モンサンミッシェル   

 

著者:前田洋子

編集者:佐藤和恵

ドアの鍵が部屋の中からガチャッと掛かる音がした。 彼女はその音に驚きドアの内側に立っている若いフランス人の後ろ姿を不安そうに見た。 彼は180㎝、そして80キロもあるだろうか、小柄な彼女と比べたら巨人のように大きな男である。 彼女はその日の夕方6時頃に、初めてその男に逢ったばかりだ。 2度目にその部屋で会う事になった理由は、彼の仕事が終わった後、近くの安いレストランを彼女に紹介してくれる事になっていたからだ。 だから彼がその部屋に2時間後に戻ってきた時は、直ぐ一緒に外出することを彼女は期待していた。 まさか逢ったばかりの見知らぬ男がドアの鍵を部屋の中から掛けてしまうとは全く期待していなかった。 

彼は古代ローマで作られたようなウォード錠を鍵穴からゆっくりと外し、それをジーンズのお尻のポケットの中に入れた。 そして扉の取手を何回か両手で動かし開かないことを確認すると、思惑ありそうに彼女の方に振り向いた。 その時の彼の目は少し前に部屋を出た時の優しい眼差しとは全く異なり、獣のようにぎらぎらと光っているように彼女には見えた。 そしてその恐ろしい眼差しで、彼女をじっと観察し始めたのである。 彼女は突然身の危険を感じた。     

その部屋はフランスの北岸、モンサンミッシェルにある、あるホテルの従業員専用の宿泊所であった。 とても古い建物の中の一室で、灰茶色の壁が古臭く、部屋の真ん中にある唯一の電球から放たれている薄暗い光は、部屋中を貧弱な雰囲気で包んでいた。 10畳位の広さのその部屋には、なるたけ沢山の従業員が宿泊できるように、ベッドがびっしりと置いてあった。 だからベッドとベッドの間は歩く隙間もほとんどない位だ。 そしてそのベッドの幾つかには使い古された白灰色のシーツが掛かっており、そのシーツと同じ色褪せたカバーをかけた枕がそれらのベッドに置いてあった。   

瞬きもせずただじっと見つめる彼の恐ろしい眼差しを見て、彼女はオオカミに今でも狙われそうな小鹿のように、一瞬体が動かなくなった。 するとそれを察したかのように、彼はあっという間に彼女に近づいてくると、彼女の肩を大きな手でがっちりと掴んだ。 そして座っていた彼女をベッドの上に倒し、釘付けにしようとした。 彼のとっさの行動に彼女は動揺し、初めはどうして良いかわからなかったが全身を振るって抵抗した。 とにかく彼の腕から逃れようとした。 そして幸いにも一瞬逃れる事ができたのだ。 彼女はベッドに素早く立ち上がり、彼を遠ざけようと近くのベッドにジャンプした。 彼はベッドとベッドの狭い隙間を大股で歩き、諦めることなく彼女に迫ってきた。 幸いにも体が小さく動くのが早い彼女は、何度も何度も彼の腕から逃れ、ベッドからベッドへと飛び移り、必死で彼の腕から逃れ続けた。  

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それは1970年の9月に、フランスで最も有名な巡礼地モンサンミシェルに行った時に私が経験した本当のお話です。 この後に何が起きたかはもっと先に説明したいと思います。 でもその前に、どんな過程で私がモンサンミッシェルに辿りついたのか、そして何故半世紀程前に、女性一人の旅がまだ珍しいあの頃に私がヨーロッパ旅行に出かけたかということを説明したいと思います。

1970年頃は「一日5ドルでヨーロッパ旅行を」なんて言うのが世界中で流行し始めていて、旅行ガイドブックを片手にヒッピーのような恰好をした若者達がヨーロッパの街々をさ迷っていました。 私もその1人で、体の半分もある重いリュックサックを背負い、単独でシベリア経由でヨーロッパ旅行にでかけていたのです。

身長152㎝の小柄の私には重いリュックを担いで長距離歩くのは本当に大変でした。 ですから最初はどの駅に着いた時にもコインロッカーにその荷物を預けて、目的の観光地まで訪れていました。 そうすれば色々な場所に気軽に行けますから。 でも幸いパリでたまたま知り合った日本人の方が、親切にもその荷物を預かってくださる事になり、その後はパリを拠点にしてヨーロッパ中を気軽に旅することができました。 そういう訳でモンサンミッシェルを訪れた頃にはボストンバッグに一週間程の着替えと洗面用具だけをぎっしりと詰め、パスポート、現金そしてトラベラーズチェックを入れた小さなバッグを肌身離さず肩から下げ、ジーンズと軽いジャケットを着て、とても身軽に一人旅をしていました。

その年(1970年)の8月13日に横浜を出てから1か月が立ち、ユーレイルパスを使っての一人旅にも結構慣れてきた頃です。 マドリードから夜汽車にのり、北フランスの町を巡り、サンマロで一泊しました。 そこで澄み切った晴天の下で開かれていたファーマーズマーケットで、あの頃日本であまり目にしなかった鮮やかな赤、緑、黄色のピーマンや、見たこともない果物などを興味深く手にしました。 その後サンマロ港の光景を楽しんでから午後4時14分の汽車に乗りモンサンミッシェルへと向かいました。 

午後5時頃、汽車は小さな駅ポントーソンに着きました。 モンサンミシェル行き(183番)のバスは一日4本有りましたが、目的地で一晩泊まる予定でしたのでその日は最終便の6時10分発のバスに乗れるよう計画していました。 何故なら、夕日に囲まれたモンサンミッシェルの孤立した島を陸の方から見たかったからです。 その幻のような光景をもうすぐ見られるのです。 それを思っただけで興奮しました。

バスの待ち時間がまだ1時間もあるので私は駅の前で待っている人達を意図もなくぼんやりと眺めていました。 その中で特に目立ったのは英語が話せる2-3人のモーターサイクリスト達。 彼らは、たまたまそこでバスを待っていたアメリカ人の若い女性達と意気投合して、大きな声で英語を話し始めたのです。 そんな会話のやり取りを見ているうちにモンサンミッシェル行きのバスがやっと到着しました。 そのアメリカ人の女性達は一番後ろに席を構え、バスを追いかけてくるモータリストに、空いている窓から大きな声をかけ、手を振ったり大声で笑ったりしていました。 それを受けて、追ってくるモータリストも、時々ホーンを響かせたり、大声で何かを言い返したりして、舞い立つ砂ぼこりに塗(まみ)れながら、バスにぴったりと付いてきたのです。 それは私にとっては今まで見たことのない面白い光景でした。 今考えてみると彼等もモンサンミッシェルに行く予定で、バスに追いていけば間違いなく目的地に到着すると思ったのでしょう。

私はその楽しそうな光景に好奇心を持ち、わざわざバスの一番後ろの方に席をとり、モーターサイクリストと女性達の騒がしいやりとりを見ていました。 そんな訳で、私は「行く道」よりも「バスの通った道」をずっと見ている羽目になったのです。 バスは小さな町を出ると水平線が見られるほど広い田畑の中を通りぬけ、狭い、砂利だらけの道路を、砂埃を立てながら走りました。 その道路の脇には、バスが曲ろうとする度に何かの道標の様なスターチューが置いてありました。 「黒い大砲」であったり、大きな「馬車の車輪」であったり、「船の梶」であったり…  それらのスターチューをその後何となく覚えていたことが、その夜の事件にどれだけ役立ったことか…

バスが駅を出てから20分も過ぎたでしょうか、乗客のざわめく声が聞こえてきました。 振り返って前方を見ると私の視界には憧れのモンサンミシェルの姿が見えてきました。 フランスの北方の陸から海に囲まれたその島までは道路が一本しかありません。 モンサンミッシェルは私が期待していた通り真っ赤な夕日に包まれ、中央に空に向かって聳えている修道院の尖塔が中世盛期のお城のように見えました。 そしてサンマロ湾に囲まれてただ一つ大海の中に静かに佇んでいるのです。 周りが暗くなり始めると同時に、煌びやかな明かりが島の建物の一つ一つに灯り、信じられないような光景が見えてきたのです。 陸から約1キロの道路をバスはその素晴らしい光景に魅せられた観光客を乗せて走り続け、私たちはとうとうモンサンミッシェルに着きました。 

どうしてこんなにもモンサンミッシェルに私が拘(こだわ)るかというと、日本を出る一年前に私はカトリックの洗礼を受け、教会や修道院巡りをする事が今回のヨーロッパ旅行の大きな目的の一つでもあったからです。 フランスで最も有名な巡礼地がモンサンミッシェルであることは、その神秘的な美しさを見ただけで納得がいく気がしました。 その上、年に何回か満ち潮があり、陸からたった一本しか通っていない道路は素早く海に消えてしまうこともあるそうです。 そして海水に囲まれ全く孤立してしまうモンサンミッシェルでは、波に呑まれて亡くなった巡礼者達もいたと聞いています。 

私の旅は行き当たりばったりだったので、別に満潮の情報を得てきたわけでは無かったのですが、その日はたまたまその満ち潮が見られる特別な日だったのです。 バスの中から道路の両脇を見ていると、見る見るうちに海水が迫ってきました。 そして私たちがバスを降りた時点では、島と道路だけが海に浮かんでいて、島の入り口のラヴァンセ門までの道路は海水で完全に覆(おお)われていました。 私達は全員暗闇の中、懐中電灯の光だけを頼りながら小さなボートに乗り始めました。 私も揺れるボートに足元をふらつかせながら乗り継いで、ラヴァンセの門をくぐりました。 そうしていると満ち潮と同じくらいのスピードで島の周りは暗くなり、少し心細く感じたのを覚えています。 

モンサンミッシェルのホテルの予約を取っていなかった私は、立ち並ぶレストランやお土産屋さんを小走りで通り過ぎて、最初に目に留まった立派なホテルに入りました。 受付に行き

「今夜は空き部屋がありますか?」

と尋ねると、ホテルのマネージャーらしき中年の男が、

「残念ながら今夜は全部屋が予約済みで空き部屋はありません。」

と言ってそのホテルでの宿泊を断られました。 そして、

「特に今日は特別の日ですから多分ほかのホテルも満員でしょう」とも。 

それを聞いてどうしようと私は迷いました。 でも私が本当に困っているのを察したのでしょうか。 そのマネージャーは親切にも、 

「もし従業員の宿泊所でも良かったら料金無しで泊まれますよ。」

と微笑みながら言ってくれました。 

もう最終のバスも駅に戻ってしまい、その上、島も満潮で孤立していたので仕方無く、でも感謝の気持を込めてマネージャーにお礼を言い、泊らせて頂くことにしました。

するとマネージャーはホテルで働いている一人の若者に合図してフロントに来てもらい彼に何かをフランス語で言うと、今度は私に簡単な英語で言いました。

「この人はミッシェルといいます。 彼が従業員の宿泊所に君を連れて行ってくれるから今から付いていきなさい。 彼の仕事が8時に終るので、君をまた部屋に迎えに行ってくれる。 この島にある安くて良いレストランを貴女に招介してあげる様にとも彼に言ってあります。 だから君は宿泊所で少し休んでミッシェルを待っていてください。」

ミッシェルは20代の体の大きいとてもハンサムな若者でした。 今でも彼の顔をはっきりと覚えています。 私はマネージャーにフランス語でお礼をいって、長旅に疲れた体をもう少しで休めることができるなどと自分に言い聞かせながら、ミッシェルの後を追い歩き始めました。 石畳の細い階段が続く参道のグランド・リューを、足の長いミッシェルは黙々と早足で登り続け、付いていくのが大変でした。 もう太陽はとっくに沈み、暗闇の小道の所々に街路灯が光を放っていました。 五分も階段を上ったでしょうか、ミッシェルは小道から左に曲がると、ある古い佇まいの建物の前に立ちました。 そしてドアの鍵を開け、部屋の電気をつけてから私を中に誘いました。 

中に入ると古い大きな部屋に使い古された薄白いシーツのかかったベッドが十個ほどあるだけ。 本当のことを言うとこんな所で一晩過ごさなくてはならないのかと思っただけでとてもがっかりしましたが、それだからといって何処か他へ行く当てもないので、微笑んで私を見ているミッシェルにお礼をいいました。 ミッシェルは微笑みを私に返して外に出てドアを占めると、早々に仕事に戻りました。 

私は電灯に真下にあるベッドの一つに腰をおろし、バッグから手帳を取り出してその日の旅の詳細を書いたり、使ったお金の計算をしたりしてミッシェルを待っていました。 マネージャーが言ったとおり、8時ちょっとすぐにミッシェルが戻ってきてくれました。 私はドアの開く音を聞いて、やっと夕飯が食べられると思い、バッグを肩にかけました。 その時です。あの恐ろしい事件が起きたのは。 ミッシェルが急に襲い掛かってきたのです。

幸いにもそんな危機が迫った時にでも私は大切なバッグを肩に掛けていました。 そしてベッドからベッドに飛び移っていた時でも私はそのバッグを手から離すことはありませんでした。 そのバッグにはパスポート、トラベラーズチェック、お金の他にもう一つ大切に持っていたものがありました。 それは一年前にカトリックの洗礼を受けた時に、お祝いとして神父様から頂いた大きな十字架のついたロザリオでした。 無我夢中で逃げ始めてから5分もたったでしょうか、不思議なことにも、ふとそのロザリオがバッグに入っているのを私は思い出したのです。 駄目でもいい、ミッシェルがキリスト教だったらいま彼がしていることが罪になるということを思い出して欲しい。 

そんな思いで私は逃げるのを突然辞め、彼をじっと見つめました。 すると彼は私が諦めて彼に従うとでも思ったのか一瞬立ち止まりました。 その瞬間に私はバッグからロザリオを取り出し、十字架を彼の目の前に突きつけました。 

するとミッシェルの吊り上がった眉(まゆ)は、あっという間に元に戻り、私を捕まえようとして高く上げていた大きな腕はだらりと下がり、彼は暫くそのままの姿勢でその十字架を何かに取りつかれたかのように見つめました。 それから呼吸を整えると、ゆっくりとドアの方へ歩き出し鍵をポケットから取り出して、何も言わずにドアを開けてくれたのです。 巡礼客の多い観光地で働く彼は、多分私を尼さんだとでも思ったのでしょう。 理由はどうであれ彼にもう邪魔されることなく私はその部屋から逃れる事ができました。 私はそんな境遇から私を救ってくれた神様に感謝の気持ちで一杯になりました

張り裂けるような胸の鼓動と泣き喚きたい気持ちを収めようとしながら私はその部屋を後にしました。 外に出ると雨上がりだったのか、古い石畳の階段は街路灯の光を受けてキラキラと輝いていました。 まだ恐怖で震えの止まらない私は、早足でその階段をあっという間に降り、先程のホテルの前を通り抜けようとしました。 すると私の姿に気がついたマネージャーがホテルの中から声をかけてきたのです。

「Is everything ok?」 (何もかも順調かい?)と私に聞いてきました。

私は発作的に頷き、彼の目を避けるようにしてホテルの前を通り過ぎました。 心の中では「私はこれからどうしたらいいっていうの? 貴方のせいでこんな目にあってしまった!」と彼に叫びたい気持ちで一杯だったのですが。

その頃には引潮が始まっていたので、ボートに乗り継ぐこともなく、ラヴァンセ門から島に続く道路迄歩くことができました。 あんなに賑やかだったボートの乗り継ぎ場には人気もなく、暗闇だけが私を待っていました。 私はラヴァンセ門から真っすぐで永遠に続いているようで誰もいない一本の道路を目の前にし、とにかく一歩ずつ前に進むのだと自分に言いきかせました。 そして真っ黒な海に囲まれた島を離れ、街路灯に照らされて、ぼんやりと浮き上がったように見える道路をひたすら歩き始めました。 時計を見るともう9時近くでした。 車一つも通らないその道路を黙々と歩き続けて10分位してからでしょうか、ミッシェルが白い車で私の後を追ってきました。 そしてスピードを落とし車の窓を開けると、中に入れと手招きしました。 ミッシェルの顔は罪悪感で苦笑いしているように見えました。 私は、「ノンメルシー」 と何回かつぶやくように彼に言い、そのまま真っ黒な海に囲まれた誰もいない一本の道を歩き続けました。 彼は2-3分私の傍をゆっくりと車を走らせ私の気が変わるのを待っていた様子でしたが、そのうち諦めて車のスピードを上げて去っていきました。

1キロの道をトボトボ歩いてやっと陸につきました。 町に入ると道沿いに何件か小さなホテルがあったので一つ一つ訪れて、その夜泊まれるかどうか尋ねました。 でもどのホテルも宿泊者が一杯で空き室がないとの事。 そうしているうちにホテルの並んでいた小さな繫華街をも通り過ぎてしまい、周りは水平線まで広がる田畑ばかりになりました。 私はそこからどうやって駅まで行ったらいいのだろうかと戸惑い、暗闇の中一人立ち止まってしまいました。  

その町からポントーソン駅まで少なくとも車で20分、荷物を持って歩いている小柄な私には何時間かかるのだろうか? どんなにかかっても、とにかくその駅まで行かなくてはならないという現実に迫られ、また気を取り直して歩き始めました。 空を見上げるとその場所でも雨が止んだばかりだったらしく、奇妙なミッドナイトブルーの空に灰色な雲がまるで互いに競争をしているかのように月を隠したり現したりして、すごい勢いで通っていきました。 その時私は本当に一人ぼっちなのだと実感しました。 でも途方に暮れても仕方が無い、何かをしなければ…  そんな時の私の慰めは歌うことでした。 田畑を通る、誰もいない砂利道を私はいろいろな日本の歌を口ずさみながら歩き続けました。 時々月の光を浴びて黙々と草を食べている白に黒のまだらの牛達が点々と遠くに見えました。 その牛達は私の足音と歌声を聞いたのか、首をこちらの方に向けたのです。 そんな仕草は私を励ましているようにも見えました。  

ここで時計をもっと戻して、何で私がこんな危険な、女の一人旅に挑戦したかという事を詳しく説明したいと思います。 私は高校卒業後、東京で少し働いていた時に自分で納得いかない、ある経験をしました。 そして人間は何のためにこの世に生きているのだろうと思った時期がありました。 その頃、たまたま赤羽のカトリックの教会の前を何回か通り、キリスト教だったら私の疑問に答えてくれるかしらと思いはじめ、その教会を訪れたのです。 幸いにも、とても素晴らしい長崎出身の若い神父様にその教会で巡り逢い、その後その神父様の下でカトリックの教えを学ぶ為毎週のようにその教会に通う事になりました。 

そんな日々が続き、5-6か月たったある日、教会の青年会の方達から鎌倉で行われる黙想会に行かないかと誘われました。 将来の結婚のためにだけ貯金をしていたその頃の私は、無駄にお金を使いたくないと思い断りました。 それでも青年会の方達に何度も誘われ、そして神父様にも勧められ、しぶしぶ参加しました。 ところが行くことにあんなに躊躇い(ためらい)を感じていたその黙想会で逢ったカナダ人の神父様のお話が、私の人生を180度変える事になったのです。    

モントリオール出身のロジェ神父様の黙想会でのお話を簡単にまとめると、こんな風だったと思います。 まず神父様が黒板の下の方に一つ、そして上の方にもう一つの大きな点を描き、こう言いました。

「この下にある点は誕生、又は人生の始まりを意味します。 そしてこの上にある点は死、又は人生の終わりを意味します。 皆さんもご存知のように、一度生まれたら誰一人死を免れる事は無く、そして他の人と全く同じ人生を送ることもありません。」

神父様は最初に、「誕生」を意味する点から「死」を意味する上に書いた点まで真っ直ぐ直線を引きはじめ、 

「この線は、平凡で何事にも挑戦せず、ただ安全を重視して過ごした人の人生を意味します。」と言いました。

つぎに神父様はうねった波のような線を下の点から上の点に引き始めました。

「この線は、目の前にある岐路に立つ度に新しい事に挑戦をして、豊かなか生活を送った人の人生を意味します。」

そして最期に、ギザギザの線を下の点から上にある点に引いて、

 「この線は岐路に立つ度に、冒険に満ちた、又は突拍子もない道を選んだ人の人生を意味します。」

そう言うと神父様は私達にこう問いました。

「もし貴方達がこれから自由に自分の人生を選べるとしたら、この3つの線のどれを選びますか? 多分真っすぐな線よりももっと変化のある線を選ぶと思います。 貴方達はまだ若いのです。貴方達の未来は貴方達が作るものです。 世界を見ていらっしゃい」と。 

まだ若く、周りの人に感化され易かった私には、その言葉は雷のように胸に響きました。 そして、その言葉を真に受けて、それまで将来の結婚式のために貯めておいた貯金を全部おろし、世界を見るためにヨーロッパ旅行に出た訳です。 ということは今考えてみると私自身は冒険に満ちた、「ギザギザ」の線を選んだのかもしれません。 

もう一つロジェ神父様がその時おっしゃっていたのは、こんな事だったと思います。

「私達が人生の岐路に立った時に選んだ道は、一度決めたら何があってもその選択を絶対後悔しない事がとても大切です。 何故かというと、その時は自分自身で選んだ道だと思っていても、本当は始めからその道は私達一人一人に定められているからです。 ですから、「ああすれば良かった」とか「こうすれば良かった」と後で思う事は全く無駄な事なのです。 そして、私達の未来がもしそんな風に既に決められているなら、そんな風に後悔してもあまり意味がありません。 

あなた達は今、この時点から、新しい事に何でも挑戦して満足できる人生を生きることができたら素晴らしいと思いませんか?  そうすればその道の選択の結果どんなに苦しい経験をしても、後にその経験が私達の人生のなかで無くてはならないものだと思えてくるはずです。 要するに私達はどんな経験をしても、その経験から立ち上がれる事ができれば、充実した素晴らしい人生を送れるのだという事です。」

ロジェ神父様がおっしゃった通りです。 私の今までの人生を、随分年を重ねてから振り返ってみると、モンサンミッシェルでのあの恐ろしい経験は本当に役に立ったと思います。 何故なら、その後に色々辛いことがあった時は、いつもモンサンミッシェルで起きた事件や、その後に起きた苦しかった事々を色々思い出して、「あんな大変な経験をしてもまだ生きているのだから、今経験している苦しみはどうってことない。」と思うようになったからです。 そんな風に考えられる今の私はいろいろな面で隋分と強くなったと思います。

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話をモンサンミッシェルに戻します。 薄暗い夜に誰も通っていない田畑をとぼとぼと歩き続けた私の話です。 ポントーソン駅までの砂利だらけの道路は途中何度も分かれていました。 でも幸いにモンサンミッシェルに行く過程で、たまたまモーターサイクルに乗った若者達をバスの後ろから見ていた事が、その夜の私を救ってくれました。 何故かというと、道路が分かれている度に道標のように置かれていた黒い大砲、船の舵、そして大きな馬車の車輪を見つけ、その度、戸惑い(とまどい)もなく正しい道を選ぶことがでたからです。 よく考えてみるとロジェ神父様のおっしゃった事の裏づけのように思えました。 私のモンサンミッシェルまでの旅は行く前からもう定められていたのです。 そうでなければどうして私がバスを追ってくるモーターサイクルをモンサンミッシェルに着くまで、ずっと見ていたでしょうか。 その事が暗闇の中、ポントーソン駅までたった一人で歩いて戻った時にどれだけ役にたったか… とにかくその奇跡的なあの経験が今でも忘れられません。 もしかして神様があの日、モーターサイクルに乗った人達を駅に送ってくれ、あんな異常な状況の時に私を助ってくれたのでは。 それならば今私が経験したことは、変える事のできない事実であり、私の将来にきっと役に立つのだろうとその時思いました。  

そう考える事ができると、急に元気を取り戻してまた歩き続けました。 1時間程たち、やっと水平線に街の明りがボーっと遠くに見えてきました。それを見てほっとしたとたん、急に空腹を感じました。 お昼から何も食べていなかったのです。 時計を見るともう真夜中の12時をとっくに過ぎていました。でも街の明かりを見てから多少元気が出てきたので、東京の歌声喫茶で歌った「仕事の歌」とか「カチューシャ」などを大声で歌い、何時間も歩いて疲れ果てていたにもかかわらず足取りも軽く歩き続けました。 それから何時間たったか今では思いだせませんが、やっと駅につきました。 田舎街の小さい駅でしたのでこんな時間には誰もいません。 駅の中を覗くと中は小さな電灯が2-3個ついているだけでした。

誰も居なくても中には入れるだろうとドアに手をかけました。 ところが駅の扉にカギが掛かっていたのです。 私は駅の周りのどこからか中に入れるのではと必死に建物の周りを調べましたが、残念ながらどのドアにも鍵が掛かっていました。 入ることを諦めた私は駅の入り口に5段ぐらいある冷たい石の階段に座り込みました。 

まだ9月だというのに、雨上がりなのと駅が海に近いせいか、北風がびゅうびゅうと私の体に吹き付け、空腹と寒さに震えはじめました。 時計を見るとまだ朝の3時です。 あまりにも寒いので、荷物の中から着られるものをできるだけ身に付けて、階段の上で寝ようとしましたが寒くてそれもできませんでした。 というわけでまるで放浪者のように目を覚ましたまま一夜を過ごしました。その経験が、何十年もたった現在、私がホームレスの家族を助けようと努力している切っ掛けになったのかも知れません。

朝の6時ちょっと過ぎるとやっと日が昇り周りも明るくなって、駅の職員がドアを開けてくれました。 私は駅の中に入ると真っすぐにトイレに行きました。 そして余分に重ねた服をぬぎ、歯を磨き、顔を洗い、髪を整えて、待合室の暖かさに感謝しながら朝の7時に出るパリ行きの電車を駅の中のベンチに座って待ちました。 まるで前夜に何事も無かったように…