おばあちゃんの健康についてのアドバイス (第二部)
著者:前田洋子
校正者: 佐藤久美子
ここからは、健康に関して、おばあちゃんが個人的に経験したことを綴りたいと思います。
カナダ人の主人の食生活改善
おばあちゃんのカナダ人の主人は、小さい頃からお肉とポテトが主食、そして甘いケーキやパイをデザートとして毎日食べていました。そういう訳で、彼の多くの親戚は皆高血圧、糖尿病に悩まされていたとの事。特に叔父さん達の何人かは、高血圧で若い頃に亡くなった方が多いそうです。義父も若い頃に重症な心臓発作を2回起こし、40歳半ばから働けなくなったそうで、おばあちゃんが初めてお会いした50代の頃には家でノンビリと療養生活をしていました。
おばあちゃんが主人と結婚した当時は勿論彼に合わせて毎日、肉料理とデザートを作りました。そして母親の料理の味にこだわる主人のためにハミルトンの実家に行く機会があるたびに肉料理やデザートの作り方を義母から教わり、見様見真似で毎日の食事を作っていました。その他には西洋の料理の本を頼りに何でも作ってみました。でもパリでの経験で、そんな西洋の料理があまり体に良くないのを知っていたので、それから少しずつ食材を変えました。結婚してから10年位たった後は、デザートを毎日でなく一週間に一度だけにし、そしてコーヒーに入れるお砂糖も少しずつ、主人に分からないように減らしました。今では主人は全く砂糖をコーヒーに入れていません。飲んでいたコーヒーの回数も日に5-6杯から、一日一回と随分減らしています。とにかく親戚に臓病の歴史がある主人の健康を守る食事を作るのにおばあちゃんは必死でした。もちろんパリで習った食療法の事も主人に伝えました。でも病気でもないのに急に食生活を変えるのは、とても難しいものです。ですから、なるたけ主人に分からないように毎日少しずつおばあちゃん達家族全員の食生活を変えてきました。
最近こんな事もテレビ番組で放映されていました。英国では政府が国民の健康を良くするために、全国の食パンの塩分を十年もかけて減量する運動に成功したのだとか。英国民はこの事を全く知らなかったそうです。やっぱり何かを本当に変えたいと思う時は、徐々にするべきだとおばあちゃんは思いました。
でもおばあちゃんの主人が会社に勤めているときは外食が多かったので、お昼に彼が何を食べるかはコントロールできませんでした。彼の外食の殆どが会社のお客様の接待で、ステーキや、ポテト、ワインやビールにデザートといった食事でした。若い頃の主人は、あまり健康に気を配らず、注文したものを何でも食べたい放題食べていました。そういう訳で30代前後の頃、彼はかなり体重が増え、高血圧を抑えるため軽度の薬を飲まざるを得なくなりました。
そんな時おばあちゃんが日本のテレビで体重減少をトピックにした番組を見たのです。その番組によると、毎日朝と夜2回体重をグラフに記録し、何を食べた時に体重が増えるかという事を書き留めて、その食べ物を避けるようにすると体重が徐々に減るとのことでした。その方法を主人に勧めたところ、とても興味を持ち、それに従って毎日グラフに体重の記録を付け始めてくれました。お蔭様でそれから7-8か月の間に10キロぐらい体重が減りました。
その後は外食しても特に気を付けるようになり、主人は沢山野菜を食べています。そして、今は家でも外で食事をするときも、前に触れた食事の順序を守り、必ず最初に野菜を食べ、次に、お肉やお魚、そしてお腹がまだ空いていたら、炭水化物を取ることを習慣づけているのだそうです。そういう訳で、現在のところは、遺伝の影響で避けることのできなかった高血圧を少し患っていますが、義父みたいに心臓発作にも襲われることもなく一番弱い高血圧の薬を飲んでいる程度で、体は結構丈夫みたいです。 デザートの方は、週末に家族が集まる時だけ食べています。人間、何ごとも、絶対ダメと言われると、もっとそれに反したいと思うものですから一週間に一度デザートが食べられるという事が彼の食生活にかなり役立っているみたいです。
おばあちゃんの自身の過去の健康記録
おばあちゃんの方はというと、玄米食療法の大切さを知り、今までかなり気を付けて生活してきたのですが、いくら毎日の食事に気を付けているからといって避けられない病気もある事を50歳も過ぎてから理解しました。
最初にそんな経験したのは歯茎の痛みです おばあちゃん達の子供の頃は、歯を磨くのは朝だけで良いと教えられていました。それで小さい頃、寝る前には歯を磨かずに寝てしまい、虫歯の痛みでは大変苦しみました。あの頃はちょうど第二次世界大戦の後でチョコレートがポピュラーになったばかりの頃でしたから奥歯はほとんど虫歯だらけになってしまったのです。幸い20歳で玄米食療法を知ってから新しい虫歯は一本もできなかったのですが、50歳を過ぎてから、小さい頃に昔治療を受けた歯の中に虫歯ができてしまったのです。それで歯の神経を取り除く手術を受けたり、歯茎も仕事からのストレスでかなり悪くなったりして、ひどい痛みを経験してかなり苦労しました。そんな嫌な経験をしたせいで、おばあちゃんの子供達が小さい頃には朝晩必ず歯磨きをすることの大切さを教え、お蔭様で娘も息子も50歳近くなった今でも虫歯一つありません。
おばあちゃんが中年になって経験した次の健康問題は肩、腕、そして踝(くるぶし)の痛み(手根管症候群)です。おばあちゃんが新しい会社に勤め始めた時、与えられた仕事に早く追いつけるよう残業を5か月程毎晩続けました。そのためコンピューターの使い過ぎで肩、腕、そして手のくるぶしが痛くなってきたのです。日本にいた時は良く「四十肩や五十腰」なんという言葉を聞いたことがありましたが、それが原因でこんなに体が痛くなるとは夢にも思っていました。ひどい時は会社へ通勤するバスの中でも痛みが走り、どこに肘を置いてよいのか解らなく涙を流すこともできず、唯々痛みに耐えていた時もありました。その輪をかけるように、会社の隣の部屋で働いていた人がとても暑がりで温度計をかなり低く定め、その温度計がコントロールしていたおばあちゃんの部屋も毎日台風でも来たかのように冷房から風が吹き、おばあちゃんの肩と腕はますます硬くなり痛みは増すばかり。それでもその会社で新社員だったおばあちゃんは休みもとらず、毎日仕事をしたのを覚えています。それを治すのには、カイロプラクターやマッサージ療法士がいるクリニックにかなり通いました。おばあちゃんは肩や首の運動をすると今でもゴリゴリと音がするのですが、ほとんど痛みは無いので時々カイロプラクターに調整して貰う位で済んでいます。最近は腰がかなり固くなってきているので、予防のために毎日柔軟体操をしています。
そして50歳をちょっと過ぎた時には、急に眼を悪くしました。 会社で使っているコンピューターのソフトウェア―が新しくなり、その時も毎日の様に残業をする羽目になったのです。ですから最初はコンピューターを長時間使っているせいで頭も重いし、視力が落ちたのかな、なんて軽く思っていました。でもちょっとも良くならないので、お医者様に行って血液検査と尿の検査をしたのですが、何の病気でもないとのこと。
でもそれから一か月も立たないうちに左目の中に、ほんの小さな金色の魚みたいのが泳いでいる様に見え、何日経ってもそれが無くならないのでいつも通っている眼科に行きました。そこで網膜専門のお医者さまを紹介していただきました。その専門家によるとおばあちゃんの左の眼の網膜に穴が開いていて手術が速急必要だとのこと。ところが、左目の手術を待っている間に右目にも同じような事が起き、結果的には、右の目はその年の4月に、そして7月に左の眼の網膜の手術をして頂きました。手術のすぐ前の頃には、ひどい時はヴィジョンが何重にも見えたり、人の顔の鼻が全然見えなくなったりした事も有り一度は盲目になる可能性も有るかもと、とても不安にもなりました。そして網膜の2つの手術の他に、手術後に溜まった不純物を取り除く白内障の治療も含まれていたので合計7ヵ月ほど会社を休まなければなりませんでした。でも手術後は両目とも随分良くなり、おばあちゃんは網膜専門家のお医者様に心から感謝しています。
何故両目の網膜に穴が開いてしまったのだろうと専門科のお医者様に聞いたところ、小さい頃頭にかなりの衝撃を頭に受けたことも原因の一つであると彼は言っていました。そしてかなり年を取ってからこんな症状が現れるとも。そう言われてみれば、おばあちゃんには10歳の頃そんな経験があったのです。ある日彼女は、宇都宮の街から家に帰った時、兄の友達の一人に自転車の後ろに載せてもらいました。おばあちゃんはまだ小さかったので、知らない男の人にしがみつくのも恥ずかしく思い、大きなバッグを両手に抱えたまま自転車の後ろに乗りました。でも運が悪いことに鬼怒川の橋を渡っていた時、橋の真ん中に大きな穴があり、それを避けずに走った自転車はその穴に落ちて大きくジャンプしました。何も掴んでいなかったおばあちゃんは自転車からまず上に飛ばされ、高い所からコンクリートの道路に落ちてしまったのです。頭をかなり打って大きなコブができ、そこから少し血が出始めました。家に帰ってからも頭が痛くて随分泣いたのをおばあちゃんは覚えています。子供が泣いているという事は、怪我は大事も無いのだろうと大人達は判断し、お医者様にも行きませんでした。それが何十年もたった後おばあちゃんの網膜に穴ができた原因だったらしいです。
もう一つの健康に関しての出来事は、網膜の手術をしてから10年もたった頃に起きました。おばあちゃんの主人と二人でペルーに旅行した時に、コーヒーに入っていた生クリームが原因でお腹を壊してしまったのです。幸いそれは1週間程で治ったかのように見えたのですが、旅行が終えて仕事をし始めた頃、水を飲んだだけでも気分が悪くなってきたのです。特に散歩の前に。2か月後にお医者様に掛かり血液と尿の検査をしたところ、おばあちゃんの血液の検査結果は前よりも良くなっていて何も問題はないと云うのです。今振り返ってみると、その頃おばあちゃんは友達の勧めで野菜ジュースを飲むのに凝り始めていたので、それが血液検査の結果を前より良くしていたのだと思います。でもその後、おばあちゃんの胃の調子は悪くなるばかりでした。それから5か月もたったある夜のことです。いつもの様に日本の健康についてのテレビ番組「ためしてガッテン」を見ていると、その夜のトピックはピロリ菌でした。
ピロリ菌は、6歳未満に親から口渡しで感染するとの事。そして高齢(60過ぎ)になってきてから体に影響し始め、胃潰瘍から始まり、放っておくと胃癌に迄なってしまうこと。 その知識を得たおばあちゃんは、危機を感じてピロリ菌の検査を早速して貰うことになりました。結果が届き、おばあちゃんがピロリ菌に侵されたため胃の調子が悪いことが判明し、お医者様もびっくり。慌てて抗生物質を処方してくださり、その上おばあちゃんの家族全員の同じテストをすることをお医者様は勧めてくれました。幸いおばあちゃん以外は誰にもピロリ菌の心配はありませんでした。でもおばあちゃんはピロリ菌のせいで一時急に体重が減り、髪が普段異常に抜け、爪が薄くなり、急に皺が増え始めました。そしておばあちゃんの胃の調子が完全に戻るまでに約2-3年かかったのです。
おばあちゃんは今になって思うのですが、もしあの時「ためしてガッテン」を見ていなかったら2-3年たって深刻な病気と闘わなければならなかったかもしれない。ですから偶然に見た「ためしてガッテン」の「ピロリ菌」についての番組に今では感謝感激雨霰という心境です。
それから最近のことですが、おばあちゃんの胃の調子がまた悪くなりお医者様に行きました。朝ビタミン剤を飲んだ後気分が悪くなるので、たぶん鉄分のサプリメントが原因ではと直感的に思い、お医者様にそのことを伝えました。血液検査の結果は思った通り鉄分の取り過ぎと判明しました。その時のお医者様は、おばあちゃんがカナダに来てから3度目のお医者様でしたので、おばあちゃんが毎日どんなビタミン剤を取っていたのか知りませんでした。鉄分補助剤を取り始めたのは、おばあちゃんの息子が生まれた直ぐ後の事、随分昔の事だったからです。その頃ウエートレスをして働いていたのですが、毎日の様に目眩(めまい)が続きました。そう言う訳でお医者様に鉄分補助剤を毎日取るように処方されていたのです。
でもおばあちゃんは50代の時に起きた閉経後にも鉄分のサプリメントを飲み続けていました。それが悪かったのです。毎月生理で失っていた鉄分が、生理が止まってからは血液の中に溜まり始めたのです。その影響で、胃の調子も悪くなったとの事。その後すぐ鉄分の補助剤を飲むことを辞めました。そして献血をし、溜まっていた血液の鉄分の量を低くしました。そうしたら胃の方も随分と良くなりました。
網膜の問題の時や胃の調子が悪い時もそうでしたが、やはり血液や尿検査だけでは自分の体の中に何が本当に起きているかは判らないものです。お医者様だけに頼らず、ある程度責任をもって、自分の体の変化に気を使うという事は大切なことだとその時思いました。
最近は毎年健康診断を受ける度、こんな風に思うようになりました。色々なテストの結果をお医者様から聞くまでの1-2週間位の間、今度こそ何かの病気にかかったのではと不安を感じるのです。年を取るにつれてそんな心配は増えている一方です。何故かというと、おばあちゃんの知人の中には乳癌や子宮癌に掛かった人が何人もいるからです。ですからいつ自分も癌であるという事を宣言されてもおかしくないとおばあちゃんは思っています。それと同時に、その告知に耐え、手術を受け、その後化学療法を受けたり、抗癌剤を飲んだりして苦しまなくてはならなかったそんな知人の一人一人の勇気と強い精神には頭が下がります。もしおばあちゃんがそんな宣告をされた時は、そんな知人達と同様、勇気をもって手術や治療などが受けられるよう今から祈っています。
現在、カナダでは乳癌は女性の4人に1人がかかるというと聞いていますし、日本では二人に一人がいずれは何かしらの癌になるとも言われています。どんなにおばあちゃんが健康に気を付けているからと言ってそんな運命から免れられる程ラッキーではない事は理解しています。 それに人間生きてきた以上死は免れない。とにかく老化と戦うことは全く不可能なことだし、あげくには、明日にでも致命的な病気にかかってしまうなんて事もあるかも知りませんから…
でもそんな悲観的なことは生きている間には言っていられないので、おばあちゃんはカナダに来てからも食生活にはかなり気を付けてきました。そして玄米を毎朝食べ、野菜をふんだんに食事に入れ、砂糖と塩の摂取にはとても気をつけています。そして会社に勤めていたときは、コーヒーや紅茶でなく、さ湯を一日中飲んでいました。でもカナダ人は肉食が主なので、脂を取り除いた少しの牛肉、豚肉、鶏肉も毎日食べています。もう一つとても気を付けていることがあります。夕食はお皿の上の3分の4が野菜で占めている事です。例えば、赤、緑、黄色のピーマン、ブロッコリー、インゲン豆等。そのうえ、前にも触れました様にサラダも毎日の様に食べています。そして、あまり脂っこいものや甘いものを口にした時は、さ湯を普段以上に飲むようにしています。その他には、ピーナッツは若い頃からニキビができる原因でしたので避けています。そして年を取るにつれて、胃に何らかの影響がある食べ物が徐々に増えてきたので、気をつけています。例えば冷たいミルクを飲んだり、クリームのたくさん入った物を食べたりすると多少お腹を壊す傾向が有りますし、トマトやレモン類などの酸っぱい物を生で食べると口内炎ができ、コーヒーをお昼過ぎに飲むと眠れなくなる事も有ります。そしてワインを飲むと初めはぐっすり眠れるのですが夜中に起きてしまい、そのあと眠りにつく事ができません。ですから夕食の時はあまり飲みません。
とにかく、健康を保つには最新のいろいろな情報に耳を傾け、自分なりにその情報を取り入れ、毎日努力することが一番大事なのではとおばあちゃんは思っています。日本の、「ガッテン」と「Choice」と言う番組からは色々と健康について勉強させて頂きました。心から感謝しています。
以上がおばあちゃんの今までの経験から学んだ健康法とそれについての裏話。以前保険会社に勤めていた主人によると、高齢になってから特に精神的な健康の変化があるのは70歳半ばごろだとか。ですからおばあちゃんはその年になる前に、そしてまだ心身とも健康なうちに、このエッセイを書くことにしました。少しでも皆さんの参考になれば良いのですが…