愛、恋、旅、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)
もう一度愛したい (第二章)
僧服の人が東京を去ってから彼女は失恋の悲しみに毎日明け暮れていました。遠くに行ってしまった彼の事を思うだけで、胸が張り避けるような気持が長い間続いたのです。こんな思いは若い彼女には経験の無かった事でした。愛する事が、そしてその愛が報われない事がこんなにも辛く悲しいものだとは想像もしていませんでした。
「こんなに苦しい思いをするなら、いっそのこと自分の魂を悪魔に売り渡してしまいたい。そうすれば、もう恋をすることも、人を愛することもできなくなるわ。もしこの世に悪魔がいるのなら、お願い、私の魂を貴方に委ねる約束をするから、この苦しみから私を救って!」
と、悪魔に懇願したのです。
でもそれから数か月が経ち、仕事と学校に再び専念する事ができるようになり始めた頃、彼女の苦しみを包んでくれるように接してくれた、優しい男性が現れました。同じ会社に勤めているその彼は、同僚からも信頼され、会社での未来も明るい、少し年上の男性でした。彼と一緒にいるだけで胸の痛みが少しずつ癒されるのを彼女は感じ、忘れられなかった僧服の人との思い出も徐々に胸の中から消え始めたのです。そして東京の街でデートを重ねるたび、心の奥にずっと閉まっておいた、誰かをもう一度愛したいという気持ちが目覚め、新しい恋に落ちました。悪魔との約束をも忘れたように…
恋に破れた苦しみに、耐え切れずに、泣いた私。
でも今日から、悲しみとも涙ともお別れ。
だあって私の魂を、悪魔に売り渡した。
だあって私の魂を、悪魔に売り渡した。
もう誰も愛さない、もう誰も愛せない。
もう誰も愛さない、もう誰にも愛されない。
でも貴方に逢ったその時から、私は貴方の虜なの。
悪魔との約束も忘れて、ただ貴方に愛されたい。
お願い私の魂を返してほしい。
お願い私の魂を返してほしい。
もう一度愛したい。貴方を愛したい。
もう一度愛されたい。貴方に愛されたい。
でも「何故この世に生まれてきたのか?」という問いは彼女の胸の奥底にまだ存在し続けました。そして新しい彼とのお付き合いをしている間も変わりなく彼女を苦しめました。そんな時に彼女は教会の青年達に勧められ、鎌倉で行われた黙想会に参加したのです。その黙想会で、十年以上も日本に滞在していた、カナダのロジェ神父様の講義を聞くチャンスに恵まれました。「人間としての生き甲斐を最大に感じるためには、自分の人生をどんな風に歩むべきか?」という事がその黙想会での課題でした。その講義は余りにも印象深く、彼女はその神父様の一つ一つの言葉に縋(すが)る様に耳を傾けたのです。そして最後に、
「貴方達はまだ若いのです。未来は貴方達自身が作るものです。世界を見ていらっしゃい。」
と、言ったロジェ神父様の言葉に深く影響され、数か月後、彼女はヨーロッパに単独で旅行することを決心しました。そうすれば今まで彼女を悩ましていた問いの答えが見つかるのではとも思えたからです。でもそんな極端な行動はあの頃の若い日本の女性には稀でした。そして女の一人旅はとても危険なのではと、彼女の両親は強く反対しました。でも彼女の固い決心が変わらない事を理解した両親は、数か月後、彼女の一人旅を快く応援してくれたのです。(注:ロジェ神父様の印象深い講義の詳細は、「モンサンミッシェル」と言うエッセイの中に描かれています。)
彼女の新しい冒険をする決心を恋人に告げる時が来ました。それを聞いて最初は少し戸惑っていた彼でしたが、最終的には彼女を止めることなく、
「行ってくればいい。」
と、彼女を励ましてくれたのです。そんな彼がもっと愛おしく思えました。そして帰国してから結婚をすると口約束した彼女は、その後、長期ヨーロッパ旅行に出かける決心をしたのです。彼女は早速交通会社を訪れ、あの頃若者の間で人気が上昇していたシベリヤ経由のグループツアーに、その年の夏に参加することにしました。なぜならその一週間のツアーに加わると、旅客船、汽車、飛行機等、多種の旅行経験が短期間で味わえる、絶好のツアーだったからです。そして、ヨーロッパの国々での鉄道の切符を買う煩わしさを避けるために、西ヨーロッパ内の鉄道ならどこでも使えて予約の必要の無いユーレイルパスを買い求めました。それから「ヨーロッパ(一日5ドル)」と言う本を買い求め、できる限り少ないお金で長い間ヨーロッパ旅行を続ける情報を得ました。
1970年の春、彼女が長期旅行に出る少し前に、万国博覧会が大阪で開催されました。会社で付き合っていた彼は二人の思い出を残すために、一緒に行かないかと彼女を誘いました。でも彼の本心は、彼女が彼の事をどれだけ真剣に思っているのか、ヨーロッパ旅行に出る前に、はっきり知っておきたかったのです。彼女はそんなことは何も知らず、その誘いに応じて夏の初めに、彼と一緒に何日か万博の会場に足を運びました。その日々は天候も最高で、真っ青な空の下で開かれた博覧会では目を見張るものが数えきれない程ありました。有名な太陽の塔を訪れると、その周りには世界中から外国人が集まっていて、日本にいる感覚よりも、外国を訪れているような気分にさえなります。そこで行われたステージショーの最後には、まるでラスベガスで見るようなカラフルなコスチュームを着た外国人の背の高い美女たちが、優雅に踊りながら、
「さよなら、さよなら、君に会えて良かった。
さよなら、さよなら、君に会えて良かった。
さよなら、さよなら、いつまでもいつまでもお元気で
さよなら、さよなら、いつまでもいつまでもお元気で。」
と、奇麗な日本語で歌っています。その優しい歌声とメロディーは、いつまでも彼女の心に残りました。そして数々のパビリオンも巡り、世界中の新製品に目をみはったり、幾つかの外国料理も味わったりもし、とても楽しい日々を彼と過ごしたのです。
その数週間後、彼女は仕事を退職し、アパートを引き払い、今まで所持していた荷物は実家で引き取ってもらいました。そして自分の体の半分位ある大きなリュックサックに最小限の必要品を詰め、八月のある朝、一人旅に出たのです。
彼女が日本を発った日、乗船手続きに間に合うようにと、彼は朝早くから横浜まで送ってきてくれました。その手続きが済み、二人はたわいもない話をしながら旅客船が出港するドックまで一緒に歩きました。これが最後の別れかも知れないという不安を心の底に封じ込めて…
ロシアの旅客船バイカル号が停船している目の前のドックでは、乗客を送りに来た沢山の人々で賑わっていました。その中には、彼女の両親や友達も待ち受けているのが見えます。でも彼は、彼女の両親にはまだ逢わない方が良いと判断し、最後に彼女を強く抱きしめると、
「待っているよ。」
と一言彼女に呟き、振り返りもせず去ってしまいました。まるでもう二度と彼女に逢うことが無いであろうという事を理解していたかのように。
旅客船に近づくと、遠くからわざわざ送りに来てくれた親族が彼女を取り囲みます。友達などは彼女の冒険の詳細を知ると、帰りの切符も持たないでヨーロッパ旅行に出るその勇気に驚かされ、彼女以上に興奮しはじめています。そんなこんなで楽しい会話をしていると、あっという間に離船の時間が近づきました。そして巨大なバイカル号を目の前にし、いよいよ日本を離れて世界旅行に挑戦するのだと自分に言い聞かせながら彼女は乗船したのです。荷物が船底の小さな4人部屋のキャビンに収めてあるのを確認してから船のデックに戻り、事前に渡された何本かの淡い色とりどりの紙テープを家族と友達の方に向かって投げました。それが皆に届くと、それを待っていたかのように別れの曲が何処からか流れだします。そしてバイカル号は大きな汽笛を何回か鳴らし、ゆっくりと、名残り惜しそうに横浜の港を離れていったのです。
船が沖に出始めると、テープの一つ一つが途中で切れはじめ、そよ風に揺れながら海にゆったりと落ち、船と港の間の海面はカラフルな淡い色のテープで覆われました。そんな光景を見ながら彼女は両親の方に目を向けました。じっと彼女の方を見つめている父の傍で、着物の胸に入っていたハンカチを取り出して目頭を何度も何度も拭いている母の姿が有ります。彼女はその光景を見て、本当は母と一緒に泣きたかったのですが、必死に涙をこらえて笑顔を装い、両親や友達の姿が見えなくなるまで腕を振り続けました。
バイカル号は横浜を出港し、北陸沿いに回航して、津軽海峡を渡ってロシアのナホトカに向かいます。横浜を出た一時間後、昼食の時間になったので、同室の若い女性3人と一緒に彼女はレストランに行くことになりました。皆、朝早くから何も食べていなかったので、スープやサンドイッチなどをお腹が一杯になるまで食べてしまいました。でも最悪なことに、午後からひどい高波になり船は左右に大きく揺れ始め、それまで船に乗る経験をしていなかった彼女達はかなりの船酔いに悩まされました。お昼に食べ過ぎたことも原因だったみたいです。でも翌日のお昼ごろまでには高波は静まり、やっと船酔いから解放されて食欲がで始め、また皆で一緒に夕食に出かけることになりました。最終港に着く前夜なのでかなりフォーマルな夕食になるとエージェントから連絡が有り、皆おめかしをすることになりました。彼女はジーンズから紺色のレースのミニドレスに着替え、長い髪に同じ紺色のレースのリボンをつけ、お化粧までし、ワクワクしながら皆とレストランに行きました。正装したホステスに案内されて中に入ると、前日のお昼を食べた時に見たカジュアルなレストランの雰囲気とは全く異なっていたので、彼女達は驚きました。エレガントなデコレーション、真っ白なテーブルクロスの上にクリスタルのワイングラス、銀色のナイフ、フォーク、スプーン等がシャンデリアの光に照らされて豪華な雰囲気を醸(かも)し出していたのです。
その夜、彼女達のテーブルを担当してくれたウエイトレスは、典型的なロシア人で、恰幅(かっぷく)の良い、とても優しそうな20代半ばの女性でした。彼女の名前はナージャ。マトリョーシカ人形(ロシア民芸の一つ、カラフルなコケシの中に幾つかの小さなコケシが重なって入っている人形)の一番外側のコケシを思い出させるようなふくよかな女性でした。
ナージャは慣れた手つきで、まず水とワインを手際よくクリスタルのグラスに注ぎ、バスケットに上品に並べられたロシアの黒パンとロールパンを持ってきてくれました。その後、前菜には高価な黒いキャビア、そして、ボルシチスープ、サラダなど、今まで彼女が口にしたことのない食べ物が次々に運ばれてきました。その後も魚と肉料理、最後にはデザートも運ばれてきて、おなかは満腹。皆とても豪華な夕食を堪能しました。そんな優雅な食事は1時間半も続いたでしょうか、その間、彼女達は、ウエイトレスのナージャに親しみを感じはじめます。日本語が少し話せるナージャと、ロシア語は全く話せない彼女達との会話は、簡単な英語に手真似を加えることで何とかお互いの意思を伝えることができました。長い食事の間、ナージャにとても親切にしてもらい、空腹からもやっと解放されて、皆幸せな気分でレストランを出ました。
その夜、お別れパーティーがダンスフロアで開催されました。彼女達は興味津々で、夕食の後、直ぐ参加することにしました。集まった人達は皆、彼女達以上にフォーマルな服装をまとい、日中にデッキですれ違った人々とはとても思えません。日本人のグループは、初めはたくさんの外国人に囲まれ、なんとなく怖気(おじけ)づいていたのですが、カラフルな照明がダンスフロアーに散らばり始めた頃には緊張もほぐれ、皆ダンスに参加しました。といっても、フォーマルなダンスなどは踊ったこともないし、まして相手もいないので、ツイストぐらいしか踊れませんでしたが… でも最後には皆、国境を越えて一つの大きな輪になって踊りはじめ、夢のような楽しいパーティーになったのです。とにかく彼女にとっては全てが初めての経験でした。
踊り疲れてキャビンに戻る前に少し涼しい風にでもあたろうと、彼女達はデッキに出ました。荒れ狂った様に船体を打ち砕いていた波は、前日とはうって変わって、その夜は月の光を受けて穏やかに打ち寄せ、夜空には宝石を散りばめたようにキラキラと沢山の星が輝いています。そんな光景をじっと眺めて、幸せな気分でデッキにもたれて立っていると、たまたま仕事を終えて自分の部屋に戻る途中のウエイトレスのナージャに出会いました。ナージャは彼女達だと気が付くと微笑んで話しかけてきます。彼女達はナージャに自分達の部屋に来ないかと誘いました。30分位狭いキャビンで一緒に過ごしたでしょうか。人間というのは面白いもので、言葉は通じなくともお互いに信頼できれば、いくらでも楽しい一時を一緒に過ごせるものです。彼女達は最後に小さな日本のお土産をナージャに渡しました。するとナージャはとても喜んで彼女達を一人一人抱擁してくれたのです。ふくよかなナージャに抱かれると、彼女は自分の小さな体がナージャの胸の中に消えてしまったような感覚にまでなりました。
でも翌日の午後ナホトカに着くと、そんな楽しい旅行雰囲気は一変しました。バイカル号が港に着き次第、ロシア入国手続きが船の中で行われたのです。その時、真夏だというのに深緑色の長いコートを着、帽子をかぶった厳格そのものの姿をした検察官達がライフルを肩から下げ、彼女達のキャビンの中にドタドタと入ってきたのです。その威厳ある,凄ましい彼等の行動に驚いて、彼女達は恐る恐る要求されたパスポートや他の書類を渡しました。でも彼らは書類を調べた後、何も異常がないことを確認すると、あっという間に次のキャビンに消えてしまったのです。
ナホトカから夜汽車に乗り、またもや豪華なロシア料理を食べながら窓の外を見ると、真っ赤な夕日が果てしもないロシアの地平線を覆っていました。それは日本では見たことのない素晴らしい光景でした。そして翌朝、汽車はハバロスクへ着いたのです。
ハバロスクからモスクワ行きの満員の飛行機の中で、彼女は二人の若いロシアの軍人さんと隣り合わせになりました。言葉が通じませんでしたから、手真似でお互いを紹介し、時々はフライトアテンダントに通訳をしてもらって会話を始めたのです。約八時間、飛行機の中で一緒に過ごしましたから、最後の頃には言葉が通じなくても何となくお互いの意思が通じ合い、「カチューシャ」や「仕事の歌」など、彼女が知っているロシアの歌を彼等と一緒に歌ったりまでしました。周りの人達も、自国の言葉で彼女たちの歌に加わり、皆楽しい時間を過ごしたのです。そして飛行機がストックホルムに着く寸前、お互いの住所を交換することになりました。彼女は、すぐ隣の軍人さんのメモ帳に実家の住所を書き、その軍人さんも彼の住所を書き留めてから彼女のメモ帳を手渡してくれました。すると突然、アイル側に座っていたもう一人の軍人さんが急に顔色を変えてメモ帳を彼女からむしり取り、住所が書いてあるページを破ってしまったのです。あげくの果てにはそのページを彼女の目の前で細かく破り、とても不服そうにもう一人の軍人さんを睨みつけ、自分の軍服の胸のポケットに詰め込みました。とにかく、あまりにも突然のことで、言葉も出ず、彼女は少し怖くなり胸がドキドキし始めます。そういえば、ロシアに着く前にガイドさんから、軍人さんがマーチしている姿や軍事基地の写真を撮ると、フィルムや、下手をすると、カメラまで没収されるかもしれないので気を付けてくださいと忠告されたことを思い出しました。破られたページに書かれたその住所は軍人さんの所属している秘密基地だったのかもしれないと彼女は思いました。
そんなこんなで機内で色々なことが有りましたが、飛行機は無事にモスクワに着きました。二人の軍人さんは、席を立つ前に、少し前に起きたことがまるで何でもなかったように微笑んで、彼女に握手をしながら別れの挨拶をしたのです。