プリンセス

 

澄み切った青空に包まれた2002年のある火曜日の出来事です。その頃のカルガリーの日没時は、夏もそろそろ終わりを告げていたのにも拘わらず日本よりもっと遅く夜9時過ぎでした。ですからもう夕方なのに太陽はまるで沈むのを拒否しているかの様にまだ空高く輝いています。おばあちゃん達夫婦は2週間程前にカルガリーの郊外に住む息子の家の近くに引越ししてきたばかり。9月には息子夫婦に二人目の赤ちゃんが生まれる予定なので、孫達の世話の補助をするためには、できるだけ近くに住んだ方が良いのではと決心し、前に住んでいた心地良い家を思いきって去ることにしたのです。

 

引越しした家は8月の半ばに建築が終了されたばかりなので住所を示す表札番号がまだ掲げられていませんでした。ですから天気の良いその日、おばあちゃんの主人は新しい5枚の鋼板で作られた表札番号を玄関の前の木柱に表示する事にしたのです。彼はガレージから二又の低い梯子を取り出して木柱の傍に置き2段ほど登りました。そして、おばあちゃんから渡された順に、上から下へと一枚一枚の鋼板にスクリュードライバーでねじを回しながら締め、木柱に付けていました。

 

その時、おばあちゃん達の4軒先に住んでいる3歳になる孫娘Mが彼女の家の前の庭で遊んでいました。両親が芝生の手入れをしている間一人時間を持て余していたのです。でも玄関で何かをしているおばあちゃん達に気が付き、興味津々おばあちゃんの家まで一人で歩いてきました。お姫様が着るような淡い空色の膝下まである長いドレスと、きらきら光る銀の冠をちょこんと頭につけて。彼女は梯子の直ぐ下まで来ると可愛い茶色の目を細め、日差しが目に入らない様に小さな左手をおでこに挙げながら主人を見上げます。そして右手で主人の半ズボンの裾をチョンチョンと引っ張りました。主人はドレスと冠を装っている孫娘をちらっと見て、

 

「可愛いお嬢さんは誰かな?」と聞きました。

 

「私はお姫様よ。」と孫娘M

 

その答えを聞いても主人は手を休めずにスクリュードライバーにねじを締め続けました。そうすると孫娘は主人の半ズボンの裾をまたチョンチョンと引っ張り、

 

「爺ちゃん、何してるの?」と、興味深そうに聞きました。

 

「仕事をしているのさ。家の番号を付けているんだよ。」と言いながらも主人はねじを締め続けます。

 

すると孫娘はもう一度主人の半ズボンの裾を引っ張り、

 

「大変な仕事なの?」と、聞き返しました。

 

「そうだね。とても大変な仕事だね。」 

 

主人はその時やっとスクリュードライバーを持っていた手を休め、優しく微笑みながら孫娘を見下ろしました。

 

「そう…」と孫娘は感心したように頷きました。そして首をちょっとかしげ顎を指でつまむと,次は何を言ったら良いか考えている様な仕草をしたのです。主人はその間、次の鋼板を柱に付けるためにねじを締め始めました。そうすると孫娘は主人の半ズボンの裾をもう一度チョンチョンと引っ張り、こう言いました。

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「でもねえ爺ちゃん、お姫様の仕事もとても大変な事だって知ってる?」

 

「どうして?」 と、主人。

 

「だって、お姫様が眠り姫だったら、たくさんたくさん眠らなくてはならないでしょう? 眠り姫の仕事はとってもとっても大変なのよ。」