おばあちゃんの健康についてのアドバイス 

 

著者:前田洋子

校正者: 佐藤久美子

 

 健康についてのアドバイスは、最近は世界中何処に住んでいてもかなり普及していますよね。それはやはり生活水準が徐々に上がり、個人個人が自分の健康に関してもっと興味を示しているからだと思います。でも何十年先でも変わる事のない健康の秘訣を唱えるという事は時がたつにつれて難しくなってきているのは事実です。何故かというと専門科のアドバイスは、その時は納得がいくのですが、ある程度月日がたつと新しい事実が発見されて、いつか覆(くつがえ)される事も時々有るからです。そして長い間、誰もが信じていたそのアドバイスがいつの間にか見捨てられてしまう事も。

 

例えば何年か前は、卵にはコレステロールが沢山含まれているのであまり食べない方が良いと言われていました。でもその後、卵には良質なタンパク質が含まれていて健康にとても良いのでもっと食べるようにと専門家の意見が変わりました。それならもっと食べようと思った矢先、あるお医者様がやはりコレステロールのとり過ぎは良くないので卵は一週間に一、二個に制限するようにと最近のテレビ番組の中で勧めていたのです。コーヒーに関しても同じ様な事が有ったのをおばあちゃんは覚えています。お肉にしてもそうです。昔は年を取ったら余り食べない方が良いと言われていたのですけれども、最近は筋肉が衰えないようにもっと食べるべきだと専門家が勧めています。 

 

そんな中、どうしておばあちゃんが健康についてのエッセイを書こうと思った理由は、彼女が現在健康でいられるのは、今迄沢山の人から教えて頂いた色々な健康の秘訣に基づいて毎日生活したからだと信じているからです。そんな健康の秘訣を独り占めせず、もっと沢山の人達と分かち合うのが今のおばあちゃんの使命であるような気もするからです。ですからここではただ単に健康のアドバイスをするのではなく、彼女が何処でどんな風にその知識を得たのかをも交えて書いてみたいと思っています。

 

マダム・リヴィエールと玄米食療法マクロビオティック食糧法

 

おばあちゃんが健康に関して一番影響を受けたのは、二十歳の頃にパリでアルバイトをしていた時です。ヨーロッパ旅行中に、たまたま天龍レストランと云う所で働かないかと誘われ、初めはウエートレスとして、それからシェフとしてそのレストランで5か月ほど働くことになりました。その頃、天龍レストランは健康食を提供していて、パリでもかなりポピュラーなお店でした。静かな郊外にあり、中に入ると簡素なテーブルが2列に並んでいて、せいぜい20人位しか座ることのできない小さなレストラン。内装は、乾燥され真二つに割られた細長い竹が壁上下一面に張り詰められ、いかにもオリエンタルの雰囲気を醸(かもし)出していました。

 

天龍のオーナーの小柄なマダム・リヴィエールは典型的なパリジェンヌで、金髪を上品に頭の上にまとめて、一見50代に見えた気品のある女性でした。でも本当は72歳だったと聞いています。彼女は小さい頃、何らかの病気を患って何年も歩く事ができず、14歳の頃には車椅子に乗って過ごしていたそうです。でもその後、日本からパリに来ていたドクター大澤という方から玄米食糧法を習い、それに献身的に従っているうちにその病気が完治したという事でした。そういう訳で、おばあちゃんがパリで彼女に逢った頃には、過去に車椅子で生活していたとは信じられない程毎日ハツラツとしていて、とても元気でした。そんな過去のあるマダム・リヴィエールは、車椅子から救ってくれたドクター大澤の教えを広めるために、玄米食や健康食だけを提供している天龍レストランと健康食品店を経営する迄になったのです。 

 

ここでちょっとそのドクター大澤の事について触れてみたいと思います。下記の情報はおばあちゃんが最近インターネットを調べて、それを簡単にまとめたものです。ドクター大澤は和歌山県出身で、小さい頃、お産婆さんだった母親と、3人の兄姉達を結核や得体の知れない病気で亡くしました。彼自身も結核と胃潰瘍にかかり、西洋医学では治せなかったそれらの病気を治療する為に東洋の医学を習ったとの事。中国の「陰と陽」という教えに従って、19歳の頃、食糧法のみでそれらの病気を自分自身で完治したのです。それからその知識を広げるためにパリに渡って、1920年代に多くのフランス人の病気を治すのに貢献したのです。その食糧法はマクロビオテック食糧法といい、彼はフランス語でもその事について何冊の本も書き、パリではよく知られていた人物だったみたいです。

 

ですからマダム・リヴィエールは1920年代にドクター大澤によって救われたフランス人の一人だったのです。そしてドクター大澤からその食糧法を受け継いだ日本人の男性クリムさんという方と一緒に、フランスで多種の病気で悩んでいる人達を玄米食糧法で助けようとのしていたのです。クリムさんはその食糧法の専門家、そしてマダム・リヴィエール相談役として、わざわざ彼の住居があるベルギーからパリを時々訪れていました。

 

おばあちゃんがまだパリで働いている頃、病気にかかって苦しんでいる人々が時々助けを求めてマダム・リヴィエールとクリムさんに会いに天龍に来ていました。その人達の殆どは玄米食糧法に従って食事をし、のちに病気を治すことができたのだそうです。でもそれが叶わなかった人が一人居た事も、50年たった今でもおばあちゃんは、はっきり覚えています。

 

それは、木枯らしの吹く寒い冬の日の事でした。おばあちゃんはレストランの夕食の食材を集めるために、たまたま隣の食料品店に行っていました。その時、60代の、灰色の毛皮の帽子とチンチラのコートを着た裕福な出で立ちの女性がマダム・リヴィエールに会いに来たのです。彼女は第4ステージの癌にかかっていて、パリ中のどのお医者様に行っても助けて貰えず、最後の手段としてマダム・リヴィエールを訪れていたらしいのです。そしてその女性が言うには、    
 

「お医者様にも見捨てられました。貴方が私の最後の望みなんです。」

 

と、マダム・リヴィエールに急にしがみついて泣きだしました。彼女の顔は真蒼で、近くで見ると体も骨と皮だけでした。彼女を包んでいる暖かそうなチンチラの毛皮も死に迫った姿を隠すことができなかったのです。

 

マダム・リヴィエールはその女性に深く同情しましたが、

 

「申し訳ありませんが早期の癌だったら何とか手段はありますが、末期の癌の患者さんは私達の力では到底助けることはできません。」 

 

と彼女に優しく伝えると、涙を流しながら丁寧に頭を下げました。そしてその女性の手をとり、心の底から謝っていました。その光景が今でもおばあちゃんの瞼に焼き付いています。  

 

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このエッセイをここ迄読んで、第四ステージでなければ癌さえも治せる素晴らしい玄米食糧法とはどんなものだろうと皆さんも興味を持ち始めた事と思いますので、おばあちゃんが天龍で習ったマクロビオテック食糧法というのをここで説明したいと思います。

 

玄米食糧法はその名の通り、主に玄米、そして豆類、野菜などを食べる特別なダイエットで、肉、魚、乳製品、特に化学製品の入った食材は全く使わず、その代わりに、タンパク質は大豆などの豆類からとり、小麦粉製品も精白してない物だけを使うという、日本でいえば精進料理に近い食糧法でした。そして料理の過程はとても規則正しいので、おばあちゃんはとても驚きました。玄米に添えるオカズはほとんど火を通した野菜でしたが、そのお店ではよく野菜の天婦羅を出していました。  

 

お肉の代わりに作っていたのはグルテンの蒸し焼きです。精白していない強力粉を、パンを作る時のように水と一緒に練って塊を作り、それを流水で洗うとグルテンだけが残ります。そのグルテンを蒸し器で吹かすと、茶色い触感も見た目も、お肉のような製品ができました。それを角切りしてネギなどと一緒に串にさし、揚げ物にして出していたのもおばあちゃんは覚えています。 

 

砂糖は「体に毒だ」と特に禁止されていて、お菓子も果物に含まれた自然の甘味だけで作られていました野菜も果物も生ものは絶対に出さず、これでもかと言う位煮る、焼く、または揚げていたのですそしてパンやパイもイースト、重曹、またはベイキングパウダーを全然使いませんでした。そんなパンは食べるととても硬く、初めは見ただけで食欲を失う様な物でした。でも少し慣れると独特の味が有り意外と悪くないので、徐々に好きになりました。

 

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おばあちゃんはパリ滞在中、一度マダム・リヴィエールと夜汽車に乗ったことが有りました。玄米食を食べ始めてからほとんど甘いものを食べなくなったマダム・リヴィエールですが、やっぱリパリジェンヌですから甘いものが大好きで、時々お菓子を食べたくなっていたそうです。という訳で、その日彼女は久しぶりに汽車の中で甘いデザートを子供のように喜んで沢山食べました。でもそれが原因で一晩中夢ばかり見、その上体が痛くて熟睡できなかったと翌朝汽車の中でこぼしていました。 

 

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天龍で働き始めてから4か月程経って、おばあちゃんはレストランで出している殆どの料理の作り方を習いました。そして毎年3月にある天龍主催のシャモニーで行なわれるキャンプでは料理を全部任されました。キャンプといってもテントの中で過ごすのではなく、とてもお洒落なシャトーのような二階建ての宿泊地に泊まって、暖炉を囲みながら一週間ほど過ごしたのです。お客様は全員パリ近辺に住んでいる裕福な人達ばかりで、その時の参加者は15-16人程。ベルギーからクリムさんも玄米食糧法を教えるために何日か参加していました。そのキャンプの目的は玄米食を食べる経験をしながら、専門家から玄米食糧法の基礎を習い、日中はスキーなどをして自然を楽しむというとても素敵なイベントでした。    

 

おばあちゃんはシャモニーで毎朝黒パンを焼き、夕飯には玄米を炊き、野菜の揚げ物や、煮物を出したり簡単な料理法を教えたりという生活を一週間程続けました。でも食事を作る合間に、モンブランの麓にあるシャレーでお客様とお茶を飲んだり、おばあちゃんの背の高さの2倍も積もっている雪に囲まれた山道を散歩したりして、アルプス山脈の雪景色を満喫しました。その上、それまで経験のないスキーに相乗りをさせて貰って、モンブランの山を滑り下りたり、シャモニーの町で買い物をしたりもしたのです。本当は玄米食糧法ではご法度なチーズやお肉のフォンデュ、そして美味しいケーキも食べたりして、とても楽しい時を過ごしました。

 

おばあちゃんはフランスに住んでいる5か月の間は殆ど毎日玄米食糧法に従って生活していたのですが、玄米食だけを食べ始めてから困ったことが何回かありました。なぜなら彼女は大豆などをあまり食べる習慣が無く、もちろんその食糧法ではお肉もお魚も食べることが禁じられていましたから、タンパク質を十分に取らなかったのです。それが原因で体中の筋肉が少し弱くなり、トイレが近くなってしまったのです。そういう訳で、おばあちゃんがパリの街を歩いているときはいつも何処にトイレがあるか調べなくてはならなく、トイレに行った後でも何となくすっきりしない時が何度もありました。もっともそれは一時的なもので、きちんとタンパク質を取るようになってからは治りましたが。特にカナダに移住して多少のお肉やお魚を食べ始めてからは…    

 

そして天龍で働いている間、もう一つ気になったお話をレストランの同僚から聞きました。相談役をしていたクリムさんの息子さんは健康に良い玄米食を食べて育ったにも拘らず、3歳ぐらいまで歩くことができなかったそうです。でもオレンジのような果物を生で食べさせるようになってから足も丈夫になり、やっと歩くことができるようになったとの事。その時おばあちゃんが自分なりに理解したのは、玄米食糧法は、体の新しい細胞を増やすのを防ぐ働きをしているのだという事ですですから、健康を保持したい人達や悪細胞が増えるような、例えば癌の治療などには玄米食糧法は適しているけれど、成長盛りの子供達にはもっとタンパク質や生野菜、果物が必要だということです。

 

そんなおばあちゃんの若い頃の経験と、今迄にテレビ番組や雑誌などから習得した健康の情報をまとめましたので、それを皆さんと分かち合いたいと思います。

 

1)  食事は毎日3回、腹8分目。

 

よく朝食を抜く人がいると聞いていますが、最近のメディアの情報では、朝食をきちんと食べ、そして一日に三食きちんと食べたほうが胃のために良いのだそうです。 そして、満腹するまで食べるより、腹八分目の方がもっと健康に良いのだとか。随分昔日本のあるテレビ番組を見たのですが、十年越しにお猿さんの食生活を研究した結果、毎日腹七、八分目に食べ続けたお猿さんは腹一杯に食べていたお猿さんより毛並みがよく若さを長い間保ったんだとか。

 

2)  バランスの良い食事をすること。日本の厚生労働省によると私達は一日の間にこんな食事をとることが勧められています。もちろん年齢や体重によって多少は違いますが。

 

      主食(ごはん、ぱん、麺)      ごはん(中盛)だったら4杯程度

      副菜(野菜、茸、芋、海藻料理)   野菜料理5皿程度

     主菜 (肉、魚、卵、大豆)      肉、魚、卵、大豆料理3皿程度

     牛乳、乳製品            牛乳だったら一本程度

     果物                みかんだったら2個程度

 

おばあちゃんは上に記されている食物を毎日取り入れています。小柄なので、多少は少なめに食べていますが。特に野菜と果物は欠かさず食べています。

 

3)  野菜や果物、肉、魚、そして穀物の順に食べる

 

健康に一番良い食べ方の順序は野菜や果物、肉、魚、そして穀物の順に食べる事だそうです。特に痩せたいと思っている方達にはとても効果があるとの事。これは、おばあちゃんの主人が何年か前に体重を減らそうと努力していた時、彼自身が何処からか得てきたアドバイスです。要するに、最初に体には良く、カロリーの少ない野菜などを食べ(これも5分かけて食べるともっと血糖値を下げる効果があるのだとか)、それから筋肉に必要なタンパク質を含んだお肉やお魚を食べ、そして最後に穀物類を食べれば同じ物を食べても体重の増え方をある程度抑えることができるそうです。

 

痩せる方法にも選択肢があるみたいです。余り急に痩せるとすぐまた元に戻ってしまったり、前より体重が増えたりすることも有るのだとか。おばあちゃん自身もそんな経験がありました。早く体重を減らそうとして何度か食べる量を急激に減らしたのですが、次の食事をするときに余りの空腹さにそれまで食べていた量よりも沢山食べる羽目になり、反って体重が増えた事が有ります。

 

4)  砂糖や塩のたくさん入ったものは控えめに 

 

おばあちゃんは砂糖と塩に関しての日本のテレビ番組は過去何十回も見ています。最近の情報では、過剰の砂糖や塩を取ると、心臓や血管にも影響があるだけでなく、認知症やアルツハイマーにも、そして骨粗鬆症にもなる原因であるとの事。これもまた色々な健康番組から得た情報ですが、癌細胞は、砂糖を摂取すると急激に倍増するのだとか。ですから砂糖はできる事ならなるたけ取らないようにするのが良いと思います。

 

そして前にも触れましたが、マダム・リヴィエールの様に、甘いものを食べると足腰が痛くなったり、睡眠をとる時夢ばかり見て熟睡できなかったりもするみたいです。おばあちゃんも関節炎を少し患っている人刺し指が甘いものを食べた直ぐ後、痛くなったりもします。よく考えてみると、小さい頃チョコレートや砂糖のたくさん入った甘いお菓子を食べると、虫歯が普段より余計痛みました。もしかしたらそれと同じなのかもしれません

 

5)   穀物類はなるたけ精白されていないものを選ぶこと

 

漂白されていない穀物は栄養価値が高く、身体にはとても良いそうです。食物繊維もかなり含まれているので、お通じも良くなります。おばあちゃんは毎朝玄米を、主人は、白パンだけでなく、いろいろな穀物の入ったトーストを毎日食べるようにしています。でもやはり白いご飯やパンは美味しいので毎日の献立から完全に取り除く事はできませんが。

 

6) もし魚肉を食べないのなら、たんぱく質を豆類から必ず取る事

 

タンパク質をきちんと取らないと体中の筋肉が弱るみたいです。ですからお肉や魚を食べる習慣のない方は、豆類を食べることをお勧めします。良いタンパク質を一番含んでいるのは大豆なのだと聞いているので、おばあちゃんの家では脂の少ないお肉や魚を食材に加える他に、お豆腐等をなるたけ食べたりする努力をしています。そしておばあちゃんは毎日豆乳を飲んでいます。

 

豆乳は女性ホルモンを沢山含んでいるそうで、そのお陰かどうか解りませんが、閉経後に西洋人に良くある症状、例えば体温が急上昇したり、ひどい汗をかいたり、何でもないのに苛立ったりする事をあまり経験していないので、本当にラッキーだと思っています。

 

7) お酒や煙草を控えること

 

健康に関してのどんな番組を見ても、お酒と煙草の飲み過ぎは、心臓病、認知症、骨粗鬆症等、いろいろな面で体に炎症を起こすとおばあちゃんは聞いています。最近おばあちゃんの知人が抹消(まっしょう)動脈疾患になり、片足をもう少しで切断しなければならないところまで悪化してしまったと聞きました。幸い早期発見されたので、足の親指を切断するだけで良かったのですが… 抹消動脈疾患などという言葉を今迄聞いたことがなかったのでその病気がどんなに危険であるかという事をおばあちゃんは全く知りませんでした。でも先日、NHK番組の「ガッテン」を見ていたら、抹消動脈疾患(または足梗塞)の話題をたまたま放映していて、お酒と煙草の飲み過ぎにかなり関係があるとの事。その知人も若い頃からかなりお酒と煙草を飲む生活をしていましたから、納得がいきました。

 

8) 毎日適度な運動をすること。 

 

毎日の散歩と柔軟体操は特に年を取ってからは余計必要だとおばあちゃんは思っています。特に中年になって体が硬くなり始めの頃は。そうしないと知らないうちに足腰が弱くなり、取り返しの無い事になるからです。おばあちゃんの周りでは、普段体を動かすことの無いお年寄りで、膝や腰の手術をしたなんていう人達が沢山います。

 ストレスが貯まっている場合も同じです。毎日のように運動をしてそのストレスを解消することはとても大切だと信じています。運動と言っても最近はあまりにも種類が多く、毎日何をしたらよいのか選ぶのが大変なのですが、やはり散歩を毎日している人達は、していない人達より長生きしているみたいです。実際に、おばあちゃんの知り合いだったハンガリア人の老夫婦は、毎日一時間散歩をし続け、夫婦ともども95歳位まで心身ともに可なり健康に長生きする事ができました。もっとも最近は100歳まで生き延びる方は日本には沢山いらっしゃいますけれど。ですからおばあちゃんもそのハンガリア人夫妻を見習って毎日主人と散歩をし、その他に30分位徒手体操や他の運動をしています。特に骨粗鬆症を防ぐための「かかと落とし」や腰の運動は毎日しています。そして主人は、ステーショナリー・バイクに乗ったり、腹筋をしたり、彼なりに健康に気を使っています。 

 

長生きできても、心身不従では人生の楽しみも余りないのでは、とおばあちゃんは思っています。

 

9) 睡眠を7-8時間取る事

 

 「寝る子は育つ」なんていう諺が有りますが、子供でなくてもよく寝れば毎日の暮らしがもっと良くなるとおばあちゃんは思っています。睡眠を良く取るという事は、認知症の予防にもつながるとも聞いています。

 

最近解ってきた事は日中にきちんと散歩や運動をすると良く眠れるという事です。若い頃は仕事や家族の悩みも沢山あり、何となく慌ただしく毎日を過ごしていたので熟睡することが殆どなかったのですが、最近は7-8時間きちんと眠れるようになりました。そして、今日は疲れているからと言って運動を怠ったりすると、かえって眠りが浅くなることも時々有ります。ですから、おばあちゃんは運動だけは毎日欠かさずしています。

 それから寝る前に一つ避けている事もあります。ある番組によるとコンピューターから発する青い光は、脳を活性化させるとの事。ですから夕食後にはコンピューターはあまり使わないようにしています。

 

10) 定期的に健康診断をすること。

 

何の病気にかかっても、早期に発見すればその病気から回復する可能性が高いのは良くご存じのことと思います。ですからおばあちゃん達も毎年お医者様と会って、一年間の健康状態を話し合い、その後血液検査、尿検査、マンモグラフィー検査とそして骨密度検査等を受けるためにクリニックに行っています。

 その他におばあちゃんはこんな事もお勧めします。

 

1)   真剣に健康な生活を送ることを望むなら、精神的な健康も考えること。

 

肉体の健康は精神的な影響がかなり有ると言われています。ですから日常生活するうえで、あまり焦らず、怒らず、家族との円満な生活をすることがとても大事だとおばあちゃんは思っています。とにかく後悔ばかりせず、前向きに生活するのが大切なのでは…

 ここで、おばあちゃんの特別なストレス解消の方法をお教えします。彼女は時々教会などで、何百人の前で独唱しなければならないのですが、歌う前に上がってしまいストレスを感じた時は必ず、両手の指先を胸の前で合わせます。そうするのはお祈りするためでは無く、合わせた10本の指に、特に親指と人差し指に、かなりの力を入れて深呼吸を4-5回するためです。すると強張っていた肩が少し緩やかになり、マイクの前に立つまでには呼吸もかなり落ち着き、歌い易くなるのです。

 

2)   病気にかかったら、その病気が重くならないうちに、玄米食療法の様な健康食糧法に従って食事をすること。癌細胞を取り除くような手術を受けた後などには特に。そうすれば、悪質な細胞の敏速な増殖を避け、健康な日々を過ごす可能性がもっと高まるのではとおばあちゃんは思っているからです。

 

3) もし必要のある場合はビタミン剤を取ること。

 

おばあちゃんは小さい頃から肝油を毎日2錠ずつ必ず飲んでいます。そして子供を産んでから鉄分の補助剤を飲んだ事もあり(この事については後にもっと詳しく説明します)、今は骨粗鬆症を避けるためにカルシウムを十分に取り、関節病にならないようコラーゲンの錠剤も毎日飲んでいます。何のビタミン剤が必要なのかは個人差があるのは当然ですが。つい最近飲み始めたビタミン剤はオメガ3です。オメガ3は体全体の健康に、特に目に良いそうなので。何かと目が疲れ、白内障を避けたいおばあちゃんにはとても必要だと思ったからです。今まで飲んでいた肝油にもオメガ3は一錠につき57㎎程含まれていますが、本当に健康を保ちたいのなら一日の摂取量は250-500㎎だともおばあちゃんは聞いていますので。

 

4) 若い容姿を長く保ちたかったら、自分の身長にあった体重を保ち、急速な体重の変化を避ける。 

 

おばあちゃんが最近思うには、中年になって体重が増えると皮下脂肪が多くなり、その後もっと年を取ってから健康のために体重を減らすと、皮下脂肪が減り、皮膚がたるんできて皺ができる。ですから、自分にあった体重を若い時から一定に保持する事は、年を取ってから皺が増える速度も遅くなるという事だと気が付いたのです。もちろん皺の原因は紫外線を取り過ぎた場合も多いみたいですが。それから、重い病気などをして体重が減ると同じような事が起こります。おばあちゃんもピロリ菌が原因で体重がかなり減った時に、自分なりにかなり老けたなと思いました。年を取るにつれ皺が増えるのは当然なことなのですが、なるたけその過程を遅くしたいと願うのはおばあちゃんだけでしょうか?

 

5)  子供の食生活には特に注意を払う事。

 

最近、医療関係のテクノロジーがかなり上達しているのにも拘らず子供達が病気になる傾向が多いようにおばあちゃんには思えます。それが生活環境のせいか、食生活のせいか、原因は解っていないみたいです。そしてそんな子供たちが重症になったとき、親達は自分の命と変えてもその子供を助けたいと思うでしょう。でもおばあちゃんが思うには、それでは遅すぎるのです。それだけ子供たちに愛情があるのなら、病気になる前に、まして女性だったら妊娠している時から生活習慣(特に食生活)を変える事ができたら、どんなに子供達のためになるのでは、とおばあちゃんは思うのです。

 

ここからは、健康に関して、おばあちゃんが個人的に経験したことを綴りたいと思います。 

 

カナダ人の主人の食生活改善

 

おばあちゃんのカナダ人の主人は、小さい頃からお肉とポテトが主食、そして甘いケーキやパイをデザートとして毎日食べていました。そういう訳で、彼の多くの親戚は皆高血圧、糖尿病に悩まされていたとの事。特に叔父さん達の何人かは、高血圧で若い頃に亡くなった方が多いそうです。義父も若い頃に重症な心臓発作を2回起こし、40歳半ばから働けなくなったそうで、おばあちゃんが初めてお会いした50代の頃には家でノンビリと療養生活をしていました。 

 

おばあちゃんが主人と結婚した当時は勿論彼に合わせて毎日、肉料理とデザートを作りました。そして母親の料理の味にこだわる主人のためにハミルトンの実家に行く機会があるたびに肉料理やデザートの作り方を義母から教わり、見様見真似で毎日の食事を作っていました。その他には西洋の料理の本を頼りに何でも作ってみました。でもパリでの経験で、そんな西洋の料理があまり体に良くないのを知っていたので、それから少しずつ食材を変えました。結婚してから10年位たった後は、デザートを毎日でなく一週間に一度だけにし、そしてコーヒーに入れるお砂糖も少しずつ、主人に分からないように減らしました。今では主人は全く砂糖をコーヒーに入れていません。飲んでいたコーヒーの回数も日に5-6杯から、一日一回と随分減らしています。とにかく親戚に臓病の歴史がある主人の健康を守る食事を作るのにおばあちゃんは必死でした。もちろんパリで習った食療法の事も主人に伝えました。でも病気でもないのに急に食生活を変えるのは、とても難しいものです。ですから、なるたけ主人に分からないように毎日少しずつおばあちゃん達家族全員の食生活を変えてきました。

 

最近こんな事もテレビ番組で放映されていました。英国では政府が国民の健康を良くするために、全国の食パンの塩分を十年もかけて減量する運動に成功したのだとか。英国民はこの事を全く知らなかったそうです。やっぱり何かを本当に変えたいと思う時は、徐々にするべきだとおばあちゃんは思いました。    

 

でもおばあちゃんの主人が会社に勤めているときは外食が多かったので、お昼に彼が何を食べるかはコントロールできませんでした。彼の外食の殆どが会社のお客様の接待で、ステーキや、ポテト、ワインやビールにデザートといった食事でした。若い頃の主人は、あまり健康に気を配らず、注文したものを何でも食べたい放題食べていました。そういう訳で30代前後の頃、彼はかなり体重が増え、高血圧を抑えるため軽度の薬を飲まざるを得なくなりました。 

 

そんな時おばあちゃんが日本のテレビで体重減少をトピックにした番組を見たのです。その番組によると、毎日朝と夜2回体重をグラフに記録し、何を食べた時に体重が増えるかという事を書き留めて、その食べ物を避けるようにすると体重が徐々に減るとのことでした。その方法を主人に勧めたところ、とても興味を持ち、それに従って毎日グラフに体重の記録を付け始めてくれました。お蔭様でそれから7-8か月の間に10キロぐらい体重が減りました。

 

その後は外食しても特に気を付けるようになり、主人は沢山野菜を食べています。そして、今は家でも外で食事をするときも、前に触れた食事の順序を守り、必ず最初に野菜を食べ、次に、お肉やお魚、そしてお腹がまだ空いていたら、炭水化物を取ることを習慣づけているのだそうです。そういう訳で、現在のところは、遺伝の影響で避けることのできなかった高血圧を少し患っていますが、義父みたいに心臓発作にも襲われることもなく一番弱い高血圧の薬を飲んでいる程度で、体は結構丈夫みたいです。 デザートの方は、週末に家族が集まる時だけ食べています。人間、何ごとも、絶対ダメと言われると、もっとそれに反したいと思うものですから一週間に一度デザートが食べられるという事が彼の食生活にかなり役立っているみたいです。            

 

おばあちゃんの過去の健康記録

 

おばあちゃんの方はというと、玄米食療法の大切さを知り、今までかなり気を付けて生活してきたのですが、いくら毎日の食事に気を付けているからといって避けられない病気もある事を50歳も過ぎてから理解しました。

 

最初にそんな経験したのは歯茎の痛みです おばあちゃん達の子供の頃は、歯を磨くのは朝だけで良いと教えられていました。それで小さい頃、寝る前には歯を磨かずに寝てしまい、虫歯の痛みでは大変苦しみました。あの頃はちょうど第二次世界大戦の後でチョコレートがポピュラーになったばかりの頃でしたから奥歯はほとんど虫歯だらけになってしまったのです。幸い20歳で玄米食療法を知ってから新しい虫歯は一本もできなかったのですが、50歳を過ぎてから、小さい頃に昔治療を受けた歯の中に虫歯ができてしまったのです。それで歯の神経を取り除く手術を受けたり、歯茎も仕事からのストレスでかなり悪くなったりして、ひどい痛みを経験してかなり苦労しました。そんな嫌な経験をしたせいで、おばあちゃんの子供達が小さい頃には朝晩必ず歯磨きをすることの大切さを教え、お蔭様で娘も息子も50歳近くなった今でも虫歯一つありません。

 

おばあちゃんが中年になって経験した次の健康問題は肩、腕、そして踝(くるぶし)の痛み(手根管症候群)です。おばあちゃんが新しい会社に勤め始めた時、与えられた仕事に早く追いつけるよう残業を5か月程毎晩続けました。そのためコンピューターの使い過ぎで肩、腕、そして手のくるぶしが痛くなってきたのです。日本にいた時は良く「四十肩や五十腰」なんという言葉を聞いたことがありましたが、それが原因でこんなに体が痛くなるとは夢にも思っていました。ひどい時は会社へ通勤するバスの中でも痛みが走り、どこに肘を置いてよいのか解らなく涙を流すこともできず、唯々痛みに耐えていた時もありました。その輪をかけるように、会社の隣の部屋で働いていた人がとても暑がりで温度計をかなり低く定め、その温度計がコントロールしていたおばあちゃんの部屋も毎日台風でも来たかのように冷房から風が吹き、おばあちゃんの肩と腕はますます硬くなり痛みは増すばかり。それでもその会社で新社員だったおばあちゃんは休みもとらず、毎日仕事をしたのを覚えています。それを治すのには、カイロプラクターやマッサージ療法士がいるクリニックにかなり通いました。おばあちゃんは肩や首の運動をすると今でもゴリゴリと音がするのですが、ほとんど痛みは無いので時々カイロプラクターに調整して貰う位で済んでいます。最近は腰がかなり固くなってきているので、予防のために毎日柔軟体操をしています。 

 

そして50歳をちょっと過ぎた時には、急に眼を悪くしました。 会社で使っているコンピューターのソフトウェア―が新しくなり、その時も毎日の様に残業をする羽目になったのです。ですから最初はコンピューターを長時間使っているせいで頭も重いし、視力が落ちたのかな、なんて軽く思っていました。でもちょっとも良くならないので、お医者様に行って血液検査と尿の検査をしたのですが、何の病気でもないとのこと。 

 

でもそれから一か月も立たないうちに左目の中に、ほんの小さな金色の魚みたいのが泳いでいる様に見え、何日経ってもそれが無くならないのでいつも通っている眼科に行きました。そこで網膜専門のお医者さまを紹介していただきました。その専門家によるとおばあちゃんの左の眼の網膜に穴が開いていて手術が速急必要だとのこと。ところが、左目の手術を待っている間に右目にも同じような事が起き、結果的には、右の目はその年の4月に、そして7月に左の眼の網膜の手術をして頂きました。手術のすぐ前の頃には、ひどい時はヴィジョンが何重にも見えたり、人の顔の鼻が全然見えなくなったりした事も有り一度は盲目になる可能性も有るかもと、とても不安にもなりました。そして網膜の2つの手術の他に、手術後に溜まった不純物を取り除く白内障の治療も含まれていたので合計7ヵ月ほど会社を休まなければなりませんでした。でも手術後は両目とも随分良くなり、おばあちゃんは網膜専門家のお医者様に心から感謝しています。  

 

何故両目の網膜に穴が開いてしまったのだろうと専門科のお医者様に聞いたところ、小さい頃頭にかなりの衝撃を頭に受けたことも原因の一つであると彼は言っていました。そしてかなり年を取ってからこんな症状が現れるとも。そう言われてみれば、おばあちゃんには10歳の頃そんな経験があったのです。ある日彼女は、宇都宮の街から家に帰った時、兄の友達の一人に自転車の後ろに載せてもらいました。おばあちゃんはまだ小さかったので、知らない男の人にしがみつくのも恥ずかしく思い、大きなバッグを両手に抱えたまま自転車の後ろに乗りました。でも運が悪いことに鬼怒川の橋を渡っていた時、橋の真ん中に大きな穴があり、それを避けずに走った自転車はその穴に落ちて大きくジャンプしました。何も掴んでいなかったおばあちゃんは自転車からまず上に飛ばされ、高い所からコンクリートの道路に落ちてしまったのです。頭をかなり打って大きなコブができ、そこから少し血が出始めました。家に帰ってからも頭が痛くて随分泣いたのをおばあちゃんは覚えています。子供が泣いているという事は、怪我は大事も無いのだろうと大人達は判断し、お医者様にも行きませんでした。それが何十年もたった後おばあちゃんの網膜に穴ができた原因だったみたいです。    

 

もう一つの健康に関しての出来事は、網膜の手術をしてから10年もたった頃に起きました。おばあちゃんの主人と二人でペルーに旅行した時に、コーヒーに入っていた生クリームが原因でお腹を壊してしまったのです。幸いそれは1週間程で治ったかのように見えたのですが、旅行が終えて仕事をし始めた頃、水を飲んだだけでも気分が悪くなってきたのです。特に散歩の前に。2か月後にお医者様に掛かり血液と尿の検査をしたところ、おばあちゃんの血液の検査結果は前よりも良くなっていて何も問題はないと云うのです。今振り返ってみると、その頃おばあちゃんは友達の勧めで野菜ジュースを飲むのに凝り始めていたので、それが血液検査の結果を前より良くしていたのだと思います。でもその後、おばあちゃんの胃の調子は悪くなるばかりでした。それから5か月もたったある夜のことです。いつもの様に日本の健康についてのテレビ番組「ためしてガッテン」を見ていると、その夜のトピックはピロリ菌でした。   

 

ピロリ菌は、6歳未満に親から口渡しで感染するとの事。そして高齢(60過ぎ)になってきてから体に影響し始め、胃潰瘍から始まり、放っておくと胃癌に迄なってしまうこと。 その知識を得たおばあちゃんは、危機を感じてピロリ菌の検査を早速して貰うことになりました。結果が届き、おばあちゃんがピロリ菌に侵されたため胃の調子が悪いことが判明し、お医者様もびっくり。慌てて抗生物質を処方してくださり、その上おばあちゃんの家族全員の同じテストをすることをお医者様は勧めてくれました。幸いおばあちゃん以外は誰にもピロリ菌の心配はありませんでした。でもおばあちゃんはピロリ菌のせいで一時急に体重が減り、髪が普段異常に抜け、爪が薄くなり、急に皺が増え始めました。そしておばあちゃんの胃の調子が完全に戻るまでに約2-3年かかったのです。

 

おばあちゃんは今になって思うのですが、もしあの時「ためしてガッテン」を見ていなかったら2-3年たって深刻な病気と闘わなければならなかったかもしれない。ですから偶然に見た「ためしてガッテン」の「ピロリ菌」についての番組に今では感謝感激雨霰という心境です。   

 

それから最近のことですが、おばあちゃんの胃の調子がまた悪くなりお医者様に行きました。朝ビタミン剤を飲んだ後気分が悪くなるので、たぶん鉄分のサプリメントが原因ではと直感的に思い、お医者様にそのことを伝えました。血液検査の結果は思った通り鉄分の取り過ぎと判明しました。その時のお医者様は、おばあちゃんがカナダに来てから3度目のお医者様でしたので、おばあちゃんが毎日どんなビタミン剤を取っていたのか知りませんでした。鉄分補助剤を取り始めたのは、おばあちゃんの息子が生まれた直ぐ後の事、随分昔の事だったからです。その頃ウエートレスをして働いていたのですが、毎日の様に目眩(めまい)が続きました。そう言う訳でお医者様に鉄分補助剤を毎日取るように処方されていたのです。   

 

でもおばあちゃんは50代の時に起きた閉経後にも鉄分のサプリメントを飲み続けていました。それが悪かったのです。毎月生理で失っていた鉄分が、生理が止まってからは血液の中に溜まり始めたのです。その影響で、胃の調子も悪くなったとの事。その後すぐ鉄分の補助剤を飲むことを辞めました。そして献血をし、溜まっていた血液の鉄分の量を低くしました。そうしたら胃の方も随分と良くなったみたいです。 

 

網膜の問題の時や胃の調子が悪い時もそうでしたが、やはり血液や尿検査だけでは自分の体の中に何が本当に起きているかは判らないものです。お医者様だけに頼らず、ある程度責任をもって、自分の体の変化に気を使うという事は大切なことだとその時思いました。

 

最近は毎年健康診断を受ける度、こんな風に思うようになりました。色々なテストの結果をお医者様から聞くまでの1-2週間位の間、今度こそ何かの病気にかかったのではと不安を感じるのです。年を取るにつれてそんな心配は増えている一方です。何故かというと、おばあちゃんの知人の中には乳癌や子宮癌に掛かった人が何人もいるからです。ですからいつ自分も癌であるという事を宣言されてもおかしくないとおばあちゃんは思っています。それと同時に、その告知に耐え、手術を受け、その後化学療法を受けたり、抗癌剤を飲んだりして苦しまなくてはならなかったそんな知人の一人一人の勇気と強い精神には頭が下がります。もしおばあちゃんがそんな宣告をされた時は、そんな知人達と同様、勇気をもって手術や治療などが受けられるよう今から祈っています。

 

現在、カナダでは乳癌は女性の4人に1人がかかるというと聞いていますし、日本では二人に一人がいずれは何かしらの癌になるとも言われています。どんなにおばあちゃんが健康に気を付けているからと言ってそんな運命から免れられる程ラッキーではない事は理解しています。 それに人間生きてきた以上死は免れない。とにかく老化と戦うことは全く不可能なことだし、あげくには、明日にでも致命的な病気にかかってしまうなんて事もあるかも知りませんから…      

  

でもそんな悲観的なことは生きている間には言っていられないので、おばあちゃんはカナダに来てからも食生活にはかなり気を付けてきました。そして玄米を毎朝食べ、野菜をふんだんに食事に入れ、砂糖と塩の摂取にはとても気をつけています。そして会社に勤めていたときは、コーヒーや紅茶でなく、さ湯を一日中飲んでいました。でもカナダ人は肉食が主なので、脂を取り除いた少しの牛肉、豚肉、鶏肉も毎日食べています。もう一つとても気を付けていることがあります。夕食はお皿の上の3分の4が野菜で占めている事です。例えば、赤、緑、黄色のピーマン、ブロッコリー、インゲン豆等。そのうえ、前にも触れました様にサラダも毎日の様に食べています。そして、あまり脂っこいものや甘いものを口にした時は、さ湯を普段以上に飲むようにしています。その他には、ピーナッツは若い頃からニキビができる原因でしたので避けています。そして年を取るにつれて、胃に何らかの影響がある食べ物が徐々に増えてきたので、気をつけています。例えば冷たいミルクを飲んだり、クリームのたくさん入った物を食べたりすると多少お腹を壊す傾向が有りますし、トマトやレモン類などの酸っぱい物を生で食べると口内炎ができ、コーヒーをお昼過ぎに飲むと眠れなくなる事も有ります。そしてワインを飲むと初めはぐっすり眠れるのですが夜中に起きてしまい、そのあと眠りにつく事ができません。ですから夕食の時はあまり飲みません。

 

とにかく、健康を保つには最新のいろいろな情報に耳を傾け、自分なりにその情報を取り入れ、毎日努力することが一番大事なのではとおばあちゃんは思っています。日本の、「ガッテン」と「Choice」と言う番組からは色々と健康について勉強させて頂きました。心から感謝しています。

 

以上がおばあちゃんの今までの経験から学んだ健康法とそれについての裏話。以前保険会社に勤めていた主人によると、高齢になってから特に精神的な健康の変化があるのは70歳半ばだとか。ですからおばあちゃんはその年になる前に、そしてまだ心身とも健康なうちに、このエッセイを書くことにしました。少しでも皆さんの参考になれば良いのですが。