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愛、恋、して恋愛 (ある女の物語Ⅰ)

 

カナダ(第12章)

 

シャモニーでのキャンプから帰ると、彼女は彼と一緒に生活したパリの宿泊所に戻ります。ドアを開けた瞬間、彼がそこにはもう居ないことは解かっているのですが「I’m back.」と声をかけます。そしてキャンプでどんな事があったかなどを、あたかも彼がすぐ傍にいるかのように荷物の整理をしながら話し続けます。旅の疲れもあって、彼の居ない部屋がもっと寂しく思えました。そして彼とのその部屋での思い出がどっと蘇ってきます、特に彼にプロポーズされた夜の事が。そんな悲しさを抑えるように次の日から彼女はもっと仕事に励みます。マダムリヴィエールともシャモニーで一緒に生活してからもっと近しくなり、仕事に真剣に向き合っている彼女がかなり気に入ったのか、ずっとレストランで働いてくれと頼まれました。でも彼女はパリに長く暮らすつもりは全くありません。彼女には日本に帰ってカナダの彼を待つか、彼の住むカナダに行くかその二つの選択肢しかありませんでした。マダムの願いに何と答えて良いかわからず、自分自身もどちらの道を選んでよいか困っていた時に、彼女に一通の手紙が彼から届いたのです。

「僕の国に来てほしい。カナダで結婚しよう。」

と、手紙には書いてありました。その言葉を彼女はどんなに待ったことか… やっと彼にまた逢えるのです。それと同時に、将来何処で彼と暮らすのかという悩みからも解放されました。彼は本当に約束を果たしてくれるのです。彼女は退職する思いを告げると、給料をもっと上げるから、どうしてもパリに残って欲しいとマダムは彼女に懇願します。でも彼女の決心を変えることはできませんでした。お金がどうのこうのと言うのでは無いのです。彼女にはどうしても彼が必要なのです。彼女は早速パリからカナダまで電話をかけ、彼と再開する日、時間、場所を決めると、パリで働いて貯めたお金で、カナダへの片道の飛行機の切符を購入しました。そしてその後一週間程パリに残り、仕事の引継ぎなどを終え、彼の家族にお土産を買い求めたり、パリ滞在4か月の間に少したまった荷物を整理したりもします。そして色々お世話になったマダムや天龍の従業員達、親しくなったお客様や友達に別れを告げました。3月末のある晴天の日、荷物をまとめ、彼女はレストランの皆に送られて天龍を後にします。天龍ではウェイトレスやクックの仕事の経験だけでなく、健康食の知識も得て、その上友達もできて彼女にとってはパリ滞在のすべてがとても良い経験となりました。

彼女はモントリオール経由でトロントの飛行場に到着します。そしてトロントから直通のバスに乗ってナイアガラの滝へ… 45分位経ったでしょうか。バスは彼女の目的地に着きました。ゴーゴーと唸るような音を立て、しぶきを高く上げながら莫大な水が上流から落下しているナイアガラの滝。その光景は目を見張るものでした。ホースシューの形をしたその滝はカナダ側からもアメリカ側からも見え、彼女が想像していたより壮大なものです。その日の空は何となくどんよりしていて、滝の傍に近づくと視野が遮られる程の水しぶきに彼女は包まれました。でもその水しぶきは、暖かい春の風と一緒に舞い上がり、彼女を柔らかく包んでいるようにも思えました。もうすぐ彼に逢えるからでしょうか、彼女の胸の鼓動は張り裂けてしまうほど高鳴り始めます。そして深い霧の様なしぶきの中に彼の姿が現れた瞬間、彼女の顔に笑顔がほころびました。彼も彼女が視野に入ると嬉しそうに微笑ながらゆっくりと近づいてきます。彼がパリを去ってから3か月ぶりの再会です。二人は少しの間お互いを見つめると、霧の舞う中で抱きあいました。久しぶりの抱擁に、忘れかけていたお互いの温かさを感じ、二人はそのままじっと長い間滝の前で立止りました。

「もう貴方を二度とこの腕から離したくない。このまま時計が止まってしまってもいい、一生こうして一緒に居ることができるなら…」

と彼女は彼の胸の中で呟きます。

パリで約束した通りカナダで待っていてくれた彼に、彼女は心から感謝しました。クリスマスを家族と祝うためにカナダに帰国し、元の生活に完全に戻ってしまった彼。そんな彼が別れてから3か月も過ぎたその時になっても心替えしなかったのです。そんな決意の裏には、かなりの覚悟があったと彼女には思えました。どうしてかと言うと、人はどんなに辛い経験や,恋に落ちて忘れられない人がいても、長い時が立てば、いつか忘れられるものなのです。そうでなかったら、この世の中は、昔に起きた悲しい出来事や満たされなかった夢、そして恋の思い出にいつまでも浸り続け、そんな過去から一生回復できずに毎日を過ごす、不幸な人間だらけになってしまうでしょう。

ナイアガラの滝の麓で再会したのち、彼女は車で40分位離れたハミルトン市に住んでいる彼の家を訪れました。ハミルトン市はカナダの鉄鋼の生産が多く、「カナダの鉄鋼の首都」とも呼ばれてるそうです。迎えてくれたのはご両親とお姉さん、弟が二人、そして妹が一人。家族は皆、日本人である彼女を偏見する事も無く、温かく迎えてくれたのです。彼女は自分を紹介し挨拶をすると、彼の家族を見上げました。全員彼女よりかなり背が高く体格も立派です。そんな家族に囲まれて、「私はこの家には属していない。こんな自分が何でここまで来てしまったのだろう。」と、始めは少し不安になりました。でも言葉のハンデが有り、カナダの習慣も知らない彼女を皆とても気遣ってくれただけでなく、英語が理解できるように彼女にゆっくりと話しかけてくれます。その上、彼がヨーロッパを旅行をしていた時と同じように、いつも彼女の傍にいてくれたのです。挨拶がし終わり彼女がパリからのお土産を皆に渡すと、家族全員とても嬉しそうに受け取ってくれました。後で知ったことですが、西洋では旅行からのお土産を人にあげる習慣は殆ど有りません。ですから期待していなかったパリからの珍しいお土産を受け取り、とても彼女に感謝してくれたのだと思います。

彼のお母さんは、その日は初めて彼女に逢った特別な日だと言って夕食にローストビーフを作ってくれました。彼女はパリからの旅で全く寝ておらず、とても疲れていたのにも関わらず、台所に入ってお母さんの手伝いをします。彼のお母さんは何でも率先して家事を手伝う彼女を見て、とても満足しているようでした。ローストビーフ、マッシュポテト、コーン、旬の野菜、そしてデザートには、お母さんが作った彼の大好なチョコレートケーキまで用意してあります。準備ができると家族全員で食卓を囲みます。その時彼女は笑顔で受け入れてくれた彼の家族に心から感謝しました。

でもその二日後、早く彼女と結婚をしようと思っていた彼にお父さんはこう言いました。

「結婚は急ぐことは無い、彼女がカナダでの生活をまず経験して、新しい生活に満足し、この国に住める確信を持ってからするように。」

一昔前の考え方を持った彼のお父さんは、異人種間の結婚は余り好まなかったのでしょう。でもお父さんの言う事ももっともです。もし彼女が結婚した後にカナダの生活に耐えられないような事があれば、取返しのつかない事になるのは当然です。そういう訳で式をすぐ挙げるのではなく、お父さんのアドバイス通り結婚を前提に少しの間、お付き合いをする事に二人は決めました。でも彼女のビザは旅行者としてのビザだったので、もう2か月で切れてしまうのです。ですから彼女がカナダで暮らすためには、移民の申請をその間にしなければなりません。そういう訳で、ハミルトン市にある役所に二人は訪れ、移民申請に行きました。残念なことに、彼女が大学に出ていないこと、2ヶ国語だけしか話せないこと、彼女の家が裕福でないこと (申請者の家庭がかなり裕福ですと、移民が簡単に許可されることもあるそうです)、そして彼女の親戚がカナダに誰も住んでいないことが理由で申請は拒否されました。でもそんな事で諦める二人ではありません。カナダは広い。もっと西部に行けば、移民を必要な州もある可能性があるのでは… 二人は移民要請をするために、2000キロもある距離を東部から西部までヒッチハイクで横断する決意をしました。その間、州都一つ一つ訪れ、彼女の移民の申請をすることに決めたのです。また二人の新しい冒険が始まるのです。

二人の最終目的地はカナダ西部のアルバータ州、カルガリー。その街には彼のお兄さんの家族が住んでいます。そして彼女が彼と再会した2週間後に二人はハミルトンを後にします。その頃はヒッチハイクは安全でしたし、若者の間では結構流行っていたので、意外と簡単に一つの街から次の街へと行くことができました。最初のストップはオンタリオ州のジョージアンベイの近くです。そこでは残念ながら宿泊所が見つからず、二人は騒がしいカエルの声を聴きながら小さな林の中で野宿をしなければなりません。幸いそんな時のためにスリーピングバッグを持参していたので、キャンプに行ったような気分で寒い夜を過ごすことができました。そしてスペリオル湖の沿岸にあるサンダーベイ(オンタリオ州)からマニトバ州の州都ウィニペグに二人は向かいます。サンダーベイで車を止め、ウィニペグまで乗せてくれた夫婦は二人をかなり気に入ってくれ、親切にも彼らの家に一晩泊まらせてくれました。ウィニペグを出るといくら車が走っても平地ばかりで、家、森、山もなく、地平線が両脇に何時間も広がっています。そして、ただ一本の道が真っ直ぐ見渡す限り続いているのです。こんな道を車で運転していると、単調な景色を長い間見てるうちに、眠くなって事故を起こすドライバーもいるのだとか。その時彼女はロシアのシベリアで乗った汽車の旅を思い出しました。あの時も、汽車がどれだけ走っても平地だけが窓から見え、変わらない景色ばかりでした。でも地平線にゆっくりと沈んでいく真っ赤な夕日は素晴らしかった… 

次に二人はブランドン(マニトバ州)にまで若い男性の車に乗せてもらいます。そしてそこからまたヒッチハイクし、次の車に乗せてもらい、バーデン(マニトバ州)に着きました。バーデンで降りた場所には土手がありました。そこでいつものように彼と二人でヒッチハイクをしたのですが、長い間車が止まってくれません。考えた末、彼女だけが道路に立つことにしました。女性一人なら、意外と簡単に車が止まってくれるかもしれないと思ったからです。二人の想像通り、彼女が一人で立っていると、すぐ車が止まってくれたのです。そして親切そうな若い夫妻が彼女に車に入るよう手招きしました。彼女はその夫婦を裏切ったようで後ろめたい気持ちもしましたが、土手の後ろに隠れていた彼を呼び、彼も一緒に乗せてくれるでしょうかと頼んだのです。そうすると、その若い夫婦は少し驚いたような顔をしましたが、それでも彼を快く迎えてくれました。会話が得意な彼は、ヨーロッパ旅行中の面白い出来事などを面白おかしく話したので、単調な長い旅をもっと楽しいものにしてくれたと、その若い夫婦は二人に感謝までしてくれました。その夫婦と一緒に二人はアルバータ州の州都エドモントンに着きます。ヒッチハイクをしている間、幾つかの州都で移民の申請をしましたが、残念ながら、どの役所も彼女の申請を受け入れてくれませんでした。理由はハミルトンの役所での時と全く同じです。もうすぐ彼女の旅行ビザも切れる日が近づいてきています。

アルバータ州の州都エドモントンには高層ビルが並んでいましたが、どこを歩いても蚊の群れで一杯です。湿気のある日が続き、蚊の繁殖がいつもより多かったのだろうと彼は言いました。蚊に食われたことは日本でも何度もありましたが、あんなに多くの蚊の群れを大きな街の真ん中で見たのは初めてです。次の目的地は彼のお兄さんが住んでいる、エドモントンの南方にあるカルガリーです。エドモントンからはヒッチハイクでなくバスに乗っていくことにしました。3時間ほどバスに乗り二人は最終目的地のカルガリーに着きます。バス停ではお兄さんの奥さんが生後5か月の赤ちゃんを連れて迎えに来てくれていました。カルガリーではその頃石油ブームで、北アメリカ中から大きな石油会社の本社や支社の建築で賑わっており、どこを見ても高層ビルが建ち始めています。街の真ん中には、カルガリータワーがあり、その頂上からはロッキー山脈や街の全景が見えるのだそうです。そして7月の初めにはスタンピードという大きな西部ならではのお祭りがあり、前回に彼がカルガリーを訪れた時にはそのお祭りに行くことができ、とても楽しかったと言っていました。スタンピードのお祭りが開かれるその10日間は、街を歩いている殆どの市民がカーボーイの服装をし、パレードを見たり、フォークダンスを繁華街で踊ったり、スタンピードのお祭りが行われる競技場では、ロデオやチャックワーゴンを楽しみ、素晴らしいミュージカルの舞台なども見物できるのだそうです。とにかくカルガリーは、カーボーイが住んでいる西部のような雰囲気が漂っていたのと同時に、近代的なガラスのビルが沢山並びキラキラと輝いていて、とても不思議な光景が見られる街でした。

カルガリー滞在中はお兄さんの家でしばらくお世話になることになりました。そして二人はその街でも移民の申請をしましたが、残念ながら他の都州の役所と全く同じ理由で断られてしまいます。一週間以内に彼女の移民が許されなければ、旅行ビザの切れた時点で彼女は強制的に国外追放されるのです。そんな訳で、その時二人は彼らの人生で一番大きな選択を強いられました。彼が彼女と一緒に日本に行くか、それともカルガリーで結婚するのか、どちらかを選ばなくてはならないのです。二人はかなり苦しみましたが、彼のお父さんのアドバイスに反して結婚することを選びました。そしてカトリックの教会に足を運び、結婚式の予約をしようとしましたが、宗教上、結婚のための教育コースをとってからでないと式を挙げてくれないというのです。そのコースを毎週一回、十週間受けなければならないのです。その時の彼らにそんな時間的な余裕はありません。二人は、せっぱ詰まった状態の中、他の教会を探しました。そして、いくらかの寄付をすれば簡単な結婚式を挙げてくれるという、ファーストバプティズム教会を見つけました。勿論結婚式を挙げる前に「貴方たちは移民権をとるだけのために結婚するのではないのですね。」と、担当してくださった牧師様に念を押されます。

もし結婚していなかったら、国外追放が余儀なくされていた5月の31日、二人は式を教会で挙げます。彼女がカナダに初めて到着してから2か月が経っていました。広い教会の中に入ると、他のカップルの結婚式のすぐ後だったらしく、祭壇の前にはたくさんの白い花々が、そしてベンチの端も白い花々で飾られています。そんな中、彼はまだヒッピーのようないでたちで、薄いグリーンのセーターとジーンズをはき、彼女も紺のセーターにスラックスをはいて結婚式に臨みました。彼は指輪をするのが好きではなかったので、彼女のためにだけ10ドルの金の指輪を用意します。参加者はたった3人。彼のお兄さんと奥さん、そして小さな赤ちゃんだけです。そんな中二人とも興奮で気持ちが高まっています。短期間で暗記したとても長い誓いの言葉を祭壇と牧師様の前で宣言し、結婚式は無事に終わりました。それから必要な書類にサインをして二人は法律上認められた夫婦となります。もう日本に強制的に追放されることはないのです。二人はやっと安堵し、その夜は中華料理を4人分注文して、お兄さんの家で結婚のお祝いをしました。その週末、お兄さん夫婦がロッキー山脈の近くにあるバンフに車で連れて行ってくれます。ロッキー山脈に囲まれて静かに佇む小さな街バンフ。そこからまた一時間程車で行くと、レイクルイーズに着きました。真っ白な雪に覆われた山の前にあるその湖は、氷河から溶けた水に含まれた岩粉が太陽に反射して、独特なエメラルド色に輝いています。信じられないくらい神秘的で、美しい光景でした。

でも、それから彼女の試練がまた始まります。彼女の両親に結婚の承諾を、まだ得ていないのですから。早速日本にいる父母に長い手紙を書き、カナダ人と結婚したと伝えました。3週間後に母から返事がきましたが、封筒を開けると、字が読めないくらい涙でぐしゃぐしゃになった便箋が入っています。最後には、「お前がそんな我儘な娘なら勘当する。」とも書いてありました。彼女はそんな手紙を読んで、一年前にヨーロッパに行きたいと告げた東京での母との会話を思い出し、涙を流します。あまりにものショックにどうしてよいかわからず、何時間も泣いていた母。今度は、彼女が外国人と結婚したと聞いてその時よりもっとショックだったことでしょう… 自分は本当に我儘な娘だと彼女は認め、カナダから父母に頭を何度も下げるより他はありませんでした。でも彼女は、

「あんなに可愛がってくれた父母が私を本当に勘当するなんて信じられない。早く日本に帰って実際に彼と顔を合わせたら、白人でも彼が優しい人だと知り、父母は二人の結婚を認めてくれるかもしれない。」

と、彼女は思い、彼と相談して7月に日本に帰国することを決めたのです。でも二人とも旅行資金がもう尽き果ててきています。そんな事情をお兄さん夫妻に相談すると、親切にも飛行機代を貸してくれるというのです。彼がカナダに戻ってきてから、お兄さんの会社で働き、お金を返すことを条件に… 二人はお兄さん夫婦に心から感謝し、カルガリーからバンクーバーまでの汽車の切符と、そこから日本までの往復の空港券を購入し、数日後カルガリーを去りました。その時は気づいていませんでしたが、日本に着いた時点で、彼女は地球を一周したことになるのです。横浜から船に乗りロシアのナホトカに行き、シベリア経由でロシアを横断し、ヨーロッパの各地を旅行。それからパリで何か月か仕事をし、飛行機で大西洋を越えてカナダに。その後アメリカ大陸をヒッチハイクで横断し、バンクーバーからまた日本に戻るのですから…

バンクーバー行きの汽車は雪に覆われた美しいロッキー山脈を通り抜け、15時間後に駅に着きました。二人は翌日バンクーバーから日本に旅立つ予定です。せっかくここまで来たのだから、日本に発つ前に繁華街を訪れてみようと、その日の午後バンクーバーの街を歩きます。そしてロブソン通りで、肩を寄せ合って歩いている二人の姿がありました。未来の希望と夢、そしてこれからの不安にも満ちた若い二人の姿が… 

 

 

 

ナイアガラの滝で、逢おうといった、

しぶきに濡れながら、貴方を待った。

ウーウーウーウー

愛があるなら、きっと逢える、

その言葉を信じて、貴方に逢いに来た私。

 

バンフの街の (Holding you I know),

風は冷たい (You are the one from now )

震える私を (Spend the life together)

私を抱きしめる貴方

ウーウーウーウー

そんな貴方が、とても好きなの。

だから此処まで来たのよ、

貴方の愛する国へ、

 

 

ロブソン通りで肩を寄せ合う

貴方の愛が、私を酔わす。

ウーウーウーウー

 

私の旅は、此処でお終い。

遠い国から、海を超え、

貴方のもとへ来た私、

 

貴方の愛する国、カナダ、カナダ