けたチーズを絡ませて食べる。全く優雅な食事の仕方です。メインコースが終わると、今度はチョコレートが入ったポットとすり替えられ、多種の果物が目の前に並べられます。好きな果物をまた一つ一つ取り、今度は溶けたチョコレートを絡ませ、いただきました。彼女は甘いものは余り好きではなかったのですが、そのレストランで使われたチョコレートは甘すぎなく、とても美味しくいただきました。
2週間の仕事も終え、車で彼女達をシャモニーまで連れてきてくれた男性が、先にベルギーに帰ってしまったので、彼女はマダムリヴィエールと二人で夜汽車でパリに戻ることになりました。二人は簡単なフランス語と英語を混ぜて話し、汽車の中で楽しい時間を過ごします。同じ寝台車の部屋に一緒に泊まることになったのですが、どうにも下のベッドに横たわっているマダムリヴィエールに落ち着きがありません。どうかしたのかとマダムに聞くと、体中が痛くてたまらないというのです。その日の午後に食べた甘いケーキが原因なのだとマダムは言いました。14歳の時にフランス料理から玄米食に切り替えてから、砂糖にはとても気を付けているのだとか。マダムもパリジャンですから、本当は甘い物は大好きなのです。でも白砂糖が入っている物を食べるたびに、首、肩、膝、そして腰などがびりびりと痛むのだそうです。彼女は自分のベッドから降り、そんなマダムの体を優しくマッサージしてあげ、眠りにつくまで静かに会話を続けます。そしてマダムの息が安定してきて眠りについた後、彼女も自分のベッドに戻り、カナダ人の彼の思い出に浸り始めます。数えきれない程一緒に夜汽車に乗って隣り合わせに座り、朝まで過ごした懐かしい日々のことを… 揺れる汽車の天井をじっと見つめて、彼のぬくもりを思い出し、いつの間にか、うとうとと彼女は眠りにつきました。