Based on “SEVEN SHADES OF PAIN” written by Yoko and Philip Galvin

 

七色の泪

 

翻訳者:Yoko Galvin(前田洋子)

日本語訂正者:前田哲哉、前田かおる

 

時は1985年。それは陰鬱で身も心も凍るような1月のある夜だった。冷たい風が吹き続け体中の震えが止まらない程の寒さを感じる夜である。湿った分厚い黒い雲がまるで何かに取り憑かれ、怒りを夜空にぶつけているかのように暗い闇を駆け抜けていく。その光景は悪報を急遽誰かに伝えようと荒波を超え、夜空を走っているかのようにも見えた。敏速に流れる黒い雲の間からは氷の様に荒涼とした月が時折その姿を現すと、すぐ雲の後ろに隠れてしまう。そしてその光景は、か弱いその月がこの宇宙には自分の居場所が無いかのように怯えているようにも見えた。もうすぐ激しい雨が降る気配が漂ってくるそんな夜であった。

IMG 1741a突然、懐中電灯の光を受けて一人の男が急に目を覚ました。最初に意識したのは自分の体がひんやりと湿った何かに包まれていることだった。次に認識したのは、その悪夢のような状態から目覚めることが現実的にどれほど難しいかという事であった。体中がズキズキと痛み、頬の内側から湧き出る血が口を徐々に満たし始めている。男はそれを吐き出そうと懸命に努力した。そして、ゆっくりと頭を上げようとすると顔に細かい砂がパラパラと落ちてくるのを感じたのである。大きく目を開き周囲で何が起こっているのかを確認しようとしたのだが、あまりにも暗すぎて、どこを見て良いかもわからなかった。そうしていると、懐中電灯から発せられた光が男の顔を直接照らした。起き上がろうとしたが耐え難い痛みに襲われ、その上、雨で濡れ始めた砂が体を固く包み、動くことは事実上不可能だった。それでも、暗闇の中で必死に動こうとし始めた時、遠くで誰かの声が聞こえた。その声を聴き男はハッと今、自分に何が起きているかを思い出したのだ。

その現実は、いっぱいに満たされたシャベルの砂が体に落ちてくるその重さよりも、もっと強く苦境を戒め、男を襲った。その男は川岸に掘られたばかりの深い穴の底に生き埋めにされようとしていたのだ。助けを呼ぼうと叫ぼうとしたが次々にシャベルから落ちてくる砂で男の口は満たされ始めていたのである。

 

 

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1:ビル

3日前

真っ赤な太陽が沈み始めて交差点の街灯が一つずつ点灯し始めた頃である。その光景は郊外から見ると街全体が夜空に浮かんでいるかのように見える。そして、西方から暗い雲が徐々に街を覆い始めた。

そんな中サングラスをかけた、がっしりとした体格の男が大きな黒いリムジンの後部座席に座っていた。男は自分が所有する豪華な車でこの街を走り回るのを何よりも楽しんでいた。外からは覗くことができない黒く着色された車の窓から満足そうに人々を眺めている。そんな男はいつものように高価な青いピンストライプのスーツを誇らしそうに着ていた。それは男の「パワー」スーツである。そのリムジンの周りを一日の仕事をやっと終え家に帰る人々がそわそわと通り抜けていった。そんな光景をリムジンから見ることにその男は心から快感を覚えていた。通り過ぎる人々はどんなに急いでいても豪華なリムジンを見るたびに、その車にはどんなに偉い人や有名人が乗っているのだろうかと必ず想像することを知っていたからである。自分もかつてはそうであったように。それは絶え間なく優越感を男に与えた。そんな快感を得ることが貧しかった小さい頃からの夢でもあった。

男は人々から尊敬され羨ましがられることを前から望んでいた。でも、心の底から念願していたのは人々に恐れられることだった。それが本当のパワーだと信じていたのである。他人を傷つけることで周りの尊敬を得ることができる。言うまでもない事である。自分がそのことを確信し人々もそれを認識していれば、それで十分だと思っていたのだ。それは自分の運命(幸運)であり権利でもある。そして、その事によって不幸を被る他人は不運であり、それが彼らの悩みにもなるのだ。その男にとってはそれが自然な秩序であった。それが本当にあるべき姿だと心から信じていた。

男はダウンタウンの賑やかな通りに行くよう運転手に命じた。リムジンが赤信号で止りパン屋の方向を見た時、ある光景が男の目に留まる。ゆっくりと窓を開け、良く見るためにサングラスを外した。その時パン屋から出てきたのは身なりの良いアジア人女性二人である。彼女等は誰かがじっと見つめていることも知らずに、リムジンが止まっている街角に近づいてきた。そして、明るい街灯の下に立ちどまり親子のように振舞っている。しかし、年上の女性は娘を持つには若すぎるようにも見えた。その女性が男に過去girl in jacketに逢った誰かを思い出させたのである。彼女が着ているドレスの形を随分前に何度も見た記憶があった。スリムな体型に泡水色のアオザイ(ベトナムのドレス)。長い黒髪が夜風に軽やかに踊りリムジンのすぐ前で立ち止まる。彼女はまだ若く美しかった。男は少しの間自分の過去を振り返った。目の前に立っている女性に良く似たベトナム人の少女を今でも鮮明に覚えている。その少女の肌はベトナムの灼熱の太陽で日焼けしていたこと、真っ白い歯が眩しいほどに輝いていたこと、そして、とても生命力に溢れていたことも。その時男は急にその少女の顔に浮かぶ苦しげな表情を思い出した。少女の鋭い叫び声が頭に響き、そんな記憶に快感を覚え苦笑した。 男は信号を待ちながら話している二人の女性を見つめ続けた。年上の女性は微笑みながら隣に立っているティーンエイジャーの傍らにより、革のジャケットの襟をそっと整える。若い女性は少し苛立った表情を示し、それでも微笑みを返した。そのティーンエイジャーはおそらく16歳位である。年上の女性よりも背が高く、もっと白い肌をしていて、その肌は電灯の光を受けて輝いて見えた。太陽の下で長時間働くことは縁の遠いことだったのであろう。ティーンエイジャーは農家に育ったのではなく一見するとモデルのようで、光沢のある栗色の髪とタイトフィットのジーンズがよく似合う体型をしていた。男はティーンエイジャーの父親は白人であるに違いないと思った。これまで多くの混血児を見たことがあるが、この街で見ることは滅多にない。男はティーンエイジャーを見つめる。とにかく美人でその上、妙に馴染み深く感じた。

信号が青に変わるとリムジンはゆっくりと動き始めた。男は窓を閉め戦争中にベトナムで過ごした過去を思い浮かべる。ベトナム戦争は良い思い出ばかりでは無かったが、微妙に笑みを浮かべていた。男は確かに戦争前と比べると全く異なった人間となりアメリカに帰国していた。それは国に奉仕するよう召集される前には想像もできなかった、死と暴力を目の当たりにしたからである。そして今でも戦争中の記憶がしばしば甦ることがあった。

IMG 1799男は1966年に、ウィリアム・ステイシー二等兵としてベトナムに送られた。帰国後も名前と軍隊の階級だけは変わらなかったが精神的には全く別人としてアメリカに戻っていた。戦争に加わる前はまだ若く少し野生的ではあったが、悪意や怒りをもって他人に接することはあまり無い男だった。ウィリアム・ステイシー、周りの人々は彼をビル(ウィリアムのショートネーム)と呼んでいた。戦争を経験した後のビルは、それまでと全く異なり世界のすべての問題の答えを持っていると思わせるほど自信に満ち溢れていた。

帰国後他人が各々の問題に戸惑う中、ビルは何事に対しても原因の解決策を知っていた。問題の対処法を学んだからである。陸軍はビルに成功の基本を教えた。その理屈は本当に簡単である。第1に、問題に直面した時、原因を特定する。第2に、その問題を解決する最善の方法を決定する。第3に、直接的で抑制した行動を取ることだ。その理屈はビルにとっては、いとも簡単だった。1、2、3‐それだけだ。1に問題を見極めるのは自分自身。2にビルはどんな問題でも解決策を見いだしてきた。そして3、この第3の、いわば力強く「一歩を踏み出す」という能力が、他人より飛び抜けていたのである。それがビルの真の才能となった。ビルはベトナムでの経験からステップ3が報酬につながることを学んだ。戦闘中にそれを知っていた仲間はそんな行動をし昇進したのである。彼自身も戦時中にもっと昇進すべきだったと悔いてならない。自分はそれに値していたはずだ! 

とにかくビルは他人をコントロールする行動が成功の道なのだということを戦争中に習った。成功してきた人間が、仲間が傷ついても考慮せずにそうするのを何度も見てきたからだ。そんな無慈悲な人間が今まで結果だけを望んで行動してきたのに、なぜ自分だけが他人を考慮しなければならないのだろうか? 帰国し、ついに勇気を出して他人をコントロールすることで結果を出し始めた時、周りはビルを止めるどころか、その行動を非難しなかったのである。

ビルは戦争中に出会ったベトナムの少女の事をもう一度思いだした。少女はビルが与えたその苦しみに値し、そして、それはビルの権利であるのだと思った。結局その少女の国のために自分は命を危険にさらしてまでも敵と戦ったのだから、少女はその恩を借りていただけなのだ。誰かがビルに恩を借りるのなら、それをその人物がいつかビルに支払わなければならないのは当然のことだ。

ビルはその夜の組織会議でリーダーとしてスピーチをする心の準備をリムジンの中で始めたのだが、ベトナムで会った少女との出来事が彼を興奮させ、そのスピーチに適した精神状態に辿りつくのに役立っている事に気が付いた。

そういう訳でダウンタウンを通り過ぎた後、ビルは運転手に行き先を変えるように命じる。数分後、リムジンは街の西端に近づき丘陵地帯の並木道を走った。スピーチをする時間までには少なくともあと1時間はあるので、その時感じ始めた興奮を保つために思い出に残る場所の幾つかを会議の前に訪れることをその時決心したのである。リムジンは住宅街を走り富裕層が住んでいる場所に辿り着いた。その家々の前の手入れの行き届いた整然とした芝生は、なぜか安堵を与えてくれた。富裕層の住んでいる住居はアメリカの理想の生活様式を象徴しているが、丘の下に住む一般人はそんな光景を徐々に破壊しているのだとビルはその頃考えていたのだ。

ビルは運転手にある豪邸に行くように、そして、その家に近づいたら速度を落とすよう命じた。その家が近くに見え始めると心臓の鼓動が速くなる。「ここで起こったことだ...」懐かしそうにその豪邸を眺める。その時の記憶が胸に溢れると、ビルの体に微かな悪寒を感じた。何年も前にその家で経験した感覚を急に思い出したからだ。すると運転手に数分間エンジンを止めるように言った。

house gate庭の風景が少し変わった以外は、その家は覚えていた通りのままだった。立派な黒の鉄の門が、どこまでも続きそうな長い石垣の中央に佇んでいる。鉄の門から曲がりくねった私道は街灯で照らされ始めていて、厳粛に立っている建物にまで続いていた。その家には二十以上の部屋がありそうだ。ビルが属している組織の最初の任務をこの家で実行してから早いもので17年の歳月が経っていたのだ。時間はあっという間に過ぎてしまう、と心の中で思った。

ビルは運転手にリムジンをまた走らせるよう、そして次のコーナーで右折するように命じた。その通りを15分程行くと街の工業地帯を通り過ぎ、市内の肉体労働者が住んでいる地域に到着する。そうすると運転手に小さなショッピングモールの食料品店に着いたら駐車場で止まるように命じた。そこに着くと、ゆっくりと窓を開けその店の中を覗き込む。客は誰もいなくカウンターの後ろに一人のアジア人の男が何かに思い伏せているかのように座っていた。その顔を良く見ると左側全体に大きなやけどの傷がある。やけどで深く刻まれた顔は永遠に悲しそうな表情を残していた。ビルはこの傷だらけの男を忘れるはずがない。この男もビルの過去の犠牲者の一人だったのだ。この食料品店や少し前に訪れた豪華な家で起こした事件は、ビルが加わっている組織内で急速な昇格に役立ってくれたのだ。ビルは満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりとリムジンの窓を閉めた。

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ビルは第二次世界大戦の数年後、三人兄弟の末っ子としてアラバマ州で生まれた。父親ジムは大柄で頑固な男だった。その頃ジムは三人の子供と妻を支えるため職人として建築会社に勤めていたが、その仕事を心から嫌っていた。何故ならジムには学生の頃将来の夢があったのだ。でも、運はそんな夢を追うことなく突然変わってしまう。人生はジムに悪い運を与えたのだ。不運はまだ高等学校に通っていた頃、ガールフレンドを妊娠させてしまった時から始まった。夢は大学に進学し世界を旅行することだったが、そんなことは到底できず、家族の責任も住宅ローンもすべてを妊娠してしまった彼女のせいだと押し付け始めた。その責任がなければこの卑劣で屈辱的な仕事をする必要もなかったのだ。心の奥底ではアメリカが他国との戦争に巻き込まれた事態までも彼女のせいだと怒りまくった。彼女が妊娠さえしなければ、もっと自由に生き、何か大きなことを成し遂げることができたのだ。

ジムは自分の不満をすべてビルの母べスにぶつけ、子供達が大きくなると、それを子供達にぶつけ始めた。小さい頃のビルは兄達が父に殴られるのを随分と見てきたが、そのうち自分の番がやって来た。ビルは自分が何をして父を怒らせてしまったか正確には理解できなかったが、とにかく自分が悪いに違いないといつも思っていた。そうでなければ、なぜ父が殴るのであろうか? どこに隠れても、殴られるのを避けることはできない。その上、殴られるのを避けようとすると父の苛立ちが増すだけで殴打は悪化した。父が家にいる時は足音を聞くだけでビルの首の後ろの毛が逆立ち、胃が締め付けられる。そんな思いが最もひどかったのは、父が仕事から酒に酔って帰ってきた時だった。そんな夜は、その日に何か良いことがあり父の機嫌が良いのか,それとも良くないことがあり、それを忘れるため酔いつぶれて帰ってきたかで、すぐさま父から逃げる必要があるのか,全く分からなかった。

そんな時ビルは父の行動の手がかりを熱心に観察し、父の最初の言葉が呪いの言葉でなければ良いのにと心の底で願うと同時に、母が父にその日の様子を聞かない事を祈った。母の質問は、いつも悪い反応を引き起こすように見えたからだ。そんな母がビルには理解できなかった。なぜ毎日父に同じことを尋ねなければならなかったのだろう? 黙っておけば父は手を上げなかったかもしれないのに!「今日はどうだった?」と父に聞くたび、まるで母の言葉が聞こえていないかのように父は振舞い一瞬の沈黙から、突然罵声を浴びせたり物を投げつけたり、あからさまな暴力を振るう。そんな一連の反応が母の言葉から始まるのだ。それでも母は毎日同じことを聞き続けた。

子供の頃ビルは父のそんな振る舞いを到底理解できなかったし、大人になっても本当に理解する事はなかった。ビルが彼なりに理屈を見出したのは、それが母や子供達の日常茶飯事の出来事になってしまったという事だけだった。母はいつの間にか殴られるのが当たり前だと思っている。飼い犬のように父に躾られ、それでもいつか優しく撫でられることを期待しながら、いつまでも同じことを繰り返し父の傍にいるのだ。

ビルの母ベスはジムと結婚してからは地元のデパートでレジ係として働いていた。ベスは高校生の時にジムと恋に落ちてしまい、それが彼女の人生をも狂わせてしまったのだ。その頃のジムは何のスポーツにおいても優秀なアスリートだった。フットボール、野球、バスケットボールのクラブに属していて学校中が誇る大スターだった。その上ハンサムで体格も良く、多くの女生徒達の憧れの的であった。ベスは長い間、遠くからジムを眺め密かに恋心を持ち始める。ジムがベスに気づき始めたのは、どのスポーツ競技会に参加していた時でも、ベスが密かに自分の活躍を見に来ていたからだった。ベス自身はとても頭も良く才能のある女性であり卒業後はかなり知名度の高い大学に通う予定だった。

ジムの方も運動能力だけでなく成績も良かったので、スポーツに関した奨学金を貰ってどこの大学にでも入学することが可能だった。しかし、たった一度過ちを犯してしまったのだ。べスの存在を初めて知った時、それまで知的で賢い女子と付き合ったことが無く、そんな女子と付き合うのはどんな風なんだろうと、ただただ興味津々であった。ジムの周りにいつも寄ってくる女子達と違い意外に楽しいかも知れないと簡単に思ってしまった。その好奇心のためにベスをデートに誘ったのだ。そしてデートの翌日その内容を冗談を交えて仲間とロッカールームで話せたらと、そんな軽い気持ちで彼女と付き合うことにした。

そういう訳でジムはある日デートに誘い、何ヶ月も前からジムとデートすることを夢見ていたベスは戸惑うこともなくジムの誘いを受け入れた。だが、べスは男子との交際に関しては全くの無知だった。ベスがジムとの最初のデートで期待していたのは映画に行って話すことぐらいである。でも心の底からジムの全てを、長い間遠くから憧れていたジムの事を知りたかった。ジムとの運命的な初デートが壊滅的な結果を生むとは想像もしていなかったのだ。そのデートはべスが一生後悔する夜になってしまった。その後二人は卒業直後に早々と愛のない結婚を余儀なくされた。

結婚して数ヶ月も経たないうちにベスはジムに対する自分の認識が完全に間違っていただけでなく、結婚生活に対する理想と現実が全く違っていることに気づいた。一般的な少女の夢は王子様のような男子と巡り合い、結婚し、幸せになることだ。ベス自身もそうであった。だが、現実は夢見ていた結婚生活とはまったく違っていた。ベスは実際に一人の男性を愛することよりも恋に恋をしていただけだったのかも知れない。何しろジムに逢うまでは誰も愛したことがなかった。ジムは外面では周りの女子達が皆興奮するような魅力的な男子だったが、べスの伴侶としては全く向いていなかった。ベスが高校在学の頃に本当に望んでいたのはスポーツの競技会でメダルやトロフィーを獲得するように、ジムを他のすべての女子から勝ちとることだった。ジムはべスの勝利の証であり、それだけを求めるために自分自身の人生までも無駄にしてしまったのだ。良く考えるとベスはジムの事を何も知らずに、ただ一筋に憧れていただけだった。そしてジムが本当の正体を表した時にはもう遅すぎた。

不運にも若い父親になったジムの苛立ちはかなり明白だった。最初の赤ちゃんが生まれるとすぐにジムは言葉による虐待をベスに向けた。ベスの方はというと二人目の子供が生まれればジムが変わるかもしれないと望んでいたが、言葉だけでなく肉体的にも暴力を振るうようになった。二人目が生まれた後ベスはこれ以上子供を産まない事を決めたが、願いを否定するかのようにビルは三番目の息子としてこの世に生まれてきてしまったのだ。ビルは自分の母親にさえも望まれないまま命を授かった。

ベスは頭が良いだけでなく心の優しい、とても良い母親だった。ビルが生まれた後、ジムの虐待行為から子供達を必死に守るようになった。だが殆どの場合努力は報われなかった。ジムの虐待は年をとるにつれて悪化していき、ベスは離婚したかったが現実的にはジムから離れることが不可能に思えた。家の中で実際に何が起きているかを知らない親戚や友人達はベスの離婚したいという願いに反し、どうにか辛抱するよう言い続けた。彼ら曰く、「配偶者と別れることはあってはならない。そしてキチンと一緒に生活している家族はバラバラになるはずがない。家族全員が忍耐強く頑張れば結婚は長続きする」。そんな彼らにとっては外見がすべてであり、家の中で実際に何が起きているのかなどはあまり興味がなかったのである。そしてべスがその時に置かれている境遇をいつか乗り超え、結婚をし続けることが彼らから期待されていた。ジムは良い夫であり将来もっと優しい父親に変わるだろう、とべスに言い続けて。

虐待は人間が成長する中で起こる痛みの一つである。結婚をし一緒に生活し始め、お互いのことを学ぼうとする夫婦の間の副産物でもある。べスの日常生活のどこかが狂っている事は知っていた。だが親族に立ち向かい真実をさらす勇気は無かった。だからべスは不本意なことを知っていながら自分の運命をそのまま受け入れることにした。時に人生とはそういうものなのだと自分に言い聞かせながら…

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成功に繋がる道を歩むことができず低賃金で満足感を味わえない仕事をし、いつも惨めに過ごしている父を見て育ったビルは決して父のようにはならないと誓った。そんな父は成功した人々をまるで犯罪者であるかのように常に嘲笑していた。

「あいつらは金持ちに生まれた。もし俺にも同じ機会があったなら奴らと同じように大金持ちになれたのに。高価なスーツを着て黒いサングラスをかけている奴らを見てみろ。檻の中で羽を大きく広げ、お互いを出し抜こうとしている孔雀のように見えるじゃないか」

ビルは本当は父がそんな人々を心の底から嫉妬し恐れていることに気づいていた。そして成功した人々こそが、そんな思いにばかり浸っているジムのような人間を支配しているのだということも。ジムはまともな教育と経験が無いため、どんなに頑張っても成功している人達に追いつく事は不可能だった。

ビルは、どうもがいても逃げ出せない哀れな世界に閉じ込められている父を長い間目の前で見てきた。しかし、自分はまだ若い。これからでも遅すぎることは無いと知っていた。適切な教育と勤勉さがあれば父の世界から脱出できることを。何故なら努力すれば誰でも成功する可能性があるアメリカに住んでいるのだから。自分にこう言い聞かせ早速将来の計画を立てた。ビルはそれまで以上に勤勉になり高校時代には誰よりも良い成績を取り始める。同時に大学の学費を稼ぐために毎晩働いてお金を貯めた。ビルの最終的な目標は父の悲惨な世界から逃れるだけでなく、父が憎んでいる成功者の一人になることであった。そういう訳でビルの権力に対する欲望は高まり、自分の成功の邪魔をする敵すべてを排除する決心をした。しかし、そんな決心に反しその計画を妨げる出来事が思いがけず起こった。

1966年、高校を卒業した直後ビルはベトナム戦争に徴兵されてしまったのだ。戦争に行くことは将来の計画を遅らせ壊滅的なものであると思ったビルは怒りを感じた。しかし、招集されて時が経つと軍隊での経験は自分が綿密に計画した進路を遅らせるどころか、もっと役立つ事だとビルは感じ始めたのである。それは戦争の間に成功するのに必要な技術とアメリカに住む重要人物の連絡先を得ることができたからだった。その重要人物達からの紹介状が戦争から戻った後かなり役に立ち、州内のどの大学にも入学資格を得られる程の武器になった。そうして軍隊の役目を終えたビルは戦争中に得たコネを使いアラバマ州のある優れた大学の入学が可能になり、金融関係の学位を取得した。ビルは大学に通う間社会的に地位のある人物を友達以上に大切にした。他の学生が大学の同人会などに参加して無駄な時間を費やしている間に迅速に経済学学位も取得し、将来の地位を着々と確保することに集中した。大学滞在中にもそんなビルの存在は、ある秘密組織から見過ごされなかった。何年かビルを監視していたその組織の一員にある日声を掛けられる。「志を同じくする」学生達のための会議がその組織の支援で開催されるので参加するように招待されたのだ。ビルは初めあまり気が乗らなかったが上層部のメンバーがビルの能力をかなり評価しているのだとその会員から聞き参加し始めた。その後、組織の仲間たちと一緒に行動する事で今までに味わったことのない精神的な刺激をも経験し始める。そして、その組織の配慮で彼は卒業する以前から街の大手銀行に就職が決まり、高給を受け取ることができる仕事を勝ち取った。そんな訳で将来の計画はビルの思いのままに進み始めたのだった。その銀行で勤務しながら数年後にビルは修士号を取得するために夜間大学に通った。その努力が認められ銀行の誰よりも早く昇格し始める。1983年に副会長となり地区支部を担当するまでに及んだ。ビルは競争相手から権力を奪うという目標をいとも簡単に達成し続けた。そしてたちまち市内の他の企業や多くの労働者の財務健全性に影響を与えるような人物となった。今や高価なスーツを着、黒い色のサングラスをかけ、豪華なリムジンに載って街中を走っている一人なのだ。もし父が今の自分の姿を見たら、どう思うだろうと心の中で思ったことがしばしばあった。

銀行在籍中もビルは大学在学中に初めて知った秘密組織O.S.R.(Organization of the Superior Race 又は、優れた人種のための組織)の会議に出席し続けた。 ビルはその頃あまり頻繁に行動していなかった同志達と交わり、たちまち信頼されるメンバーの一人になる。白人であることの優越性と「神から与えられた権利」というメッセージはビルにとって聖書のようなものであった。その権利を主張するために必要な意思と能力を十分持っていたビルはリーダーとして認められ、数年後には衰退し始めたO.S.R.を引き継ぎ、言葉ではなく行動を通じてメンバーを増やし始めた。

数年のうちにO.S.R.は百人近くの献身的な男達が参加する組織に成長した。だが、そのうちの半分程は、ただ単にスリルを求め危険な課題をいつも望んでいるようなメンバーによって確立されていた。そんな中ビルは誰よりも立派な経歴があるため、絶えずその組織のリーダーに選ばれていた。今夜は O.S.R.の第1四半期会議があり、その会議の最後にスピーチをすることになっていた。

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その部屋は常連で一杯だった。そこに集まった100人程の男達は皆、様々な社会階級をもち、大多数は経済的には中層から上層部に属している連中だ。白い肌とクリスチャンの宗教という二つの重要な特徴を除けば地元のロータリークラブや慈善活動をしている団体だと間違えられてもおかしくはない。実際、出席していた殆どの男達は自分達を単なる社会貢献者だと思い、秘密組織に奉仕するためにその会議に参加しているのだと思っている。他の組織との違いは参加者が皆、自分は神に選ばれ純粋な血統を保つ組織の守護者であると心から信じている事だ。そして、それがその男達の真の生き方だった。

IMG 1734「紳士諸君!」ビルの声が明るく照らされた会議場に響き渡った。その会場には一列10席ほどの椅子が数十列並べられている。ビルがいとも簡単に彼らの注意を引きコントロールできるかは、入場した時の男達の振舞いを見れば明白だった。それまでは大きな声で話したり笑ったりしていた男達だったが、ビルが入場するなりそんな自分勝手な行動はピタッと止まると同時に、みんな席に戻り会場は完全に静まり返ったのだ。ビルはそんな男達の深い忠誠心を知っていて、そこでならどんな話題でも話し合うことができると心から信じていた。

「1984年の我々の功績は予測していたよりかなり上回っていた。そのために尽力してくれた諸君に心から感謝している。君達がこの様な努力を続けてくれれば今年も我々の組織が成功することは間違いないだろう。だが、まだやるべきことは山ほどあり課題もたくさんある事は君達も知っての通りだ。目標を達成するためには、これからも根気よく一歩ずつ進んでいかなければならない」

ビルは初めにそう言うと会議の本題に入る前に30分程度、組織の管理および財務上の問題について全員に最新情報を提供した。そして本題に入る。

「今年最初の課題は来週の月曜日、つまり今日から3日後の月曜日に行われる予定である」

そう言うとビルは急に声を張り上げた。

「この課題を成功させるには四人のボランティアが必要だ。我々の純粋な血筋と家族を守るために立ち上がりたいと思っているのなら是非参加して欲しい!」

それを聞いてそれまでビルの演説を静かに聞いていた群衆は急に活気を取り戻した。そうして多くの男達が自分を選んでほしいと挙手をする。ビルはそれを見てボランティアが不足することは決して無い事を知り、微笑を隠すことができなかった。そこにいる男達は組織に対しての献身さを証明する機会をいつも待ち望んでいたのである。皆、外見では他の男達とあまり変わりないが、日中は他人の目を避け、日が沈むと冷酷になり人々に恐怖を与える。そんな残酷な仲間の人数は多く、何よりも殆どの男達が拳銃を持っているという事がその組織の利点だった。

ビルは挙手をしている男達の中から過去に実績を上げている四人のメンバーを選んだ。そしてビルはスピーチの締めくくりに1984年の著名なメンバーの並外れた努力を祝福する。その後ビルと選ばれた四人は拍手喝采を後にして会場から離れ、次の計画の詳細を話し合うために静かでこじんまりした小さな部屋に移った。皆が席に着くとビルは計画の詳細を話し始める。

「この作戦はコードパンサーと名付けた。今回の標的は、先日起きた事件でハーフブリード(混血児)を救い、この組織を阻止するために動いている弁護士だ! いつもの通りこの作戦にも細心の注意を払って手順を守って欲しい。これまでそうしてきた君達に今更極秘を強調する必要はないのは解っている。だが、それを守らなければこの聖戦を続けることはできない」そしてビルは続けた。

「その弁護士はダウンタウンにオフィスを構え、いつも我々の邪魔ばかりしている。最近あいつは我々に目をつけることが多くなり、人種問題について必要以上に大騒ぎをしている。そして噂によると我々が過去に起こした事件の調査に関わっているらしい。あいつを抹殺しなければ、我々の組織の未来が危険にさらされるのは確かだ。知っての通りそれを許すことはできない。今すぐあいつを止めなければいけないのだ!」

「殺してしまえ!」作戦に選ばれた者の一人が叫んだ。するとビルは、

「あいつが仕事から家に帰る途中、だいたい午後7時から8時の間らしいが、車で追いかける。そして拉致、遠隔地に連れて行き処刑する。その後君達は近くの川岸に埋めるんだ。あいつの車は隣の州に捨ててくれ。これがその弁護士のために選んだ我々の計画だ」と、男達に指示をした。

「なぜ埋葬するんだ? 十字架に張り付けて火をつければいいじゃないか? それでなければ少なくとも俺たちの邪魔をする奴らへの警告として絞首刑にすればいいじゃないか」

ビルは男達が示したそんな熱意と残酷さに少し圧倒された。

「紳士諸君! 我々の究極な敵をどう処分するかについては君達にも色々な意見があるだろうが、この作戦は今まで以上慎重に行わなければならない。あいつはこの街では非常に良く知られており、どんな小さな証拠も残してはいけないのだ。そしてすべてを効率的に行わなければならない。何故なら警察をこの計画に巻き込むことはできないからだ。それに、あいつを土の中に埋めたら、この計画は絞首刑にするより証拠を残さずにすむ」

ビルはそこで大きく息を吸うと、次に想像した思いがまるで沸騰し始めた鍋のように頭の中で巡り始めた。そして続けた。

「そうすれば急に消えてしまった弁護士に何が起こったのか家族達は戸惑い、真実を知ることもなく長い間苦しむのは間違いない。それ以上に何を望むのだ?」

「じゃあ、あいつを叩き潰して生き埋めにしよう!」もう一人の男が力強く提案した。 

仲間達はその意見に同意するが何故か皆少し動揺し始めた。ビルはこの作戦に対する彼らの熱意が強すぎて判断力が劣ってきたのではと心配する。そんな男達の不注意な行動が今回の暗殺事件が発覚する原因になるかも知れない。それだけは避けたかった。発覚してしまえば、次の課題を全うする時に警察に捕まることの不安から間違いを起こす可能性が高まるからだ。そうなればその課題を行った同志を長期間牢獄に閉じ込めることに繫がるかも知れない。今はもう殺人を免れる事ができる古き時代ではないのだ。最近ではこのような事件に人々は眉をひそめる。同席している若い男達は殺人について話し合い解決策を提案するのは好きだったが、昔の仲間達とは違い、それに対する心構えがどこか欠けている軽率な所があるとビルは密かに思っていた。

ビルは両手を少し挙げて男達に落ち着くようにジェスチャーをした。

「我々の計画は忠実に行わなければならない。だから簡易に物事を図らないようにして欲しい。あいつを処刑するよりも生き埋めにする方が良いと思うならそれはそれで構わない。しかし、この計画を全うするには過ちを犯す余地がないことを覚えておいてくれ。我々は効率的に物事を進めなければならない。そのためには時には残酷になる必要がある。あいつを捕らえその目的を果たし、そして脱出する。要するにこの課題は過ちのない軍事作戦であることが必要だ。これはゲームじゃない!」そしてビルは続けた。

「今年は他にも多くのイベントを計画している。これからも君達の提案をどんどん受け入れ我々が責任をもって実行する次第だ。君達も知っての通りこれらの計画がすべて成功したとしても我々の最終的な目標を達成するにはまだまだ長い道のりがある」

その言葉を聞いて一時静寂が流れた。その時ビルはこの会議に来る直前に訪れた場所を思い浮かべ、なぜ自分がこのような行動をとっているのかを思い出した。そうするとビルの感情は高まり、声を張り上げる。

「究極の目標はすべての劣った人種を排除することだ! そうだろう紳士諸君。それなら我々の努力を結集し共通の目標のために一つの強力な武力になろうではないか!」

そしてビルは男達一人一人に目を配った。

「君たちは戦う準備はできているのか! この世界を征服し支配する準備はできているのか!」

ビルは右手を斜めに上げ、

「O.S.R..万歳!」と叫んだ。

ビルの声は深くハスキーで非常に威厳があった。その声は情熱に満ちており四人の男達は震える感情と熱意で満ち、これから何が起きても平気であるようにさえ感じ始める。まさにこれから立ちはだかるあらゆるものを排除する準備がその男達にはできていたのだ。

「準備万態だ」とビルは思った。

「紳士諸君、再び会議場に戻ろう」

そう言うとビルと選ばれた四人の男達は小さな部屋を出て、他のメンバーと合流する。会議場は大きな笑い声と酒を飲みながら面白可笑しく物語を語る声で満たされていた。パーティーのこの雰囲気は、まさにビルが望んでいたものだった。

「あいつ等を興奮させ飲み続けさせ、楽しい気分にさせる。そうすれば、俺達が求めることは何でも成し遂げてくれるだろう」と、ビルは微笑を浮かべる。

ハンカチで額を拭きながらビルは群衆を見渡した。それから、ゆっくりと出口に向かい会議に参加した何人かのメンバーと握手をしたり、背中を叩き励ましたりして会場を去った。

「我々の戦いが終わるまで、あいつ等が果たさなければならない数えきれない仕事があるのだから、今夜はあいつ等に思う存分楽しんで貰おう」

 ビルの右腕ビクターがドアの傍に立っていた。組織会議に出席した時に自分が何を求められているかビルは重々理解していた。まず初めに参加者を促すスピーチをし、次の課題を誰かに割り当ててから素早く去る。表面では親しみのあるリーダーであると思わせ、その裏で接近することが不可能な態度をとることがビルのモットーだった。それらの手段は軍隊から学んだ。

ビルはビクターに囁いた。

「この作戦はあの若いパンクたちに任せることにした。そうすれば、何か問題が発生した場合に警察がこの組織と弁護士の死を結びつけることは難しいだろうからね」

ビクターは軽く頷き、ビルが建物のドアから出て行くのを見ると早々と群衆の中に消えていった。

黒いリムジンは建物の前でビルを待っていた。ビルが建物から出ようとすると突然雨が降ってきたので運転手はすぐに車から降りてビルのために傘を持ってくる。あまりにも演説をした時の快感に浸っていたビルはその時初めて雨が降っていることに気づいた。もう午後11時を過ぎていた。ビルが演説をする時はいつもそうであるように時間はあっという間に過ぎ去った。運転手がドアを開けると早々と乗り込む。ビルは満足していた。会議は思ったよりうまくいったのだ。自分の今夜の仕事はスピーチで会議を締めくくるということだけだったが、なぜか心底から疲れ果てていた。

リムジンの中でビルはグラスにスコッチをたっぷりと注ぎ、外を見ようとしたが闇に包まれた道路は暗く、窓に映っていたのは自分自身の姿だけだった。眉毛が太くて暗い表情をした男の顔。髪は焦茶色で耳の少し上の方は白髪が交わっていて、一見他人からみれば威厳のある人物のような出で立ちだ。垣間見るだけでは今まで苦労したこともなく楽な生活をし、優雅に年を重ねているのだろうとも見えた。しかし、ビル自身は鏡に映る自分自身の顔を見るのが好きではなかった。何故かというと、見るたびに老けてくるその顔が、どうもがいてもいつかは死に直面することを思い出させたからだ。意思に反してどんどん年を取っている自分の姿は、特に暗闇の中に映る自分の姿は、ビルが無敵であるというこれまでの感覚を破壊し始めているのだ。実際にはかなり成功しているのにもかかわらず、周りの誰もが知っているビルとは全く別の人物を鏡は映していたからである。その上、人には話せない秘密があった。そんなビルは自分自身を呪いながら一瞬窓から目をそらし、過去の思い出に浸った。ビルはもう一杯スコッチを飲み始める。そしてもう一杯と飲み続け、ついにはリムジンの中で眠り始めた。